5月2日(月曜日)『お待たせいたしました』
「ちょっと! まだ私の料理はできないの!? もう随分待たされてるんだけど!!」
人気のないファミレスで、食事を待たされている私はその苛立ちを店員にぶつけた。
空腹もあって気が立っていることは自覚しているが、悪いのは私を待たせるこの店なのだから罪悪感も引け目も感じることなんてない。
ぺこぺこと頭を下げてキッチンへと引っ込んでいくホールスタッフを見つめ、舌打ちを鳴らした私は、ガラガラの店内を見回して再び舌打ちを鳴らした。
これでどうして料理の提供に時間がかかるのかと、注文から五分もあれば食事なんて用意できるだろうと、私を苛立たせるファミレスへの苛立ちを募らせていく。
本当に……この店にはいい思い出がない。正確には系列店舗ではあるが、同じ『ヤミーズ』であることに変わりはない。
忘れもしない三年前のGWのあの日、私は店の中で騒ぐ迷惑客を注意した。
世の中は恐ろしい感染症への対策意識が強まっていたし、あまり人が多い場所で騒いだり大声で会話したりするのは止めろと連日連夜注意が促されていたはずだ。
それを守れない迷惑な子供と、その親を注意しただけだったっていうのに……何故だか話が大袈裟になった。
偶々だったっていうのに、ちょっと子供が怪我をして泣き喚いただけで私は悪者になり、店から逃げ出す羽目になった。
その上、慌てていたせいで車に撥ねられてしまって……そこから暫く、入院生活を送ることになってしまった。
旦那からは注意されたが、私は悪いことなんてしていない。悪いのはあの子供とその親たちではないか。
「近所にもお前の悪いうわさは広がっている」だとか、「もうあの家には住めないから引っ越すぞ」とか、そんなことを言われても私は悪くないんだからどうしようもない。
運び込まれた病院から別の病院に移り、そこで治療を受け、退院してから引っ越し先の地域で生活して……その間も様々な苦難に見舞われた。
どれもこれも、あの家族と最初に子供を注意しなかった『ヤミーズ』の店員のせいだ。あいつらがしっかりしていれば、そもそもトラブルが大きくなることなどなかったのだから。
それ以来、私は『ヤミーズ』の系列店舗には行かないようにしていたのだが……今朝、特別優待券が送られてきて、話が変わった。
GW期間に限り、『ヤミーズ』での食事が無料になるというのだ。こんなもの、行かなければ損ではないか。
というわけで私は夕食を食べに三年ぶりに『ヤミーズ』へと足を運んだ。
旦那は家で適当に何か食べるだろう。優待券は一名様のみ利用可能なのだから、置いてきぼりにしても仕方がない。
しかし、やはりこの店はサービスが悪い。ファミレスに接客の質を求めるのは間違いかもしれないが、引っ越す前に通っていた店舗も含め、『ヤミーズ』のスタッフは最低だ。
まあ、連休中という書き入れ時にも関わらず、空席が目立つような寂れた店舗のスタッフなんて、この程度のものだろう。
料理を待っている間に他の客も帰ったようだし、実質私の貸し切り状態だ。
まだ感染症の脅威は去ったとは言えないし、こうして密にならないというのは実にいいことだ……と考え、少しだけ機嫌を回復させた私であったが、不意にどさっという音が響いた。
驚いて顔を上げれば、目の前の席に誰かが座っているではないか。
「あんた、何やってんのよ!? ここは私のせ、き――!?」
当然、私は文句を言おうとした。しかし、目の前に座っている女の顔を見て、驚きに言葉が詰まってしまう。
私の前に座ったこの女は、あの日……あの子供と一緒にいた、祖母と思わしき女ではないか。
「な、なんで、あんたがここに……? ど、どうして……!?」
「……も」
「な、なにがどうなってるのよ? どうやって私のことを――!?」
「……くも」
正直、私はパニックに陥った。どうしてあの日、別店舗とはいえ同じ『ヤミーズ』で遭遇し、トラブルになったあの家族の一人とこうして出会ってしまったのか?
