⑥その夜

 家に帰って、少し休んで、食事を取って……田中さんと別れた後、僕は普段通りに過ごしていた。

 時刻は夜、日が完全に沈んで真っ暗になった頃、家のチャイムが鳴って、来客を告げる。


 なんとなく……誰が来たのかを理解している僕は、相手を確認せずに玄関のドアを開けた。

 そこに立っていたのは予想通りの人物で、僕は微笑みを向けながら彼女へと言う。


「八坂さん、どうかしたの? こんな遅い時間に……」


「……少し、話がしたくって。入ってもいいかしら?」


「……うん、いいよ」


 一人暮らしの男の家に、女の子がやって来た。

 これだけ見ると甘いシチュエーションのように思えるが……僕にはわかっている。


 これは、そういうんじゃない。八坂さんがここに訪れた理由もなんとなく理解している僕は、少し諦めたような気持ちを抱きながら彼女を部屋へと上げた。


「面白味のない部屋でごめんね。何か飲む?」


「いいえ、大丈夫。気を遣わないで」


 静かに、空いている椅子に座った八坂さんが真っ赤な瞳で僕を見つめながらそう答える。

 彼女の向かい側の席に座った僕は、緩い笑みを浮かべながら質問を投げかけた。


「それで……話って何かな? こんな時間にわざわざ部屋を訪ねてくるほど、大事な用なの?」


「……ええ、そうね」


 わずかに目を伏せた八坂さんが、小さな声で言う。

 そうした後で視線を上げ、再びその赤い瞳を僕へと向けた八坂さんは、はっきりとした声でこう言ってきた。


「朝倉くん、あなた……つもりでしょ?」


「……ははっ。八坂さんも冗談を言うんだね。少し驚いたよ」


 そうおどけてみせた僕だったが、実際は彼女の言う通りだった。

 やっぱり僕に隠し事は無理らしい。それでも本心を隠そうとする僕に向け、八坂さんが言う。


「冗談じゃないわ。あなたがそうすると思って、私は会いにきた」


「……そっか。でも、どうやって僕がまひると話をするっていうの? まひるは数か月前に死んでるんだよ?」


、そうすれば四宮さんにつながるんじゃないかって、あなたはそう考えたんでしょう?」


 こういう時、僕はどういう顔をすべきなんだろうか? いまいち、よくわからない。

 ただ、隠していることを言い当てられているというのにどうしてだか嬉しくって、自然と顔には笑みが浮かんでしまっていた。


「田中さんは、あなたとよく似た境遇をしていた。その田中さんはモモという女性に連絡を取った時、どうしてだかあなたに電話がつながった。そして、その最中に死んだはずの女性と話をしている。だからあなたは、自分も彼と同じことをすれば四宮さんと話ができるんじゃないかって、そう考えたんでしょう?」


「………」


「そして、それができるのは今夜しかない。去り際の田中さんの様子から考えるに、彼は明日にでも使っているスマートフォンを解約してしまう。そうなったら、あなたと彼を結ぶ縁も切れ、この怪異も消滅するかもしれない」


「……だから今夜しかない。僕がまひると話ができる可能性に賭けるとしたら、今日しかないんだ」


 最初からこうなることはわかっていた。あの喫茶店で覚悟を決めた時から、それを八坂さんに見抜かれていたこともわかっていた。

 それでも彼女を家に上げたのは、傍に居てほしかったからなのだと思う。

 心細いわけでも、恐ろしいわけでもない。ただ、彼女は何かを知っている……そんな気がしたからだ。


「……八坂さんは僕を止めに来たのかな?」


「……いいえ。今の朝倉くんを説得できるとは思ってないわ。ただ、立ち合おうと思った。そして、お願いをしに来たの」


 八坂さんには本当に面倒をかける。多分、そのお願いも僕の安全を守るためのものなのだろう。

 お願いとは何なのか? と視線で尋ねる僕に対して、八坂さんは静かにこう答えた。


「一つは通話をスピーカーで私にも聞かせてほしいということ。もう一つは、。この二つを守ってほしい」


「……わかった。君がそう言うのなら、僕はそれに従うよ」


 小さく、八坂さんの言葉に僕は頷く。その忠告の裏にどんな理由が隠されているのかは、聞く必要はないと思った。

 ふぅ、と息を吐いた後でテーブルの上に置いておいたスマートフォンへと手を伸ばした僕は、それを掴むと共に八坂さんへと言う。


「じゃあ……いいかな?」


「……ええ」


 覚悟はできた。八坂さんもそれは同じのようだ。

 彼女がここに来たということは、きっと僕の願いは叶うのだろう。八坂さんが来てくれたことを喜ばしく思ったのは、そのせいかもしれない。


 ただ、ということはつまり……僕は今から、またしても世の理を超えた何かと遭遇するということだ。

 でも今は、それを恐ろしくは思っていない。むしろ、早く出会いたいと思っている。


 多分、きっと……この怪異より、今の僕の方が狂っているのだろうなと思いながら、僕は履歴に残る田中さんの電話番号をタップし、通話状態に入った。

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