⑦地獄
――PiPiPiPi……
聞き慣れたコール音が部屋に響く。
その音を聞く僕は、自分の中で響く心臓の鼓動がどんどん早くなっていることを感じ、息を飲んだ。
普通に考えれば、この電話に出るのは田中さんであるはずだ。
僕は間違いなく彼の番号に電話をかけたし、それは八坂さんも確認している。普通なら、当たり前のように彼が電話に出るはず。
だが、今は普通の状況ではない。何かが僕と彼との間に入り込み、異質な状況を作った。
それを利用して、大切だった人の声を聞きたいという願いを叶えようとしている僕の耳に、ぷつっという音が響く。
――誰かが、電話に出たのだ。そう理解した僕は普段の癖で出そうとした声を必死に押し留めた。
口を閉ざし、相手が何を言うかを耳を澄ませて待っていた僕は、続いて聞こえてきた声に全身を震わせる。
『ア、ア、ア……ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッ!!』
電話の向こう側から聞こえてきたのは、地の底から鳴り響くような悲鳴だった。
発狂寸前の、狂いたくても狂えない苦しみが伝わってくるような悲痛な叫びを聞いた僕は、恐ろしさに思わず息を飲む。
しかし……その声にどこか聞き覚えがあることに気付いた僕は、その答えに至ると同時に目を大きく見開いた。
(この声は、まさか……夕陽くんなのか……!?)
忘れもしない、数か月前のあの事件。自ら命を絶ったまひるが、その直前に殺めた生徒……夕陽辰彦。
今、スマートフォンから聞こえているこの声は、彼の声に酷似している。苦しみと絶望の色に染まってこそいるが、この悲鳴は彼が発しているものに間違いない。
だが、何故彼がこの電話に……? と僕が考えたところで、またしても夕陽くんが絶望に満ちた声が響いた。
『もう、嫌だぁぁっっ! だずげでぇ、だずげでぇぇ……!! ぐぼえぇっ!』
ぐちゃりと、嫌な音が響いた。車のブレーキ音もだ。
交通事故を思わせるその音に、夕陽くんが車に撥ねられた場面を想像する僕であったが、既に死んでいるはずの彼が事故に遭うわけがない。
いったい、何が起きているのか? この通話はなんなのか?
困惑し、恐怖する僕であったが……その耳に、最も聞きたかった、だけど聞きたくなかった人の声が聞こえてきた。
『……やっぱり、そうだ』
『あ、ああっ、あっ……!? ま、また……!! あ、ぐえっ!?』
(まひ――っ!?)
八坂さんが口を押さえてくれなければ、僕は間違いなく声を出していただろう。
通話しているスマートフォンの向こう側から聞こえてきたその声は……僕の幼馴染であり、数か月前に死んだまひるのものだった。
スマートフォンを握る手に力が力が籠もる。わなわなと、その手が震える。
目を見開いたまま、ただ画面を見つめる僕の耳に、まひると夕陽くんの会話が聞こえてきた。
『な、なんだよ? 俺に何か用があるのか?』
『やっぱり、そうだったんだ。あなたが、あなたは……』
――うっすらと、わかったことがある。この会話は、あの日の出来事を再現したものだ。
まひるが夕陽くんを殺し、自ら命を絶つ寸前のやり取り……それが、僕の前で再現されている。
『……大丈夫。もう、私はいいの。だから、だから……ね』
『ま、待て。なんだ、なんだよ? 来るなって! おいっ!!』
焦る夕陽くんの声を聞きながら、その声が先ほどの絶望と苦しみに満ちた声よりもかなりマシなものであることを感じながら、僕はまた理解する。
理由はわからない。どうしてそうなっているかもわからない。だが……彼は間違いなく、この日を何度も繰り返している。
『くっ、来るなっ! 来ないでくれっ! やめろっ! だ、誰かっ! 助け――っ!!』
さっきの交通事故も、今、繰り広げられている己の死の再現も、夕陽くんは何度も繰り返して体験しているのだ。
この数か月間、彼自身がまひるに殺されたあの日からずっと……彼は、休むことなく同じ苦しみを味わい続けている。
『幸せだったよ……心の底から、本心から、そう思えるのは、あなたが居てくれたからだよ……』
『ひぃ……ひぃぃぃ……』
そして、また気付く。まひるもまた、この無間地獄の中に囚われていることに。
夕陽くんと同じような苦しみを味わい続けているのかはわからない。だが、最後に彼を殺める現場を何度も繰り返していることは、何故だか確信できてしまう。
『大好きだよ。誰よりも愛してる。だからね、新一くん。だから、ね――』
そう語るまひるは、あの日も同じことを言っていたのだろうか? それとも、この通話を僕が聞いていることを理解して、この言葉を贈ってくれているのだろうか?
僕は彼女に何も言うことができない。まひるの言葉に、答えを返すこともできない。
自分でも気付かない内に涙をこぼし、まひるの一言一句を聞き逃さないように耳を澄ませる僕へと……彼女は、最後にこう言い残した。
『あなたは、私が守るから……だから、生きて。どうか幸せになって、新一くん……!!』
直後、夕陽くんの絶叫が響き、通話が切れた。
ぶつん、という音を最後に何も音を発さなくなったスマートフォンの画面が真っ暗になるまで、ただ呆然とそれを見つめていた僕の口から、八坂さんが手を放す。
もう、しゃべってもいいということなのだろう……ただ、それでも今の僕には何かを話す気力すらない。
そんな僕に対して、八坂さんはこんな質問を投げかけてきた。
「人を呪わば穴二つ、って言葉、知ってるかしら?」
「……他人を傷付けようとする者は、その報いを受けることになる……って意味のことわざでしょ?」
僕の答えに、八坂さんが大きく頷く。
首を捻って彼女の方を向く僕へと、八坂さんはこう話を続けた。
「夕陽辰彦は、その言葉通りの末路を迎えた。彼は、呪い素質を持つ人間だった。だけど、それに対する知識も意識も足りてなかったの」
「……どういう意味?」
「自身が持つ力の代償を知らなかった……彼は、呪いというものの本質を理解せず、行使し続けた。だから、ああなったのよ」
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