第二の呪い・「お待たせいたしました」

4月28日(木)①

 ……あのタクシーの事件から、また少しの時間が過ぎた。


 大学内では片山の死や彼が行っていた悪事、そしてそれに協力していた学生たちの話が広まり、今でも騒ぎになっている。

 片山の死も、彼の仲間たちの身に起きた不幸も、そういった悪事に対する祟りだたったのでは……と、うわさになっているくらいだ。


 そんな状況の中、事件の真相らしきものを知っている僕は、あの日の出来事を誰にも話さないでいた。


 こんなことを話しても信じてもらえる気がしなかったし、誰かに話してどうにかなる問題でもない。

 何より……死んだはずの片山がタクシーの中で何かに襲われる様を目にした際の恐怖を忘れられずにいる僕は、なにも見なかったことにしろという八坂さんの忠告に従い、口を噤んでいる。


 大学内ではこの事件のせいで嫌な空気が広がり、新学期早々から生徒たちの間にはギクシャクとした雰囲気が漂い始めていた。

 入学式から早くもひと月の時が経とうとしている頃……世間は楽しいゴールデンウィークを目前としているというのに、学友たちの間で遊びの予定を立てる者すらいない有様だ。


 ……そんな状況だからこそ、生み出された出会いがある。

 時期は四月の終わり、GWが始まろうとしている頃。僕はとある人物と出会い、不審に思いながらも彼の頼みを引き受けた。

 それが、また新たな呪いとの出会いに繋がるとも知らずに――。

 


―――――――――――――――



「朝倉ちゃ~ん! マジでありがとうな~! ガチで助かったよ~!!」


「気にしないでください。大したことじゃありませんから」


「いやいやいやいや! マジで人手が足りなくて困ってたんだって! そこにヘルプで来てくれちゃうだなんてさ~! 本当に朝倉ちゃんは俺の救世主だって!」


 その日の夕方、僕は大学から少し離れたところにあるファミリーレストラン『ヤミーズ』の更衣室にいた。

 支給された制服に着替え、変なところがないか確認しながら、僕をおだててくる先輩の言葉に苦笑を浮かべる。


 このノリの軽い、軽薄そうだがどこか憎めない雰囲気の男性の名前は六郎丸太郎ろくろうまる たろう。僕と同じ大学に通う、二つ上の先輩だ。

 彼の言う通り、僕はGWを目前にして多くのホールスタッフたちがダウンしてしまったこのレストランのヘルプとして、数日間限定で働くことになっている。


 今日は初出勤日。大学が終わってから店に来て、店が閉まるまで働く予定だ。

 着替えを終えた僕たちは荷物を確認した後で更衣室から出る。


「いや~、朝倉ちゃんたちが来てくれなかったら、マジで終わってたわ~。なにせ、動けるホールスタッフが実質俺一人だけとかいう嘘みたいな状態になってたからさ~……マジで感謝してます!」


「それ、何度目ですか? 本当に感謝なんかしなくていいって言ってるのに……」


「俺としてはそれくらい嬉しいわけよ。ほら、新歓コンパの一件からみんなが変な雰囲気になってるじゃん? そのせいか、誰に頼んでも断られちゃってさ……本気で困ってたんだよ」


 実に軽い感じの六郎丸先輩だが、僕たちに対する感謝の気持ちはかなり大きいようだ。

 確かに初対面の僕に泣きつく勢いで懇願してきた時の彼の必死ぶりを思い返すと、この態度も納得である。


 ただまあ、短期バイトの頼みが断られ続けた原因は、片山先輩の一件だけが原因じゃないよな……と僕が考える中、女子更衣室の扉が開き、そこから八坂さんが姿を現した。


「着替え、終わりました。サイズも問題ないと思います」


「良かった~! 朝倉ちゃんにも言ってたけど、八坂ちゃんも本当にありがとうね~! 今日から四日間、よろしくお願いします!」


 パチン、と大きく音を響かせて手を合わせた六郎丸先輩が、深々と頭を下げる。

 その隣でこのファミリーレストランの制服に身を包んだ八坂さんへと目を向けた僕は、どこか新鮮さを感じていた。


 高校時代は学生服を結構な頻度で見ていたし、大学生になってからは私服姿をほぼ毎日のように見るようになったわけだが……白のワイシャツにワインレッドのネクタイ、下半身は黒のパンツとエプロンという今の八坂さんの姿は、似合っているのだが見ているとどうにも落ち着かない気分になってしまう。


