第12話 抱擁

 自宅から約一時間半、目的地途中にあるパン屋に訪れていた。


「オシャレだねー」

 

 木目調のオシャレな外観に突立つレンガの煙突。外まで広がるこんがりとした小麦粉の香り。その場にいるだけで幸福感を満たされる。


 香りに誘われ扉を開くと、目の前に広がる様々な種類のパン。メジャーなあんぱんやクロワッサンからクロワッサンを縦に裂き、ブロック状の固形チーズを挟んだものなど様々ある。

 

 平日ということもあり女性客が多く、どこか場違いなのではないかと不安になる。


「早くおいでよ」

「あ、うん……」


 葵に催促され、彼女の横まで歩み寄る。


「あ、トレー取り忘れた」

「一緒に取ろうよ」

「そうだね」


 取り戻るのも面倒臭いし、なるべく早くこのお店を出たい。なぜだか、周りの雰囲気にすごく緊張してしまう。


「沢山あるけど、どれが良いかな?全部美味しそう」


 まだ食べてすらいないのに、ヨダレの垂れそうな幸せそうな顔。


「すごい顔してるよ」

「え、ほんと?」

「溶けそうな顔してる」

「失礼!すっごく恥ずかしいんだけど」


 片手で少し火照った顔を扇ぐ。


「どれ選んでもハズレがなさそうだね」


 ポツンと僕が呟く。端から端までの全てのパンに目を奪われる。どれもが主役であるにも関わらず、エゴを出さず引き立て役にも回れる。

 

「だね!全部食べちゃう?」

「ふと……」

「それは本当に失礼なやつ。女の子に太るとか言わない」


 頭にチョップをされる。全然痛くないけど、声のトーンが下がっていることに僕は気づく。これはツッコミとかじゃなく、本気の注意だ。


「奢らせて下さい……」

「お金で解決しようとしないの。……もうっ」


 呆れた表情の葵。彼女の顔が怖くて見れない僕。だが、次の瞬間には彼女は目をキラキラさせ、パンを見つめていた。


「どれにする?」


 口調が戻ったようで僕に尋ねてくる。


「僕はこれにしようかな」

「マリトッツォじゃん!」


 イタリア発祥のパンに大量のクリームを挟んだ伝統菓子。少し前に流行していたもので、久しぶりに目にしたから食べようかなと。疲れた身体に糖分は良いって聞くしな。


「決めたの?」

「これとこれと……あとあれも食べたいしなー」

「全部買いなよ。後で食べれば良いんだし」

「それもそうだね!あと、一口ちょうだい!」

「はいはい」


 一口くらいなら、全然大したことない。雪見だいふくでもあるまいし。


 ありがと、そう言って専売特許の太陽のような笑みを浮かべルンルンでパンをトレーに取っていった。


 結局、葵はパンを六つ買っていた。

 

 ――――――――――――――――――――――


 今日の最高気温であろう時間になる。僕たちは入場料を払い、崖を登ったところで目的地に到着した。

 

 アニメ映画のモデルにもなった場所で、岬の断崖絶壁に建てられた朱塗の観音堂からは水平線を眺めることができる。階段を下れば脇道も続いており、その通りに従い進むと小さな石造りの塔がある。そこから観音堂を見上げる景観も人気だそうだ。

 

 海風が吹き付け、涼しさを感じる。


「涼しいねー」

「そうだね」

「綺麗だねー」

「そうだね」

「海だねー」

「そうだね」

「崖だねー」


 この流れに既視感を感じる。だから、僕がやることはひとつ。


「そうだね。僕たちだけだね」


 そう、葵の流れを遮ることだ。


「変なこと考えないでよー?それより……」

「どこで写真撮ろうか」


 彼女の言葉を流す。会話の主導権を与えてはならない。ろくな事を提案しないのだから。


 不服そうにする彼女には目を向けず、撮影場所を考える。


「盗撮くん的にはどこが良いと思う?」

「そのあだ名を久しぶりに聞いたよ」

「リスペクトしてるから」

「はい、はい気に入ってるんだね」

「せいかーい」


 人混みで言わなければもう、盗撮くんでもなんでも良い。

 

