⑤共鳴

「田中さんが僕に電話をしてきた理由は、僕がモモさんの死に関わっているんじゃないかと考えたからですか?」


「いや、違うんだ! そういうわけじゃあない。君を疑っているわけでも、責任があると考えているわけでもないんだ。ただ、ただ……モモちゃんがなぜ死を選んだのか、その答えにつながる手掛かりがあるんじゃないかと思って……」


 強く僕の質問を否定した後、田中さんが理由を語る。

 その答えは僕が予想していたものと全く同じで、僕は自分自身を見ているかのような錯覚に襲われていた。


「私が最後に話したモモちゃんが何者かだなんて、もうどうだっていい。私はただ、モモちゃんがどうして自殺なんて真似をしたのかが知りたかったんだ。私の記憶の中の彼女は、常に……! あんなに楽しそうに笑っていた彼女が、どうして死を選んだのか……彼女が何を考えていたのかが、どうしても知りたいんだ……!!」


 ……同じだと、僕は思った。

 あの日、まひるを失った僕と同じ。彼女がどうして夕陽くんを殺したのか? どうしてまひるは最後まで笑顔だったのか? その理由が、僕にはまだわからないでいる。


 田中さんと話をしてみようと思ったのも、もしかしたらその答えがわかるかもしれないと思ったからだ。

 自分とよく似た境遇の彼から話を聞けば、抱えている疑問に答えが出るかもしれないと思った。八坂さんもそんな僕の考えに気付いているのだろう。


 そうして出会った僕によく似た田中さんは、やはり僕とよく似た悩みを抱えている。

 その苦しさと恐怖に覚えがある僕は、静かにコーヒーカップを皿に置くと……静かに、彼へと言った。


「よくわかります。その気持ち」


「え……?」


 怯えと必死さに染まっていた田中さんの表情が、驚きの色に変わっていく。

 自分でもどこか滑稽だと思いながら、緩く微笑みを浮かべた僕は、こちらを見つめる田中さんを見つめながら口を開いた。


「……僕もそうなんです。実は――」


 ――それから、僕は田中さんにまひるのことを話した。

 大好きで大切な幼馴染だったこと。不幸な事故で顔に傷を負ってしまったこと。それでも僕は必死に彼女を励まし、もう一度学校に通うようになったこと。そして……その後に自ら命を絶ったこと。


 どうしてもまひるが夕陽くんを殺したことは言えなかったが、最大の疑問である死した後も彼女が笑みを浮かべていたことに僕が疑問を抱えている、という部分だけは伝えられた。

 なぜ、まひるは笑っていたのか? その理由がわからなくて、無性に恐ろしくて、今でも不安で仕方がないと……そう語った僕へと、田中さんが言う。


「そうだったのか、君も……」


 何を言えばいいのかわからないといった様子で顔を伏せた田中さんが押し黙る。

 僕はそんな彼へと、自分なりの理解を示しながらこう続けた。


「田中さんの気持ちは痛いほどわかります。大切な人が何を考え、どうしてその行動に至ったのか……それを知りたくない人間なんて、この世にはいないでしょう。でも同時に、恐ろしくもある。知らないままでいることも、知ってしまうことも、どちらも恐ろしい。そういう矛盾を抱えている」


「……!!」


 僕の言葉に、体を震わせた田中さんが顔を上げる。

 縋るような眼差しを向けてくる彼の姿に自分を重ねながら、僕は言った。


「僕は、幼馴染のことを忘れられません。それでも、どこかで区切りを付けなくちゃいけないんだと思います。彼女が何を思っていたかを知ることが、そのきっかけになるんじゃないかなって……そう、思っています」


