第16話 好き
三人での旅から数日経ち、僕たちは晩ご飯を食べている。
「物騒な世の中だよね」
「そうだね。気をつけないとね」
味噌汁を啜りながら、五分ほどのニュースに流れる通り魔事件やウイルスの蔓延の情報をいつものように右から左へと情報を流す。
そう言えば、と前置きをして言葉を発する。
「葵、君は死ぬの?」
不意な質問に彼女は唖然とする。僕の言葉足らずのその問いに、言葉を付け加える。
「病気なの?」
「あぁ……私は病気ではないよ。ほら、元気だし!」
細く白い腕に小さな力こぶをつくる。
「じゃあ、どうして死んでしまうことが確定しているように言うの?」
ここ最近は、ずっと彼女の死について考えすぎてしまっている。だから、その悩みを解消したかった。
「それは、言えないよ……」
「本当に死んじゃうの?」
「本当に死ぬよ」
僕の心はドッと沈む。本当は死んだりしないよ、と言って欲しかった。いつものように揶揄いの笑みを浮かべて、僕を騙されたねと揶揄って欲しかった。でも現実は違った。葵は本当に死んでしまうらしい。なら、それはいつなのか。
「それはいつなの?」
僕は真剣な眼差しで問いかける。冗談、揶揄うのは無しだと、伝えるためにもしっかりと彼女の目を見つめる。
「それは言えない……」
ばつ悪そうに苦笑する。
「葵が居なくなったら僕のご飯はどうするの?」
「彼女さん作りなよ。顔はそこそこ良いんだから、ね?」
「そっか……」
そう言うことじゃないんだよ。僕の舌は葵の料理に慣れてしまったんだ。いつも、彼女の味を求めている。たった数ヶ月なのに、まるで細胞が彼女の料理の味を欲しているかのような。
僕は君の作るご飯を食べたいんだ。だから、新しく恋人を作るなんてことは、僕の考えにはないんだ。
俯きたくなる気持ちを抑えて、食器を下げ、ソファに仰向けに寝転ぶ。このどうしようもない、当て場のない感情をどう昇華すれば良いのだろうか。
『君はどうして死ぬんだよ。僕は君が好きだっていうのに……先に置いていくなよ……』
ニュースからドラマに変わったテレビの音声が耳に届く。本当にそうだよな。先に逝くなよな、と恋人に先立たれたドラマの主人公に共感する。
「どうして心配してくれるの?」
すると、僕の顔を覗くように葵に整った可愛い顔が目の前に近づく。ほらほらと言って、僕が独占していたソファに葵も座ろうと僕の太もも辺りを軽くはたく。仕方なく体勢を変えると、ソファはもう一人座れる余裕があるのにゼロ距離に位置する。
「ねぇねぇ、どうして心配してくれるの?」
「死んでほしくないからだけど」
「どうして私に死んでほしくないの?」
僕は葵と関わりすぎた。だから、情が生まれてしまった。最初は僕に気持ちの変化が生まれるなんてこれっぽちも思っていなかった。この関係がいつ壊れても問題ない、そう思っていた。でも今は違う。
「僕は葵とこれからも一緒に居たいんだ」
「それって、もうプロポーズじゃん」
照れたように、それでいて幸せに満ち満ちた笑顔でボソッと呟く。
「そうだよ。僕は君がいつの間にか好きになってた」
「告白だね」
「告白だよ。僕は葵が好きだからね」
「素直だね」
「口にないと伝わらないって言われたからね」
嬉しそうに何か呟いたが、僕には聞こえなかった。
「私は幸せ者だよ。私もね……」
僕は唾を飲み込み、彼女の言葉を待つ。
「私もあなたが好きです。ずっと好きです……だからもっともっと一緒に居たかったし、このまま生活をいつまでも続けたかった」
次第に葵の瞳には大粒の雫が浮かび上がり、ぽつりぽつりと一滴ずつ流れ落ち始める。
「本当は、死にたくない。死にたくないの。だけど……だけどしょうがないの……」
泣きじゃくる弱音は嗚咽で、言葉が途切れ途切れになる。
「私は……ゔっひなだぐんの……っ恋人にっ、なりたがった……」
彼女の声は次第に濁音だらけになり、僕には聞き取ることができなくなっていく。
「葵、君が好きだって何度でも伝える。僕はこれから先も、一緒に過ごしたい。最期がいつかは分からないけど、でも、その日まで僕は君の隣で過ごしたい」
「ゔん……ゔん……」
葵は赤く、少し腫れた目で泣きながら頷く。そんな彼女に僕がしてあげられることはただ一つ。
あの時よりももっとずっと優しく彼女を抱きしめてあげることだけ。そして、彼女は泣いた。泣いて泣いて、とにかく泣いた。
数分、それとも数十分経ったかは分からない。腕の中から感じる好きな人の温もりはとても温かかった。だから、数分も数十分もあっという間で時間の感覚なんて分からなかった。
『あっ、あっ……もっとっ、すきっ……あっ、だめぇぇ』
横で流れるドラマはいつの間にか終盤に差し掛かり、主人公の恋人とのベッドシーンの回想だった。
長くも短い抱擁の後、僕たちは唇を重ね合わせた。初めての接吻だった。
初めてのキスはしょっぱかった。
そしてその日、僕たちは身体を重ねた。ベッドに散る赤い血を見て、さらに愛おしく感じた。僕は温かく、綺麗な彼女の身体を独占した。今後、この子を誰にも渡さないという強い独占欲を剥き出し、何度も何度も抱いた。僕の力が果てるまで、何度も何度も満たされた。
翌日、目を覚ますと葵は僕の目の前から居なくなっていた。
そう、彼女は死んだ。
死因は、自殺だった。
テーブルには手紙が遺されていた。しかし、その手紙を僕は読むことができなかった。
彼女の死と同時に強制的に僕たちの同居は終わった。充実した、たった数ヶ月はあっという間だった。
葵の死は僕にとってはバッドエンドだった。
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