5月1日(日)②

「ロボットを止める時、八坂さんが抱き着いてきた理由がわかったよ。あれは、彼女の前であの日の再現をするためだったんだね」


 『ヤミーズ』からの帰り道、僕は八坂さんへとそんなことを言っていた。

 僕の言葉を受けた八坂さんはこちらをちらりと見ると、頷きと共にそれを肯定する。


「ええ。それがあの混乱を収め、呪いを解くために必要なことだったから」


「お孫さんと同じ場所を怪我した僕と、そんな僕を抱き締める八坂さん。その姿にあの人はかつての自分たちの姿を重ねたってことか……」


「あの呪いと容易に接触できたのも、その前提があったおかげよ。私一人じゃこんなに上手くはいかなかったわ」


 やはり八坂さんは、かなり前から40番席の呪いについて感付いていたのだろう。

 一昨昨日に僕にした質問は、彼女の存在に気付いているかどうかを確認するためのものだ。


 そして、僕が呪いの存在に気付いていないと察知した八坂さんは、話を上手くごまかした。

 多分それは僕を厄介事に巻き込みたくないという彼女なりの気遣いなんだろうなと思いながら、僕はもう一つ質問を投げかける。


「どうして八坂さんはあの人を助けようと思ったの? やっぱり、何かあるって感付いたから?」


「……朝倉くんみたいな優しい理由じゃないわ。私はただ、あの呪いがもっと危険なものになる前に手を打ちたかっただけ」


「もっと危険なもの?」


「朝倉くんは気付いていないと思うけど、あの呪いの基となった女性は生きているわ。40番席に残っていたのは彼女の思念がこびりついたもの。いわゆる、生霊よ」


 蒲生加奈子と違い、あの場で呪いとなった女性はまだ生きているという八坂さんの言葉に、僕は驚きを隠せなかった。

 しかし、言われてみれば蒲生加奈子と違ってあの女性は人間に近しかったというか、感情豊かに見えたと思い直して納得した僕へと、八坂さんが説明を続ける。


「あの時点では呪いは避けることが容易な条件下でのみ発現し、さらに与える被害も軽微なものだった。でも、何らかの影響を受けて、抱いていた悲しみや後悔が憎しみに変化する可能性も十分にある。生霊の場合は、あの場の呪いと今も生きている本体とでもいうべき人間の二つから影響を受けるし、それが複雑に絡み合うこともあるわ」


「そうか……お孫さんを傷付けたのと同じような人があの席に座ったり、あるいはお婆さん本人が遭遇したりしたら、呪いが過激化するかもしれなかったのか……」


「そうなった時、あの呪いは無差別に誰かを傷付けるものになっていたかもしれない。そうなる前に遭遇できたのだから、どうにかして対処したかった。でも、そのためにあなたを怪我させてしまったわね……」


「えっ……?」


 不意に、八坂さんが僕の顔へと手を伸ばしてきた。

 僕の頬に触れ、目の下の傷をそっと触れた彼女は、申し訳なさそうな表情を浮かべながら言う。


「……ごめんなさい。私がもう少し気を払っていれば、朝倉くんが怪我をする必要なんてなかった。それに、結果として私はあなたを利用した……恨まれても仕方がないわ」


「恨んでなんかないよ。僕が怪我をしたのは八坂さんのせいじゃないし、あの人を救えたのは八坂さんのおかげだしさ。ロボットを止める時にパニックになってた僕を落ち着かせてくれたことも含めて、八坂さんには感謝してるよ」


 それは僕の偽らざる本心で、僕は八坂さんに心の底から感謝している。

 僕一人ではどうしようもなかった。呪いというものに詳しい八坂さんの助力があってこそ、あのお婆さんを救えたのだから、彼女を恨む理由なんてどこにもない。


「……やっぱり、朝倉くんは優しいわね。そういう人だってことは高校生の頃から知ってたけど、最近は実感することが多くなった気がする」


「そうかな? 優しいって言われても、自分ではよくわからないや」


 八坂さんにそう応えながら、僕も思う。

 今も目の前で笑う彼女の笑顔を見る回数が、最近とても増えたな……と。


 高校時代から冷たい人ではないことはわかっていたし、抑え目ではあるが感情を出す人であることもわかっていた。

 それでも、こんなふうに優しくだったり、時に威圧するようにだったり、あるいは楽しかったり嬉しかったりで笑う八坂さんの顔を、よく見るようになった気がする。


 それが同じ大学に進学したおかげなのか、あるいは――と考えていたところで、僕たちは住居であるマンションの前に辿り着いた。

 エレベーターを待つ間に八坂さんの横顔を見ていた僕は、彼女へとこんなことを言ってみる。


「ねえ、八坂さん。良かったら明後日の休日、ちょっとだけ僕に付き合ってよ」


 僕のその言葉に、八坂さんが珍しく驚きの表情を浮かべた。

 ちょうどのタイミングで到着したエレベーターに乗りながら、彼女は僕へと言う。


「それはデートのお誘い、ということかしら?」


「あ~……そんな大したものじゃないけど、まあ、そうなのかな……?」


「ふふ……っ! 変なことを言うわね。でも、いいわ。今日のお詫びを兼ねて、少しだけ付き合ってあげる」


 また知らない笑顔を見せてくれた八坂さんが、僕の申し出を了承してくれた。

 扉が開き、エレベーターから降りた彼女が、こちらへと振り向く。


 正直、三年間同じ学校に通っていたというのに、僕は八坂さんのことをよく知らない。

 どうして呪いに詳しいのか? その対処法を知っているのか? どういう理由があってそうなったのかも、よくわかっていない。


 だけど――


「それじゃあ、また学校でね。おやすみなさい、朝倉くん」


 ――そうやって笑う八坂さんの今まで見たことのなかった笑顔を見つめながら、これから少しずつ彼女のことを知っていけばいいかと、僕は思った。


―――――――――――――――

明日のお話がこの短編のエピローグになります

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