「……あそこにしようよ」


 朱色の観音堂の柱と柵、そして後ろには広がる水平線の青と島々の緑をバックにした写真が葵には合うと思った。


 海面を照らす太陽の光と彼女を照らし合わせ、それに似合う朱色の建物。良いんじゃないだろうか。


「良いねー!」


 そう言って葵は、軽やかな足取りで僕の示す立ち位置まで移動する。


 穏やかな波と彼女の雰囲気が絶妙にマッチする。彼女がポーズを取り。


 ――パシャッ!


 一枚。


 ――パシャッ!


 もう一枚、また一枚とシャッターを押す。何枚か撮り終える。


「見せて見せて!」


 わくわくした表情で僕の目を見つめる。葵の横につき、今撮った写真を表示する。すると彼女が肩で切り揃えられた髪を片耳にかけ、僕の手元の液晶モニターを覗き込む。


 彼女から香る甘い香りと薄着の服に視線を一度寄越し、逸らす。岬に建てられた建物ということもあり、高校時代のあの堤防よりはるかに綺麗に景色が見える。下を向くと、当たり前だが海面からは高さがあり、岩に白波が打ちつける。


「……うわぁ!」


 あまり高いところが得意でないことを完全に忘れていた。あまりにびっくりして思わず声が出てしまったじゃないか。

 

「急に大きな声出さないでよ。びっくりしたぁー」

「ごめ……いつもの仕返しだよ。ビビるとは思わなかったよ。」


 少しの意地悪で揶揄ってみる。

 

「いやいや、びっくりしすぎてバランス崩して落ちたら悔やんでも悔やみきれないよ?」


 ど正論。

 

