4月29日(金)①
――翌日のアルバイトは、夕方の四時から始まった。
朝から働いていた人たちと交代し、少し前から入っていた六郎丸先輩と合流してから、僕たちもホールのお仕事を始める。
連休の初日ということもあってか、その日の夕方から夜にかけては結構な数のお客さんたちが押し寄せてきた。
その全員を、三人のホールスタッフと配膳ロボットで案内するのは想像以上に大変で、昨晩とは打って変わって僕たちは慌ただしく働き続けた。
その中で、例の40番席にお客さんを案内し、料理を運ぶこともあったが……取り立てて変な出来事が起きたりだとか、妙な気配を感じたりといったことはない。
ただ決して、細川さんたちは40番席の近くに配膳ロボットを送ろうとはしなかったし、その部分を徹底していることが僕の疑念をどんどん強めていった。
いったい、あの40番席には何があるのだろうか? 妙に高い時給の謎の答えも、そこにあるような気がする。
そうは思いながらも決してトラブルを起こしたいわけではない僕は、細川さんからの言いつけを守ってホールスタッフとしての仕事をこなし続けた。
そうして時間は過ぎて、今は夜の九時。お客さんの入りも減り、少し余裕が出始めたこのタイミングで、僕たちは休憩に入ることになった。
最初は早めに働き始めていた六郎丸先輩から、彼が休憩を終えたら交代で八坂さんが入り、三十分後に僕も休憩を貰う。
そういった感じで最後に休憩に入ることになった僕は、細川さんからの指示で客席にて賄いを食べようとしていた。
「お疲れ様、八坂さん。ここ、座るね」
「お疲れ様、朝倉くん。休憩、先に入らせてもらっちゃって悪かったわね」
「気にしないでよ。レディーファースト、ってやつだからさ」
ちょっと使い方が間違っているような気がしなくもないが、言いたいことは伝わっただろう。
賄いはレストランのメニューから好きな物を選んでいいし、賑やかしのためにこうして客席を使ってくれと言われた僕は、先に休憩に入っていた八坂さんの向かいの席に座ると、彼女と話をしていった。
「賄い、メニューから好きな物を食べていいだなんて太っ腹だよね。八坂さんは何を食べたの?」
「私は茄子とベーコンのトマトスパゲティにしたわ。この後も働くことを考えると、あまり食べ過ぎるのも良くないから」
「そっか……じゃあ、僕もそれにしようかな?」
「あら、意外ね。男の子なんだからハンバーグとかを選ぶと思ったんだけど」
「まあ、好きではあるけれど……結構高いし、ちょっと気が引けるかなって……」
「控えめな性格してるわよね、朝倉くんって。注文、私がするわ。同じ物を頼むですぐにできるし」
「ありがとう、八坂さん」
そんなふうに八坂さんと他愛のない会話をしながら、僕を気遣ってくれた彼女へと感謝を告げる。
彼女がタッチパネルを操作し、注文を送信してくれている間、僕は彼女の背後に見える光景に視線を向けてしまっていた。
(例の40番席、ここから見える位置だな……)
決して配膳ロボットを近付けてはいけないと言われている40番席には、今一人のお客さんが座っている。
別に変なお客さんではないし、食事も無事に終えてドリンクバーを楽しみながら一息ついているようだ。
昨日も含め、僕はこのレストランで変な出来事に遭遇してはいない。あの席を利用したお客さんは何組もいるし、その人たちに異変が起きたこともなかった。
気にし過ぎなのだろうか? 本当にあの席の周辺はロボットとの相性が悪くて、精密機械を壊さないためのちょっと変わった注意事項があるだけなのだろうか?
ここまで何も起きていないことを考えると、特段このファミリーレストラン『ヤミーズ』が問題を抱えているようには思えない。
しかし、先日のタクシーでの出来事を考えると、何も心配ないと言い切れないこともまた事実だ。
多分、あのタクシーは僕たちを乗せるまで、何人ものお客さんを乗せてきたのだろう。
しかし、やはり問題は起きなかった。片山と僕たちを乗せるまで、あのタクシーはどこにでもある普通のタクシーとして存在し続けていた。
あのタクシーが怪異に変わったのは、復讐の対象である片山拓也と遭遇したからだ。
彼を乗せたことが引き金になり、呪いが発動したと考えるべきなのだろうが……そうなると、少し変なことになる。
仮にあの40番席に蒲生さんのタクシーと同じような何かが憑りついていたとして……どうしてそれは配膳ロボットに反応するのか?
呪いとなった蒲生加奈子にとって、片山拓也は何よりも憎むべき存在だった。だから、彼と出会ったことで恐ろしい怪異として顕現したというのはわかる。
それに照らし合わせて考えると、40番席にいる何かは配膳ロボットを恨んでいるということになるわけだが……そんなことがあり得るのだろうか?
ロボットを呪うお化けだなんて、見たことも聞いたこともない。なんというか、しっくりこないというやつだ。
そんなことを考えながら40番席を見つめていた僕は、不意に八坂さんに声をかけられてビクッと体を震わせた。
「朝倉くん……何を見ているの?」
「えっ? あ、ああ。別に、何も……ちょっとボーっとしてただけだよ」
「そう……」
なんとなく、この話題を出したくなかった僕は、質問をしてきた八坂さんに嘘を吐いて適当にごまかした。
そんな僕のことを特に追求することもせず、グラスに注がれた水を一口飲んだ後……今度は八坂さんが僕へと問いかけてくる。
「朝倉くん、あなた……気付いてる?」
「え……?」
赤い瞳を真っすぐにこちらへと向けながらの八坂さんの言葉に、僕は小さく息を飲んだ。
意味深なその質問には重大な意味が隠されているように思えて、何を問われているのかわからない僕は強く動揺してしまう。
気付いているとは、何に対してだろうか? このぼかした質問には、何の意味があるのだろうか?