「……そうだね。君の言う通りだ」


 少しだけ落ち着いた様子でそう言った田中さんは、静かに自分のスマートフォンを握り締めた。

 それをじっと見つめた後、僕を見ないまま、彼は言う。


「私もそうするよ。切り替えながら前に進んでいく。このスマートフォンを解約して、彼女の連絡先も消して……あのお店で最後に一杯飲んで、モモちゃんに別れを告げよう」


「……彼女が死を選んだ理由を突き止めなくてもいいんですか?」


「ああ……正直、怖いんだ。君の言う通り、知りたくもあるが知ることが怖い。知ってしまったら、彼女との思い出が崩れ去ってしまいそうだから……綺麗な思い出として、大切にしておこうと思う。」


「……それが田中さんの決断だというのなら、僕は何も言いません。どうか、お幸せに」


 苦しみを、悲しみを、恐怖を……よく理解している僕には、彼を責めることなんてできない。

 多分、それで良かったのだと思う。僕にとっても、田中さんにとっても、それが幸せだと素直に思えた。


「今日は本当にありがとう。少しだけ、割り切るための心構えができた。多分もう会うことはないだろうが……これは、せめてものお礼の気持ちだ」


「いりませんよ、そんなもの。僕は結局、何の力にもなれていませんから」


「そう思っているのは君だけさ。返す必要なんてない。この店の会計も私が――」


「それも結構です。自分の分だけを払って、それで終わりにしましょう。田中さんがモモさんのことを割り切るというのなら……僕との出会いも、割り切って考えてください」


 これから彼はより大切な思い出を捨てる。ならば、こんな些細な思い出を引き摺るような真似はしてほしくない。八坂さんとの約束もあるが、それは僕の正直な気持ちだった。

 だから、僕とここで話したことも忘れるよう、後押しするように田中さんに告げれば……彼もその言葉の意味を理解してくれたのか、無言で頷いた後、店を出ていく。


 一人席に残された僕は、ただ黙ってテーブルの上に置かれた封筒を見つめていたのだが、不意に向かいの席に八坂さんが腰を下ろし、その封筒を手にして口を開いた。


「一万円、入ってるわね。迷惑料ってところかしら?」


「安心して、受け取るつもりなんてないから。お店の人に忘れ物として届けておくよ」


「そう……なら、いいわ」


 手にしていた封筒をテーブルの上に戻しながら、八坂さんが僕を見つめる。

 真っ赤な二つの瞳から送られる視線を受け止める僕は、静かな声で彼女へと問いかけた。


「……ねえ、八坂さん。どうしてだと思う? どうして僕と田中さん、似たような苦しみと恐怖を抱えた人間が引き合わされたのかな?」


 つながるはずのない間違い電話。二週間前に死んだはずの人間との通話。そして、モモさんの理由不明の自殺。

 二度あることは三度ある……だけど、こんな短期間に謎の怪奇現象に何度も巻き込まれるというのは普通ではない。


 今回のことも、これまでのことも、きっと偶然なんかじゃなかった。

 これまで遭遇してきた呪いたちが何かの原因があって生まれたのと同じように……この現象にも、理由がある。


 そして、僕は薄々気付いていたのだ。何が原因で、こうなっているのかを。

 ただ、その現実を直視するのが怖かった。それが事実だと認めるのが、堪らなく恐ろしかった。


 その恐怖を、動揺を、表に出さないようにしながらコーヒーを飲んだ僕へと、目を細めた八坂さんが言う。

 

「……なんででしょうね。私にもわからないわ」


「……そっか。八坂さんもわからない、か……」


 ――どこまでも彼女は優しい。八坂さんは、本当は気付いているはずだ。僕が怪異たちと遭遇するようになった原因が何なのか、を。

 それでもわからないふりをしてくれた彼女へと緩い笑みを浮かべた僕は、真っすぐに彼女の紅の瞳を見つめながら口を開いた。


「……ありがとう、八坂さん」


「……気にしないでいいって、そういったでしょう? これは、私が好きでやってることだから」


 目を逸らしながらそう答えた彼女に、僕は笑みを向け続ける。

 一つの決意を固めながら――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る