偶然とは思えないこの出来事に驚き、矢継ぎ早に女に質問を投げかける私であったが、顔を伏せている相手はぶつぶつと何かを呟き続けるだけで、一切の反応を見せないでいる。
「な、なんなのよ、あんた……!? 言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ!!」
不気味な女へと、私は大声で叫んだ。こうやって騒げば店員が駆けつけるだろうという打算もあったが、それ以上に私は目の前の女を恐れていたのだと思う。
何か……何かが変だ。これは普通ではないと、本能が警鐘を鳴らしている。
まるで目の前のこの年老いた女が、決して触れてはいけないような存在なような気がして……それでも、怖れを振り払うために大声で吠えた私は、次の瞬間に息を飲んだ。
「あ、ぁ……!」
「……よ、くも……よくも……よくも」
不意に顔を上げた女の表情を見て、私は凍り付いた。
口元を歪め、笑みを浮かべているその女であったが、目は一切笑っていない。
しかし、こいつは確かに笑っていた。満足気に、嬉しそうに、愉快で仕方がないといったように、笑みを浮かべている。
その上で……隠し切れない怒りや憎しみの感情が笑みの下から漏れ出し、それがこの恐ろしい表情を作り上げているのだ。
「よくも傷付けたな。よくも悲しませたな。よくも大切なあの子を……泣かせたな」
「ひっ……!? ぁ、かはっ、く、ぁ……っ!?」
目の前の女が放つ重圧に、私は呼吸ができなくなった。
声も出せず、ただぱくぱくと口を開け閉めすることしかできないでいる私は、同時に自分の体が意図していない動きをしていることに気付く。
注文した料理、この店で一番高額な料理であるサーロインステーキを食べるために用意しておいたフォークとナイフを、それぞれ片手に握っていく。
鋭い先端と刃の部分を向けながら、両手がそれを私の目に近付けてくる。
「な、なん、で……? どうし……っ?」
こんなことをするつもりなんてない。私は必死に自分にナイフとフォークを近付ける自分の腕を止めようとしたが、そんな私の意志とは無関係に腕は動き続ける。
店員に助けを求めようとしてもキッチンに引っ込んだせいかホールには誰もいなくって、私の非常事態に気付く者は存在していなかった。
(助けろ! 私を助けろ! さっきの声が聞こえたでしょ!?)
それでも、さっきの私の叫びが聞こえていたなら、ホールスタッフが飛び出してきてもおかしくないはずだ。
なのに、誰も私の下にはやって来ない。こんなのは絶対におかしい。スタッフの教育はどうなっている?
いや、あるいは……わざとなのか?
あいつらは全部わかっていて、わざと私の下に来ないのでは……と思い始めた私の手首を、冷たい何かが強い力で掴む。
「ひぃっ……!?」
「クハハハハハ……! キキキ、ク、キッッ……!!」
いつの間にか、向かいの席に座っていたはずの女が私の目の前にまで移動していた。
氷のように冷たい手で私の両手首を掴み、ただでさえ動かないでいる私の腕を強い力で押さえつけながら、彼女はあの笑みを私に向ける。
目の前で浮かべているこの笑みには、憎悪が、憤怒が、愉悦が、満ちていた。
料理を乗せた配膳ロボットから鳴り響く、軽快な音楽も私の耳には届かない。それよりもずっと小さい、喉から絞り出しているような女の乾いた笑い声が、耳にこびり付いて離れてくれない。
「た、たすけ――」
私が何をした? こんな目に遭うような真似なんかしていない。どうしてこんなことになっている?
混乱し、パニックになり、そんな中で唯一できる懇願を目の前の女にした私は、彼女が浮かべる笑みが一層狂気に染まる様を目にして絶望した。
手首を掴む女の手に、強い力が込められる。
憎悪と復讐の念を強める女が、狂った笑みを浮かべる。
その絶望を深く刻み込むように、この瞬間を待ち侘びていたとでもいうように、この世の者とは思えない笑顔を見せた女は……最後の瞬間、私へと言った。
「――アノ子ノ痛ミ、思イ知レ」
その言葉と共に腕が私の側に押し込まれる。手にしていた食器たちの先端が眼前にまで迫っていると思った次の瞬間には、世界から光が消えていた。
ぐちゃりという音が響き、焼けるような痛みが目から全身を駆け巡り、口からは今まで出したことのないような叫びが飛び出す。
ナイフの刃に眼球を切りつけられながら、フォークの先端がより深くまで突き刺さる感触を感じながら、その激痛に泣き叫ぶ私が最期に耳にしたのは、無機質な配膳ロボットの声だった。
『大変お待たせいたしました。ごゆっくり、お楽しみください』
――呪いを解きたいのなら、悲しみを癒すか未練を晴らしてやることだ。
特に後者は簡単な方法で、復讐の対象がわかっているのならその手助けをしてやるだけでいい。
それだけで、呪いの半分はどうにかできる。
怒りと憎しみを正当な相手にぶつけさせることができれば……それだけで、危険度がぐっと下がることもある。
問題は、呪いが発生してから復讐を遂げるまでの時間だ。
恨みと怒りを募らせる時間が長ければ長いほど、その復讐は苛烈なものになる。
だが……それも仕方がないことだ。そういう場合、往々にして悪いのは呪いを生み出した側の人間なのだから。
諦めて報いを受けるしかない。報いを受けるべき一人を犠牲にすることで一万の命を守れるのならば、それは許容すべきだ。
『とある霊能者の言葉・ヤミーズ○○店にて』
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