もしかして……見て見ぬふりをしろと言われたタクシーの怪異と似たような何かが、このレストランにも住み着いているのだろうか?
八坂さんはその存在について、警告しようとしているのでは……? と考えた僕が口を開こうとしたその瞬間、不意にテーブルの上に置いてあったスマートフォンが着信音を鳴らし始めた。
――PiPiPiPi……
「おっ!? わっ!? どぅっ!? うぇぇ……!?」
「……あなたのスマホよ。誰かから電話じゃないかしら?」
あまりにも唐突に響いた着信音に、緊張を募らせていた僕は驚きながら間抜けな声を出してしまう。
眉一つ動かさない八坂さんに電話に出るように促された僕は、心臓の鼓動を落ち着かせながら通話ボタンをタップした。
「はい、もしもし……?」
『あ~……モモちゃん? 俺だよ~……! 今からお店に行こうと思ってるんだけど、今日は出勤してる?』
「すいません。連絡先、間違ってます」
『あれっ? えっ? あ、ああ……すいません、失礼します……』
なんだか聞き覚えのある酔っ払いの声に顔を顰めながら、僕は電話口の相手へと間違いを伝えた。
さっきの僕以上に慌てた様子で謝罪しながら電話を切った男性へとため息を吐きながら、再びテーブルへとスマートフォンを置いた僕へと八坂さんが質問をしてくる。
「また間違い電話? 新入生歓迎会の時にもかかってきてたわよね?」
「ああ、うん。多分、同じ相手だよ」
「大きな声だったから聞こえちゃったけど、お相手、随分と酔っぱらってたわね。モモちゃん、とかいう人のことを呼んでたけど……?」
「お店の予約をするって言ってたし、キャバクラに連絡するつもりだったんじゃないかな? それで、酔ってるせいで番号を間違えたんだと思うよ」
「そう……」
これで二度目となる間違い電話について八坂さんに話せば、彼女は再びグラスを傾けて中のお冷で喉を潤していった。
先ほどまでの緊張感はどこへやら、何について話していたんだっけかと一気に雰囲気が緩んだことで話題をド忘れしてしまった僕に対して、目を細めた八坂さんが言う。
「モモちゃん、ね……そういえばだけど、お尻って大きな桃に見えると思わない?」
「えっ? や、八坂さん? 急に何を……?」
「あら? 昨日、六郎丸先輩と誰かさんのお尻を見ながらそんな話をしていたんじゃなかったの?」
「うっ……!?」
ぐさりと、八坂さんの冷たい視線が突き刺さった。
笑顔ではいるが目は笑っていない八坂さんは、極寒の視線を僕に向けてくる。
多分、きっと、間違いなく……彼女は怒っている。
ごくりと息を飲んだ僕は、本日最大の緊張を抱えながら口を開いた。
「いや、あの……き、聞こえてたの? 僕たちの会話……?」
「聞こえてはいなかったけど、不躾な視線には気付いてた。私のお尻をじろじろ見つめる朝倉くんたちの視線にね。それで、六郎丸先輩を問い詰めたら……全部話してくれた」
「あっ、えっと、そう、でしたか……」
何をしてくれているんだと六郎丸先輩に心の中でツッコミを入れた僕は、視線を泳がせながら次に発する言葉を考える。
そんな僕を笑顔で見つめる八坂さんは、静かな声でこう言ってきた。
「私があなたたちの視線に気付いてること、気付いていたかしら? 自分だけが見る側だと思わないことね」
「あの、僕は決して失礼なことは言ってませんし、何だったら六郎丸先輩を制止してたわけで……」
「ええ、ええ。わかってるわ、朝倉くん。でもね、誰かがあの女の子のお尻、大きくない? って言ったら、次からはそれを否定してちょうだい。世の中には、それを気にしてる子は大勢いるのだから」
「……八坂さんも?」
「その質問はライン越えよ、朝倉くん」
「ごめんなさい……すいません……」
「初日の着替えの後に私の胸について話していたことも含めて、ツーアウトよ。スリーアウトになった時が楽しみね」
「すいません、気を付けます……」
どっちも六郎丸先輩のせいじゃないかと心の中で毒づきつつも、言い訳をしても絶対に八坂さんが許してくれないことを理解している僕は素直に謝罪し続けることにした。
視線の端には明るい音楽を鳴らしながら料理を運ぶ配膳ロボットの姿があって、それが僕の賄いを運んできてくれればこの重い空気もリセットできるのではないかと期待していたのだが……残念ながらロボットは、僕たちとは逆方向に向かってしまった。
救世主が現れなかったことに肩を落としていた僕であったが、そこでハッとして顔を上げる。
血相が変わった僕の様子に何かを感じ取ったのか、八坂さんが眉をひそめながら質問をしてきた。
「……朝倉くん? どうかしたの?」
「……あの配膳ロボット、40番席の方に向かってる」
「えっ……?」
僕たちの視線の先で、配膳ロボットは絶対に向かわせてはいけないと言われていた40番席へと進んでいく。
マズいと思った僕が立ち上がり、それを止めようとしたところで……異変は起きてしまった。
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