第17話 喪失
その日、桃月葵の葬儀が行われていた。僕は白く、冷たい彼女を見たくなくて、葬儀会場の玄関で中に入ることを躊躇していた。
「あんた!」
喪服の女性が僕に詰める。胸ぐらを掴み、僕の顔の前で憤りを解放する。唾が僕の顔に飛び散る。
しかし、暗闇な世界を生き始めた僕にはその女性の顔が暗くて、誰か分からない。
「加賀美くん。あんた、葵を守るって言ったじゃない!」
その声に、その呼び方、三次さんか。僕は顔を上げる。しかし、やはり三次さんの顔は僕の目には映らない。
「どうして葵は自殺をしたのよ」
「僕にだって分からない」
「一緒に生活してたんでしょ!」
葵がなにを感じて生活していたのか。なにを思ってあの日、自殺したのか。そんなの僕にだって分からない。
「どうして、どうしてあの子が……」
虚無感に襲われて俯く僕には、三次さんの言葉は届いていない。
僕はあの日身体を重ねて、僕は満たされた。葵も満たせてあげれたと思っていた。僕たちは互いに想いあっていた。身体を重ねることで、いつも以上に温もりを感じた。
彼女が愛おしく思えた。
「ねえ!聞いてるの!」
三次さんの語気が強くなる。
「ごめん……」
咄嗟に謝罪の言葉を口にする。
「謝っても、葵は帰ってこないのよ!」
「ごめん」
「なんで俯いて私の顔を見ようともしないのよ!」
「ごめんなさい」
「あんたなら、あなたなら、葵をちゃんと守ってくれるって、守ってくれるって……」
歯を食いしばりながら三次さん、声を殺して涙を流す。大切に思っていた葵が自殺した、三次さんが激昂するのも至極当然のこと。
「三次さん、僕が葵の抱えていたものに気づけなかった。本当にごめん」
謝罪しても、彼女は生き返ったりはしない。それは分かっている。でも、僕が今できることは守ってやれなくてごめんと謝罪するこもしかできない。
泣きたい気持ちは僕にもある。でも気持ちだけで、涙が溢れてこない。
――べシッ
「あんたが、あんたがそんなにナヨナヨしてるから、守れるものも守れないんでしょ」
左頬に感じる、痺れるような感触。あぁ、ビンタか。
「ごめん」
「信じてたのに……」
僕を叩いた後、三次さんは膝から崩れ落ちる。両手で顔を覆い、声を殺して泣いた。僕は三次さんが泣くのをただ、ただ見ていた。
数分して、落ち着きを取り戻した三次さんが僕に謝罪した。やり場のない怒りと悲しみを僕に当ててしまったという。だけど、その怒りを僕に当ててくれた事を僕は感謝した。葵を守れなかった僕は僅かでも裁きを受けれた。そんな気がした。
――――――――――――――――――――――
結局あの日、僕は最期に彼女の顔を見れなかった。
葬儀の日から数日が経ち、僕は机の上に遺された手紙の前に立つ。この手紙は読みたくない。この手紙を読んだら、もう二度と葵からのメッセージは届かない。だから、僕はこの手紙を捨てようと考え、手に取る。すると、スルリと重なった手紙が落ちた。
葵は僕の他にもう一人、遺書を残していたらしい。その手紙を床から拾うと、それは三次さん宛だった。僕は読まないにしても、葵のことが大好きな三次さんは必ず受け取りに来ると思い、三次さんに連絡した。
数分後、三次さんから今から受け取りにくるという旨の返信が届いた。
さらに数十分が経ち、玄関のインターホンが鳴り三次さんをリビングまで招く。
「これが葵が遺した手紙だよ」
三次さんに葵からの手紙を両手で受け取り、大切に抱きしめる。
「泣いちゃうかもしれないけど、ここで読んでも良いかしら」
「うん。僕は部屋に戻っているから、また何かあったら呼んでよ」
「ええ、ありがとう」
そう言って、僕は自室のベッドに寝転んだ。
『陽向くん、起きて』
『あぁ、え、葵……』
目の前には、死んだはずの葵がいつものようにエプロン姿で、ご飯できたよと僕を目覚めさせる。その姿に僕は動揺する。
『なに?美人家政婦の葵さんだけど。変な夢でも見たの?』
心配そうな眼差しで僕を見つめる。
『うん、葵が死んだ夢見た……やけに、リアルだったんだよね』
『もう……細胞レベルで私が好きなんだね』
呆れた口調でいて嬉しそうな顔をして、葵が言う。
『あぁ、そうかも』
『素直だね』
『僕は素直な人間だからね』
いつもと変わらない、何気ない会話が心底嬉しかった。
『ご飯できたから食べよ。今日はハンバーグ作ったの』
『最高だね。早く食べたい』
『じゃあリビング行こ』
うん、と頷きベッドから出ようとする。しかし、身体は鉛のように重く、動くことを許さない。
おい、どうしてだ。どうして僕の身体が言うこと聞かないんだ……。
――コンコン
扉を叩く音で、夢の世界から現実世界に引き戻される。ゆっくりと扉が開く。
「リビングに来て」
三次さんの召集に従って、リビングに戻るとそこにはおそらく三次さんが作ったであろう料理が並べられていた。
「どうして?」
「加賀美くん、全然食べていないでしょ。頬がコケてるもの」
そういえば、ここ数日固形物を胃に入れていないな。よく生きながらえていたものだと、自分に感心する。
三次さんに感謝して、並べられた料理を口に運ぶ。
「美味しいよ。ありがとう」
でも、何か物足りない。三次さんの料理の腕を問えば、誰に聞いても満場一致で上手だと言うだろう。だが、僕には葵の味を思い出してしまい物足りなく、寂しい気持ちになる。
「ええ、それで手紙に書いていた内容にすごく不思議なことが書いてあったの」
真剣な面持ちで三次さんが言葉を続ける。
「手紙の最後に、私たちの世界とは異なる世界線があるって」
「…………」
急に別の世界線があるだなんて言われても、脳の処理が追いつかない。
「えっと……それはどういうことなの?」
僕は混雑した脳を整理する。突拍子もない空想じみたことを言われても僕には咄嗟に理解することができるほど賢くはない。
「私たちは私のことをちゃんと過去にして、生きてほしいって」
「僕は葵のことを忘れろって……」
「忘れてなんて言ってないわ。過去にしろって」
そんなの言われなくても言葉は理解している。でも、僕はそんなに器用な人間ではない。過去にして、なんて言われてもできるわけない。夢の葵が言ってように、僕は細胞レベルで葵のことが好きなのだ。彼女がこの世界から消えて数日経ったが、今だって声も鮮明に覚えている。
だから。
「僕は葵を過去にはできない」
それは。
「僕が弱いから」
僕は気づいたんだ。
「細胞が、嗅覚が、聴覚が、触覚が葵を求めているんだ……」
夢にも葵が出てきて、いつものように明るく微笑む。
だから、僕が葵を過去にすることは無理だ。
その後のことは、もう覚えていない。僕が何を言ったのか。三次さんが何を言ったのか。
ただ、涙を流しながら立ち去る女性の後ろ姿しか僕は覚えていない。
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