4月30日(土)②
アルバイトを始めてから三日目。問題が起きた翌日であるこの日は、昨日とは打って変わって暇な状態に逆戻りしていた。
もしかしたら昨日の出来事が関係しているのかもしれないと思いながら、僕は一昨日と同様にドリンクバーの横のスペースで待機している。
細川さんも六郎丸先輩も、キッチンのスタッフさんたちも……全員、僕たちに対しての負い目があるのか、不気味なくらいに優しく接してくれていた。
六郎丸先輩に至っては率先して仕事を引き受けてくれていて、それがさらに暇さを加速させている。
そんな状況の中、40番席へと視線を向けていた僕へと、八坂さんが声をかけてきた。
「随分と熱心に視線を向けているわね。お気に入りの大きなお尻でもあった?」
「や、八坂さん……」
悪戯っぽい微笑みを浮かべながらの発言に、僕はつい苦笑を浮かべてしまう。
多分、不可解な出来事に巻き込まれた僕に対する彼女なりの気遣いなのだろうと思う僕の横に並んだ八坂さんは、40番席を見つめながら口を開いた。
「気になるみたいね、あの席のことが」
「……まあね」
今度は淡々とした声で、真面目な表情を浮かべながら彼女が言う。
緩く肯定の返事をした僕に対して、八坂さんはわずかに視線を向けながら質問を投げかけてきた。
「一つ、いいかしら? どうしてこのアルバイトを続けようと思ったの? 怪我までしたっていうのに」
「怪我なんて、大袈裟だよ。大したことじゃないし、気を付ければそれで済む話だからさ」
「これ単体なら、確かに大したことじゃないかもしれないわね。でも、あなたは他にも不可解な出来事に遭遇している……軽微であれ、自分に怪我を負わせた怪異の傍で働き続けるだなんて御免のはずよ。なのに、どうして?」
……八坂さんの言いたいことはわかる。少し前に僕は、蒲生親子が作り出した呪いとそれによる恐ろしい出来事の顛末を目撃したはずだ。
なればこそ、たとえかすり傷程度のものだとしても、自分に怪我を負わせた何かとの接触は、最小限にしたいと考えるのが自然だろう。
それなのにどうして、アルバイトを続ける判断を下したのか?
その答えを言い淀む僕に対して、八坂さんが言う。
「当ててあげましょうか? 何か気になることがある……そうでしょう?」
「……!」
八坂さんの言葉に驚いた僕が視線を向ければ、こちらを見ていた彼女と目が合った。
自分を見つめる赤い瞳に吸い込まれるような錯覚を覚える僕へと、八坂さんが話を続ける。
「あなたは昨日、あの呪いと対面した。その上で店長から話を聞いて……違和感を覚えたんでしょう?」
「……八坂さんの言う通りだよ」
「……それで、何を感じたの? どこがおかしいと思った?」
僕の胸中を言い当てた八坂さんが、そう問いかけてくる。
一度視線を外した後、自分の中にある考えをどうにかまとめながら、僕はその質問に答えていった。
「細川さんはあの席にいるものを呪いって言った。でも、僕は違うような気がするんだ。少なくとも、前にタクシーで出会ったものとは大きく異なる存在だと思う。上手く言えないけど、他者を傷付けるようなものには思えないんだ。それに――」
「……それに?」
「最後、ロボットから流れてた声が途切れる寸前……40番席にいる何かは、謝ってたんだ」
ロボットから響く絶叫にかき消されかけていたか細い声を何度も反芻した僕は、40番席にいるものが「ごめんね」と言っていたことに気付いた。
その後に続く言葉はわからなかったが、おそらく女性と思わしき何かは誰かに何かを謝罪していた。
もしもあそこにいる何かが、細川さんが話したような怒りと憎しみを撒き散らすだけの存在だとするのならば、その部分が引っかかる。
そう、僕の漠然とした考えを聞いた八坂さんは、目を細めながらこう言ってきた。
「驚いた。あなた、かなり鋭いわ。ほとんど本質を捉えてる」
「どういうこと? 八坂さんは、全部わかってるの?」
「ええ、大体はね」
何でもないようにそう言ってのけた八坂さんを、僕は唖然としながら見つめることしかできなかった。
そんな僕に対して、彼女はこんな話をし始める。
「朝倉くん……呪いとは、何かへの強い感情を基として発現する力よ。感情にも色々あるけど、怒りや憎しみが代表的ね。それで……あなたは昨日、対面した呪いからそういった感情を感じたかしら?」
「……いや、感じなかった」
八坂さんの言葉を受け、感じていた違和感に少しだけ答えが出た。
蒲生親子が作り出した呪いと対面した時に感じた、骨の芯から凍り付くような負の感情……八坂さんに言わせれば、怒りや憎しみといった感情が、昨日の呪いからは感じ取れなかったのだ。
だからこそ、あれを人に害を成すようなものではないと思った。
その答えに辿り着いた僕へと、八坂さんが続ける。
「蒲生親子の呪いは、標的である片山拓也がタクシーに乗り込んだことで強く発現した。つまりは、片山拓也の存在が呪いのトリガーだったということ。それを踏まえて考えると、今回の呪いの引き金はおかしいと思わない?」
「確かに……引き金が配膳ロボットが近付くことだとしたら、40番席の呪いはロボットを恨んでいることになる」
「もしもあの呪いの正体が店長さんが話した通りの問題客だったとしたら、そうはならないはずよ。自分の周囲で騒ぐ者すべてに憎悪と怒りを振りまき、傷付けるはず」
しかし、そうはなっていない。ということはやはり、呪いの正体は厄介な女性客ではないのではないか?
少しずつパズルのピースが嵌っていく感覚に納得感と戸惑いを同時に覚えていた僕は、ハッとすると共に八坂さんへと言った。
「ねえ、八坂さん。昨日の休憩中、僕と話していた時だけど……八坂さん、笑ってたよね?」
「どうだったかしら? 自分ではわからなかったけど、朝倉くんにはそう見えたのね?」
「うん、笑っているように見えた。でも、本当は怒ってたんでしょ?」
「……ええ。怒っていたわ。あなたを呪うほどではなかったけれど」
そう答えてくれた八坂さんは、少しだけ嬉しそうだった。
その反応を見て全てを理解した僕へと、彼女が言う。
「それで、どうするつもり? 朝倉くんはあの呪いをどうしたいの?」
「……変なことだって自覚はある。だけど……どうにかして話がしてみたい。そう、思ってる」
僕の答えを聞いた八坂さんは、嬉しそうに微笑んだ。
そう見えただけで、実際は違ったのかもしれないけど……確かに彼女は、僕のその答えを喜んでくれたのだと思う。
「そう……あなたらしい答えね。でも、助かった」
「助かったって、どういう……?」
「私もあなたと同じことを考えてたって意味。もっとも、朝倉くんみたいな優しい理由じゃあないけどね」
そう言いながら、八坂さんが僕を見やる。
僕のことを真っすぐに見つめる彼女は、僕を試すようにこう言った。
「……あなたの想いが本気なら、明日の夜、私に付き合って。それで……あの40番席に残る呪いを解くことができるはずよ」
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