「……ごもっともです。すみませんでした」


 なんだか今日は叱られてばかりな気がする。だが、今に関してはぐうの音も出ない。完全に僕が悪かった。気分を変えるためにも、感想を聞こう。


「どう?」

「え、すっごく綺麗だよ。大満足!」


 ピースサインを僕に向けて、真上の太陽のように微笑む。


 モニターに映るのは、海風に靡く髪を微笑みながら抑える彼女と、雲ひとつない空に穏やかな海面。それは心の底から感嘆するほどに美しい世界を写し出していた。


「ありがとう。素直に嬉しいよ」

「どうして心がひねくれてるのに、こんな綺麗な写真が撮れるの?」


 おい、この子もこの子で大概、口から出る棘が大きい気がする。


「素人紛いの写真だけど、強いて言うなら心が素直だからね」

「ほんとは?」

「被写体が素晴らしいから、綺麗に見えるだけだよ」


 僕の実力の百パーセントを、葵という被写体が百二十パーセントにしてくれているだけ。


「結構、恥ずかしいことを面と向かって真顔で言えるタイプなんだね」

「素直だからね」

「心と心の間で矛盾が起きてるね」

「やかましい」


 次はどの辺りで撮影するのか。それとももう、終わりにするか。


「これからどうする?」

「うーん、どうしようかな……」

「なら、あの石造りの塔に行ってみようよ」


 脇道を抜けた先にある小さな石の塔。下から見上げる崖の上に建つ、この朱色の観音堂を眺めるのも悪くないだろう。


「水しぶき気持ち良いね」


 岩に打ちつける水しぶきが暑い日差しの影響もあり、数割り増しで気持ちが良い。


 僕の予想通り、下から見る断崖絶壁にそびえ立つ朱色はそれは本当に。


「……綺麗だ」

「……ありがとう」


 僕の目の前には耳を赤くした美女が一人。僕の脳は照れた葵にハテナが浮かぶが、すぐ理解した。


 自分が言われてると思ったな。本当に自己肯定感が高くて見習いたいくらいだよ。


「……うん」


 君じゃないよ、と言うのも野暮なもんだから僕は肯定する。


 そう言う僕も少し照れる。どんどん顔が赤くなる彼女の照れが僕にも伝染した。


 互いの間に流れる無言の時間。流石にむず痒さからか、居心地が悪くなり僕が再び口を開く。


「そろそろ、日も暮れ始めたし帰ろうか」

「……あ、あ、そうだね。帰ろぅ」


 キョトンとして未だモジモジ何か言いたげな葵。


「どうしたの?ちょっと前からおかしいよ」

「えっ?」

「あ、暑さで頭やられちゃったのか……」


 海辺だから海風で多少は涼しいとは言っても、正常な思考を奪うには楽勝な気温だ。


「失礼……」


 葵がボソッと。

 

「ごめん、なに?」

「失礼!ねぇ、盗撮くん」

「はい!」

「これから大切なことを伝えるね」


 無意識に背筋が伸び、ゴクリと唾を飲み頷く。


 僕の直感が告げた。神妙な面持ちの彼女の言葉を素直に聞け、素直に受け取れ。


「私、死んじゃうの」


 真剣な眼差し。


「そりゃ死ぬだろうね。僕もいつかは死ぬんだから」


 僕は平然を装う。僕の発言は、おそらく的外れ。葵の言うことを受け入れたくなかった。


「ちがう、そうじゃなくて。もうすぐ死んじゃうの」


 下手くそな、似合いもしない作り笑いを浮かべ、頬に涙を流す。


 僕の直感はこう告げた。葵を優しく抱きしめろ、と。


「えっ……」


 今の僕には彼女の表情は見えない。どんな顔をしているんだろうか。声を聞くに、急に抱きしめられて驚いているんだろうな。


 肌は僕より断然柔らかく、ギュッと力を入れてしまえば折れてしまいそうなほど、か弱そうな身体。そして、彼女の温もりが温かい。


「……何か言ってよ」


 弱ったな、と僕の胸で葵が苦笑する。


 僕の言葉はなんの慰めにもならない。僕は葵が抱えてきた苦しみを何ひとつ理解していなかった。それどころか一緒に生活をしているのに気づいてすらいなかった。


 そんな僕が、彼女に何を伝えたって無責任なだけだ。それに、こんな時に慰めてあげる言葉を僕は持ち合わせていないし、何を言ってやれば良いのか分からなかった。


「ねえ、葵」

「どうしたの?」


 葵が抱えた腕の中で僕の顔を見上げる。でも僕は彼女の方に視線は向けない。


 だからこそ、僕は素直な気持ちを伝える。


「僕は君と生きたい」

 

 目と目を合わしていないからこそ、照れ隠しのひねくれた僕の心ではなく、素直な僕の気持ちを伝えることができる。


「ばか……段階飛ばしすぎだよぉ」


 ズズっと鼻をすすりながら、涙声で。


「でも、ありがとね」


 僕たちは長い間、抱きしめ合った。強く、それでいて優しく。不格好になったお互いの顔を暗闇が照らし隠すまで、僕は抱擁を続けた。


 いつ、葵が死ぬのかは分からない。もしかしたら、明日かもしれない。どうしてなのか理由も分からない。


 僕は僕自身のことすら完全には理解できていない。本当の自分はどういう人間なのか。本当は何を望んでいるのか。何が欲しいのか。真の意味で理解などできてはいない。


 だから彼女の全てを知ることはできない。どうして死んでしまうのか。なぜ死んでしまうのか。今、どんな気持ちで僕に伝えてくれているのか。

 

 だが、分からなくても考えることはできる。彼女がどうしてこの世からいなくなってしまうのか。不確定である未来をあたかも確定したような口ぶりで言うのか。


 自身のこと全てを完全には理解できていないが、僕自身のことに昔から分かっていることがひとつある。


 それは、

 バッドエンドよりハッピーエンドの方が好きだということ。

 


 


 


 

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