4月29日(金)②
『ごめんなさい! 道を開けてくださいワン!』
「……っ!?」
ピタリと動きを止めた配膳ロボットが発した言葉を聞いた僕は、その光景に凍り付いてしまう。
その台詞は、進行方向に障害物を検知した際に配膳ロボットが出す警告のようなものだ。
しかし……あのロボットの前には、何もいない。お客さんも他の配膳ロボットも、何も彼の進路を妨害などしてなどいなかった。
40番席に向かう通路の途中で唐突に動きを止め、何もいない虚空に向かって道を開けてくれと頼む配膳ロボットの姿に、僕は息を飲む。
いったい彼は、あのロボットのセンサーは、何を検知しているのか……と怯えを抱く中、配膳ロボットは同じ台詞を繰り返した。
『ごめんなさい! 道を開けてくださいワン!』
二度目の言葉に、近くに座っていた客たちがロボットの方を向く。
配膳ロボットが妨害するものなど何もない空間で立ち止まり、警告を発している様に怪訝な表情を浮かべる彼らの姿を目にした僕は、慌てておかしな挙動を見せる機械の下へと駆け寄った。
「すいません、失礼しました。機械の誤作動みたいで……!」
必死に笑顔を浮かべつつ、食事を中断させてしまったことを謝罪する僕の言葉にお客さんたちも納得してくれたようだ。
それでロボットから視線を外し、食事を再開していく彼らにこれ以上の異変を悟られないようにしながら、僕はそっと電源スイッチへと手を伸ばす。
幸か不幸か、このロボットの停止方法は細川さんから聞いていた。
料理を乗せた状態で強制的にシャットダウンするのは良くないとは思うが……これ以上、放置しておくとマズいことになる気がする。
……そう、僕が思った時だった。
『ご、めん、なさい……ごめんな、さ……ごめ、ごめ、ごめん。ごめんな、ごめ――』
「え……?」
配膳ロボットから発される声が、明らかに変わった。
事前にインプットされている明るい声ではない。何かに怯え謝罪するようなその声を耳にした僕が目を見開いた次の瞬間、店中に大きな悲鳴が響く。
『ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ! ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッ!!』
――所々にノイズが走った、聞く者を震わせるような悲鳴だった。
絶叫、慟哭、あるいは叫喚。感情を爆発させるようなその叫びに、僕だけでなく店中の人間がこちらを向く。
(マズい……!!)
無数の視線が突き刺さり、驚きと恐怖が入り混じった感情をその眼差したちの中から感じ取った僕は、ほぼ反射的に配膳ロボットのスイッチへと手を伸ばしていた。
電源を落とせば、ロボットの暴走も止まる。どうにかそこからごまかすことさえできれば……と、そう思っていたのだが――電源スイッチをOFFにしても、ロボットから響く悲鳴は止まらなかった。
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッ!! ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
「なんで止まらないんだ……!? なんなんだ、この声……っ!?」
どんどん大きくなっていく悲鳴に、店内の客たちは怯えを見せている。
もはや、これが超常的な何かであることを理解せざるを得なかった僕が必死にロボットから響く絶叫を止めようとしたところで……それに気付いた。
「……っ!?」
配膳ロボットの前方、40番席に続く通路の真ん中に……何かがいる。
はっきりと目で見ることはできない。その姿を捉えられているわけではない。しかし、確実にそこに何かがいることが、本能で感じ取れるのだ。
いる。蒲生加奈子とよく似た存在が、配膳ロボットを挟んで僕の目の前に存在している。
何らかの強い感情。頬を撫でるような冷たさと、胸を貫く緊張感に呼吸すら忘れて、ただそこにいるであろう何かへと視線を向けていた僕は、不意に背後から体を寄せられる感触を覚え、金縛りから解放された。
「……落ち着いて、朝倉くん」
「八坂、さ……!?」
「あなたはそのまま前を見続けて、視線を逸らさないでいればそれでいい」
後ろから抱き着くように体を密着させてきた八坂さんが、僕の耳元でそう囁く。
なにがなんだかわからなかったが彼女の言うことに従った僕が前方へとただ視線を向け続ければ、ゆらりとした歪みが存在していることに気付いた。
(あれは……?)
目を細めると、その歪みは人の形をしているように見える。
その前に、ガラスの板を思わせる仕切りのようなものが存在していることも見て取れた。
数年前から続く感染症対策のために作られた、人と人とを遮る仕切り……あれとそっくりなものが、僕たちと人型の歪みの間に立ちはだかっている。
耳をつんざくような悲鳴をすぐすぐ傍で聞きながら、触れられそうな距離感でありながら次元が断絶しているように見える仕切りのせいでとても遠くにいるように感じる歪みを見つめ続けていた僕は、確かにその声を聞いた。
『ゴメ……ネ……マー……』
「えっ……!?」
か細く、振り絞るように出されたその声を完全に聞き取ることはできなかった。
しかし、僕は確かに聞いたのだ。店中に響く絶叫に紛れて発された、その声を。
次の瞬間、僕の背後にいる八坂さんの手で操作されていた配膳ロボットから何かが消え去った。
それと同時に鳴り響き続けていた悲鳴も止まり、レストランの中に静寂が戻ってくる。
「……どうにか、止められたわね」
深く息を吐いた八坂さんが、一歩退いて僕から離れる。
40番席に続く通路から今の今まで謎の誤作動を起こしていた配膳ロボットへ、そしてしゃがんだ状態から立ち上がって背後の八坂さんへと僕が視線を向けた時、横から声が響く。
「朝倉くん! 八坂さん! これは――!?」
僕たちに声をかけてきたのは、キッチンから飛び出してきた細川さんだった。
配膳ロボットが出していた悲鳴を聞いていた彼は、青白い顔をしながら僕たちと40番席へと向かおうとしているロボットを見て、狼狽した表情を見せる。
視線を泳がせ、何を言うべきか迷っているように口を開け閉めして、浅く荒い呼吸を繰り返した後……どうにか冷静さを取り戻した彼は、顔を上げると共に僕たちへと言う。
「……二人はバックヤードへ、ここは私がなんとかします」
「はい、わかりました。店長、申し訳ありませんが救急箱を貸していただけますか? 傷の手当てがしたいので」
「傷の手当てって……八坂さん、どこかに怪我を!?」
「いいえ、私じゃないわ。手当てを受けるのはあなたよ、朝倉くん」
「えっ!? っっ……!?」
そう言いながら近くのテーブルから取った紙ナプキンを当てた八坂さんがそれを僕の頬に当てた後で見せてみれば、そこには赤い血がにじんでいた。
驚いた僕が瞬きをした瞬間、目の下にチクリとした痛みが走る。
「血が出ているわ。小さいけど、目の近くだから念には念を入れた方がいいと思う」
「あ、うん……」
「店長室の棚の中に救急箱がある。悪いが、それを使ってくれ」
「わかりました、ありがとうございます。行きましょう、朝倉くん」
僕の手を握った八坂さんが、強引にバックヤードへと僕を引っ張っていく。
一刻も早く、目の下のこの傷の手当てをしてくれようとしているのか、あるいはこの場から一秒でも早く離れるためにこうしているのか、僕にはわからない。
ただ……どうしても最後の瞬間に聞いた謎の声が気になっている僕は、何かがいた40番席を振り返り、バックヤードに消えるまで、そこを見つめ続けるのであった。
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