⑧穴二つ
意味深な八坂さんの言葉を、僕は理解できなかった。
ただ、彼女が嘘や冗談を言っているわけではないということはわかる。
数か月前、まひるを亡くした時にこの話を聞いたとしても、僕はこの言葉を真に受けなかっただろう。
しかし……今日まで僕は、幾つもの怪異と呪いと対面してきた。だからこそ、彼女が言う呪いが実在しているという現実を受け入れ、話を聞く気持ちになっている。
「呪いの本質って、なんなの?」
「……報い。他者を呪い、傷付けたのなら、それに応じた報いを自分も受ける。あなたも見てきたはずでしょう?」
タクシーに残る親子の呪いは、死ぬほどの苦しみを味わった娘と、その娘を喪った悲しみと絶望を抱えた父親が生み出した呪いだった。
レストランの呪いは、孫を傷付けられた老婆が、自分自身を責め続けて生まれた呪いだった。
どちらもそう。苦しみや悲しみを抱えた人間が、その原因に同じ苦しみを与えるように呪いを生み出している。
報い、あるいは代償。負の感情を生み出すに相応しい苦しみと絶望を味わった者のみが、呪いをかける権利を手にするということなのだろう。
「不幸なことに、夕陽辰彦には願うだけで呪いを成就させてしまう才覚があった。むしろ、これが一種の呪いね。願うだけで他人を不幸にできる力があることを自覚してしまったことが、彼の最大の不幸でもあった」
「……まさか、まひるの顔の怪我も……!?」
こくりと、八坂さんが頷く。
まひるを精神的に追い詰めた顔の怪我も、夕陽くんの呪いによるものだと知った僕が愕然とする中、八坂さんは顔を伏せながら話を続けた。
「朝倉くん、あなたは気付いていないでしょうけど……あなたも夕陽辰彦に呪われていたのよ」
「えっ……!?」
「だからこそ、でしょうね……運命の悪戯なのか、同じ人物に呪いをかけられたことがある人間だからそれを感じ取れたのかはわからない。でも、四宮さんはあなたが夕陽辰彦に呪われたことを知った。だから、四宮さんは彼を殺したのよ。あなたにかけられた呪いが完成する前にね」
「僕のために、まひるが夕陽くんを殺しただって……?」
信じられないその言葉に、僕は足元の地面がぐらりと崩れたような錯覚に襲われた。
呆然とする僕に対して、八坂さんはその真っ赤な瞳を向けながら口を開く。
「最後まで、夕陽辰彦は自らが持つ呪いの力の代償を知らなかった。彼の呪いは、自らの命を代償に使えるもの。既に彼は自身の命を使い切り、分不相応の前借りをしてまで呪いをかけ続けた。だから今、ああなっている。自らが呪った人々と同じ苦しみを味わう、無間地獄に落ちた」
「僕の呪いが完成する前にって、どういう……?」
「……呪いの完成には、それに応じた代償が必要。あなたを呪った夕陽辰彦は、既にその時点で運命が尽きていた。遅かれ早かれ、彼は無残な死を迎えることが決まっていた。もしも彼が天命のままに死を迎えたら、それがあなたの呪いを完成させる代償になる。だから、そうなる前に四宮さんは夕陽辰彦を殺したのよ。そして、自らも命を絶つことで彼を地獄に封じ込める枷となった。あなたを……愛しているから」
「……っ!?」
多分、きっと、それはこの世で最悪な形の愛の告白だった。
僕を愛しているから、誰かを殺した。僕を愛しているから、自ら命を絶った。
僕も彼女を、まひるを愛していたからこそ……その答えは残酷で、あれほどまでに知りたかった彼女の死の理由を知った今、後悔にも近しい感情が湧き出ている。
「……八坂さんは、知っていたの? まひるの遺志を……?」
「……なんとなく、だけどね。だからこそ、あの日のあなたに教えるわけにはいかなかった。幼馴染を喪ったばかりの朝倉くんにこんな話をしたら、あなたが壊れてしまうと思ったから」
「そっか……優しいんだね、八坂さんは……」
弱々しく、笑みを浮かべながら僕は言う。
確かに彼女の言う通り、あの日の僕がそんな話をされたら、信じることはできなかったとしても心がおかしくなっていただろう。
だから今日、八坂さんはこの場に立ち会ってくれたのかと……彼女の優しさを感じた僕はわずかに気持ちを浮かばせながら、気になっていることを質問した。
「じゃあ、田中さんの電話が僕につながった理由もわかってる?」
「……自殺した人間は同じ地獄に行く。モモさんと四宮さんは今、同じ場所にいる。多分、モモさんには以前から死の気配が漂っていた。そして、先に自殺した四宮さんとの間にシンパシーのようなものがあった。朝倉くんと田中さんにも似たような部分があって、それで――」
「色んな偶然が重なった末に、僕たちがつながったってことか。モモさんの電話番号にかけていたはずなのに、彼女が死んでから確認したら番号が変わったのは……不可思議な現象としか言いようがないのかな?」
「……ええ、そうね。でも、田中さんが死んだモモさんと会話できた理由ならわかる。モモさんも今、夕陽辰彦と同じように自分の死までの時間を繰り返している。田中さんはその最中の彼女とつながってしまった」
「そうか……そういうことだったんだね……」
田中さんが経験した不可思議な現象の理由とまひるの死の真相。その二つの答えを得た僕は、少しだけ胸の内のモヤが晴れたような感覚を覚える。
知って良かったのだと、そう思うことにした。たとえそこに残酷な真実があろうとも、これは僕が望んで知りたいと思った答えだ。
まひるは、僕のために死んだ。その事実を抱えて、僕は生きなくてはならない。
もしかしたらこれもまた、一種の呪いなのかもしれないと思いながら……僕は、八坂さんへと言う。
「今までずっと、僕が想像していた以上に八坂さんには気を遣ってもらってたんだね。ありがとう」
「……いいの。私は、呪いの存在を知覚しながらも何もできなかった。呪いを前に、人は無力……そうはわかっていても、後悔しないわけじゃない。これは、あなたと四宮さんに対する罪滅ぼしのようなものだから」
そう言った八坂さんが、顔を伏せながら息を吐く。
僕に答えるように、自分に言い聞かせるように、そう呟いた彼女の横顔を、僕は黙って見つめ続けた。
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