 別にいやらしい格好をしているわけじゃあないんだけどなと思いながら、挨拶に仕事前の向かう前に髪を整える八坂さんの姿を気恥ずかしさを覚えながら見ていた僕へと、六郎丸先輩がひそひそ声で話しかけてくる。


「かわいい子じゃない、朝倉ちゃんの彼女! 大学入学早々に彼女なんか作っちゃって、いいキャンパスライフを送ってるじゃないの!」


「前にも言いましたけど、八坂さんと僕は付き合ってるわけじゃありませんよ。勘違いしないでください」


「照れんなって! 俺と会った時もそうだけど、ほぼずっと一緒にいるわけだし……何より、コンパでお持ち帰りもしたんでしょ? 真面目そうな顔して、朝倉ちゃんは手が早いんだから!」


 そう言いながら肘で僕の脇腹を突き、からかってくる六郎丸先輩。

 こう見えて邪気がないというか、本気で僕たちのことをカップルだと思っているし、お似合いだと思いながら言ってくるのが厄介だ。


 悪い人じゃないし、むしろ見た目に反して真面目でいい人なんだろうけど、どこかズレてるよなぁ……と六郎丸先輩のいい部分と悪い部分を目の当たりにする僕へと、彼が言う。


「まあさ、このバイトも五月の一日までで終わりだし、GW後半は予定とかもないっしょ? がっぽり稼いで、二人で温泉にでも行ってきなよ。混浴なら、あのボインを見放題、揉み放題だぜ~!?」


