⑨愛しているから

 ――僕が田中さんと出会い、まひるの死の真相を知ってから、数日が過ぎた。

 様々なことを知り、一時は苦しさを覚えた僕も、それらの事実を受け入れて日常を過ごしている。


 ただ一つ変わったことがあるとすれば、八坂さんとの距離だろう。

 あの日以来、やはりまひるの件を気にしているのか、八坂さんは僕から距離を置いているように見える。


 そんな彼女の態度を前に、僕は……どうすればいいのかがわからずにいた。

 平穏な日常を過ごしてはいるものの、僕の中にも答えの出ない疑問が渦巻いてもいる。

 特に、田中さんとの会話や真相の究明を経て、僕はこれからどうするのかを迷っていた。


(スマホ、どうしようかな……?)


 その日、僕は大学の学食で自分のスマートフォンを見つめながらそんなことを考えていた。

 高校生になった時に購入し、それ以降ずっと使い続けているこのスマートフォンを買い替えるか否か。


 このスマホには、まひるからの最後のメッセージが残っている。データとして次の機種に引き継ぐことはできるのだろうが、送られてきた思いまでもは受け告げないのではないかと思うと、どうしても迷ってしまう。


 死んだはずのモモさんと話をした田中さんは、僕との対話を経て割り切る心構えができると言っていた。

 きっと心の中に、不可解な現象を引き起こした自分のスマートフォンに対する恐怖もあったのだと思う。


 だからこそ、彼はお祓いに行き、スマートフォンも買い替えるという決断を下した。

 僕はそんな彼と違って割り切ることも恐れることもできないと……そう思いながら、こういう時にこそ八坂さんに相談したいなと思う。


 こんなことを聞いても、彼女は困るだけかもしれないが……こんな話ができるのは八坂さんだけだ。

 我がままであり、彼女に頼り切っているようにしか思えない自分自身の情けなさにため息を吐いた僕は、何度目かわからない問題の先送りをすることにした。


(呪いと愛、か……)


 コップに入った水を飲み、一息つきながら僕は八坂さんが言っていたことを思い返す。

 自分が夕陽くんに呪われていたという事実と、その呪いからまひるが身を挺して僕を守ってくれたという話を振り返ると、やるせない思いが胸によぎった。


 呪いを前に人は無力……八坂さんはそうも言っていたし、それは正しいと僕も思う。

 超常的な存在に対して、強い人間の思念や負の感情に対して、僕たちは如何に無力かということを身を以て経験してきた。


 夕陽くんの死も、まひるが死ぬことも……きっと、止められない流れだったのだろう。

 何か一つ、歯車が狂っただけで普段の日常は一気に崩壊する。これまで遭遇した呪いの生みの親たちも、全部そうだった。


 ほんの少しだけの歯車の狂いが、誰かの死を呼ぶ。その最初の狂いに気が付けたとしても、きっと人間にはどうしようもない。

 そして……僕は今、そのを感じている。自分にはどうしようもない終わりへの流れを知覚していたからこそ、僕はそのニュースを聞いた時も平然としていられたのだろう。


『次のニュースです。昨晩、都内の飲食店で火災が発生し、多くの犠牲者が出ました』


 普段は気にも留めないニュースキャスターの声が、嫌に耳に響いた。

 顔を上げ、設置されているテレビの画面を見た僕は、その内容を聞いて静かに顔を伏せる。


『警察の調べによれば、出火の原因は配電設備の故障とのことです。この火災によって従業員と訪れていた客、計三十名以上が犠牲になった模様です。以下は、犠牲になった方々のお名前です』


 そう言って、キャスターが犠牲者の名前を読み上げ始める。

 画面を見ないまま、黙ってその声を聞き続けていた僕には、だろうという確信に近い予感があった。


『野田真一さん。鶴宮明子さん。さん――』


(……ああ、やっぱりか)


 犠牲者として田中さんの名前が読み上げられても、僕はどこか平然としていた。

 心のどこかで、こうなるとわかっていたのだろう。彼と、彼の行きつけだった店……モモさんが働いていた店に不幸が訪れることを、僕はわかっていた。


 可哀想だが、もう僕と出会った時点で彼は手遅れだったのだと思う。僕たちにはもう、どうすることもできなかった。 

 今思えば、八坂さんから出された様々な指示も、僕が彼の周囲に漂っていた呪いに巻き込まれないようにするためだったのだろう。


 呪いの元凶はモモさんだ。田中さんは死んだはずの彼女と会話をしたことで、こうなってしまった。

 彼は、約束してしまったんだ。近いうちに絶対に会いに行く、と。

 だからモモさんは田中さんを迎えにきた。彼を、から。


「……あなたが気付いてなかっただけなんですよ、田中さん。モモさんも、あなたのことを愛していたんだ」


 きっと、モモさんは精神的に不安定な人間だったのだろう。そんな彼女は、客と従業員という関係ながらも自分と楽しく話をしてくれる田中さんに少しずつ依存するようになった。

 その依存は歪ながらも愛に変わり、どんどん強まっていき……やがて、田中さんと会えない時間が苦痛に変わっていった。


 精神の均衡を崩したモモさんは田中さんを思いながら命を絶ち、まひると同じ場所に行ったのだろう。

 そして……何も知らない田中さんは、地獄に落ちた彼女と話をしてしまった。近々会いに行くと、そう約束してしまった。


 この時点でもう、田中さんの運命は決まった。愛する人に会える喜びに満ちたモモさんに、彼は呪われて愛されてしまったから。

 問題は、モモさんの愛が暴走しつつあったこと。彼女は想い人である田中さんが自分以外の誰かに愛を送ることに、強い嫉妬を抱くようになってしまった。


 それはきっと、純粋たる愛でなくても許せなかったのだろう。

 例えば、自分の悩みを聞いてくれた青年に感謝の証として謝礼金を渡したり、飲み物の代金を奢ることすら許せなかった。


 だから……その事態を回避するために、八坂さんは僕に「何も貰うな」と言った。

 田中さんが最期を迎えたであろう夜の店が全焼し、多くの人々を巻き込んだという事実を知った今なら、彼女の真意が理解できる。


 田中さんから何の感情も向けられていない、その存在すら認知されていない彼女が謝礼金を処分してくれたからこそ、僕は今、平穏に過ごせているのだろう。

 姿を隠しながら話を聞いたのも、そのためにそうしたのだ。


、か……」


 片方の愛は人を殺め、もう片方の愛は僕を救った。

 一つの愛の形と、その終焉を目の当たりにした僕は、静かに立ち上がると共に歩き出す。


 会いに行かなくてはいけない、彼女に。

 まだきっと、話さなくてはならないことがあるから。

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