「いや、だから――!」


「お待たせしました。店長さんに挨拶に行きましょう」


 ちょっとシモな話に踏み込んだ六郎丸先輩に注意しようとしたところで、八坂さんが声をかけてきた。

 その声にパッと反応し、僕たちの前に立って店長さんの下へと案内し始めた先輩は、振り向き様に「頑張れよ!」と余計なエールを視線で送ってくる。


 はぁ、とそんな先輩の態度にため息を吐いた僕へと、八坂さんが歩きながら質問を投げかけてきた。


「朝倉くん。さっき、六郎丸先輩と何を話していたの?」


「えっ? あ、ああ、その、バイト代のことだよ!」


 一瞬、本当に一瞬だけ、白いワイシャツに包まれた八坂さんの大きな胸に視線を落としてしまった自分に嫌悪感を抱きつつ、ギリギリ嘘ではない答えを返す。

 まさか彼女に混浴だのボインだのという話なんかできないよな……と焦りながら考える僕に対して、八坂さんは神妙な顔で頷きながら口を開いた。


「そうよね……やっぱり、朝倉くんも気になってるわよね……」


 淡々としているが、どこか困惑や警戒の色がにじんでいるその呟きを耳にした僕もまた、難しい表情を浮かべた。

 八坂さんは少し勘違いしているようだが……彼女の言う通り、僕もこの短期バイトの給料について気になっている部分がある。


 そのことについて話したかったが、それよりも前にこの店の責任者である店長さんの元へと案内された僕たちは、先に挨拶を済ませてしまうことにした。


「失礼しま~す! 店長、ヘルプの子たち連れてきましたよ~!」


「ん? ああ! ありがとうね、六郎丸くん! えっと、朝倉くんに八坂さん、だったよね? 本当に急な話でごめんね! 助かったよ!」


「あ、いえ、その、よろしくお願いします」


「こちらこそよろしく! 私は店長の細川です。短い間だけど、一緒に頑張ろうね!」


 細川、という名前に反して恰幅のいい店長さんは、ニコニコと笑いながら僕たちに挨拶をしてくれた。

 大学を現役合格しているのに丸なんて苗字の先輩もそうだが、色々矛盾しているなと思う僕に対して、細川さんが言う。


「今日はあんまりお客さんもいないし、六郎丸くんから話を聞いて、業務に慣れることに専念してよ。大丈夫、本当に簡単な内容だからさ」


「わかりました。頑張らせていただきます」


「そんなに固くならないで大丈夫だよ。朝倉くんは真面目だなぁ! あと、何か聞いておきたいことってある?」


「……じゃあ、すいません。一つ、確認しておきたいことが」


「うん? 何かな、八坂さん?」


「……お給料のこと、なんですが――」


 人当たりのいい感じで僕たちと話していた細川さんが、八坂さんの言葉を聞いた途端にピクッと体を震わせた。

 彼のその反応を見逃さなかった僕が目を細める中、八坂さんは細川さんへとどうしても気になっていたこのアルバイトの給料について質問する。


「このアルバイト……時給がって、本当ですか?」


「……ああ、そのことね。うん、大丈夫。間違ってないよ」


「そんなに多く頂いていいんですか? お話を聞く限り、そこまで大変な仕事とは思えないのですが……?」


 ――そう。これが僕たちがずっと気になっている部分にして、六郎丸先輩がなかなか助っ人を見つけられなかった要因だ。

 何の変哲もないファミリーレストランの夕方から深夜にかけてのホールのアルバイトの時給が、五千円。普通に考えて、あり得ない額だろう。


 その異様な時給と六郎丸先輩自身の胡散臭い見た目、そして片山の事件という要素が見事に組み合わさった結果、どうにも不審な部分が多いと判断したみんなはこのバイトに参加することを断っていた。

 僕自身もきな臭いものを感じていたが、六郎丸先輩が不憫過ぎて了承し、そこに八坂さんもついてきた……というのが、このレストランで働くことになった経緯だ。


 改めてこの店の様子を確認してみたが、本当に何の変哲もないファミレスだと思う。

 お客さんの数も多くなく、特別な業務を行っている様子もない。普通も普通、どこにでもあるレストランだ。


 だからこそ、この異様に高額な時給が気になってしまう。

 どうしてこんなに額が高いのかと、そんな疑問を八坂さんがぶつければ、細川さんは笑みを浮かべながらこう答えてくれた。


「いや、私も本当は嫌なんだよ? でもね、深夜とはいえ繁忙期のGWで働けるホールスタッフが六郎丸くん一人だっていうのは流石にマズいと思ってね……本社からも人手は確保するようにって言われてるし、苦肉の策ってやつなんだよ」


「苦肉の策、ですか?」


「うん。やり過ぎかと思ったけど、急に人を集めるならこのくらいはしないとねぇ。仕事内容は本当に普通だし、犯罪とか危険なことに巻き込むことは絶対にないから、安心して! まあ、注意してもらうこともあるにはあるけどさ、本当に些細なことだから!」


「……わかりました。教えてくださってありがとうございます」


 雰囲気的に、細川さんに悪意はないことはわかる。僕たちを犯罪や危険なことに巻き込むつもりはないというのは本当なのだろう。

 しかし、彼が嘘を吐いていないわけではない。細川さんは何かを隠している……本能的に僕はそう思った。


(でも、ここで問い詰めてどうにかなるものじゃないしな。悪い人じゃなさそうだし、様子を見るか)


 色々と気になる部分はあるが、今は六郎丸先輩と細川さんを信用することにした僕は、そう結論付けると小さく頷く。

 これ以上の質問が出ないことを確認した後、細川さんは僕たちへと笑顔で言った。


「詳しい仕事は六郎丸くんから聞いてね! わからないことがあったら遠慮なく私にも聞いてくれていいから! じゃあ、改めまして……今日から四日間、よろしくお願いします!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る