第11話 当選

 一日のバイトを終え、ヘトヘトで部屋に入ると既に寝巻き姿の葵が僕のベッドに寝転んでいた。部屋中に香る甘いシャンプーの香りが疲れを癒してくれる。


「ねぇ、これ見て!ほらほら」


 スマホの画面を向けて顔に押し付けるようにニコニコと言う、葵の横に座る。


なんだろう、すごく気になる。

 

「ほーら!前に言った宝くじの当選発表だよ」

「そういえば、当たるって威勢良く言ってたよね」


 僕は葵のあの時の自信に満ち溢れた表情を忘れてはいない。


「あの時に私に向けた軽蔑するような視線、私はすっごく覚えているの。だからね、ほら!」


 ドヤっとした顔をして、早く見ろと言わんばかりにスマホを押し付けてくる。はいはい、と適当に返事しつつ彼女のスマホに向ける。


「62組437523当選」


 スマホに表示されたその画面に視線が釘付けになる。


「なんか言うことは?」

「おめでとう」

「なんでよ!たしかにありがとうだけどさ……」


 宝くじ当選と聞いたら最初に出てくる言葉はおめでとうしかないだろうに。僕には、それ以外の言葉は見当たらない。


「あの時の私を馬鹿にするような目をして……」

「ごめんなさい」


 こう言うのは素直に謝るのが吉。


「ところで何円当選したの?」

「1,000万円」

「すごいね」

「イェイ」

 

 十分すぎる金額に正直驚いている。せいぜい多くて数百万円程度だと思っていた。しばらくの間は、お金には困らないだろうな。


「何か買うつもりなの?」

「とりあえず、リビング用のソファとテレビを買おうかな」

「それは僕も折半するから」

「あはは、そう言うと思ったよ」


 いくら大金が入ったからとはいえ、彼女に全額出させるわけにはいかない。


「じゃあ、しばらくの間バイト休まない?」

「はぁ……休まないよ。お金があるわけじゃないからね」


 馬鹿げた提案をする彼女に頭を抱える。


「私にはあるよ」

「葵にはあっても、僕にはない」

「私が少しあるから、しばらくは陽向くんにも必要はないよ」

「そのお金を僕に使う義理はないよ」


 葵に対して何一つメリットがない。以前、彼女は損得で物事を判断しないと言っていた。けれどもそれとこれとは話が別だ。僕はヒモ男になる気は更々ない。


「それに将来の為に、貯金するのも悪くないと思うよ」


 貯蓄するのが賢明な判断だとは思う。1,000万円なんてすぐ使い切ってしまうのだから、そんなに焦る必要はない。


 すると、葵はどこか遠くを眺める儚い表情をする。


「私に将来なんて来るのかな」


 消え入りそうな弱々しい彼女に似つかわしくない声を僕は聞き漏らさなかった。


「君にも必ず幸せな将来がくるよ」


 だから、励ますようにそう言葉を伝える。今の僕にできることを、彼女に与える。僕にできるのは、たったそれだけ。


「そうかな?」


 不安そうに、こちらを見つめる葵にもう一度優しく。

 

「きっと幸せな未来が待ってる。きっと誰かが幸せにしてくれるよ」


 客観的に見れば、他人任せの無責任な発言。それでいて、適当なその場しのぎの励ましかもしれない。だけど僕には確信があった。必ず、誰かが彼女を幸せにしてくれると。


「うん!ありがとう」


 先程までのモヤのかかった曇り顔ではなく、いつもの太陽のような笑顔でニコッとした顔になり、僕の心臓はキュッと跳ねた。


「そっちの顔の方が似合ってるよ」


 やっぱり曇った顔より、晴れた顔の方が似合う。ずっと笑顔でいてほしい。


「へへっ、幸せだよ。ねぇ、お願いがあるんだけど良い?」

「僕ができることなら良いよ」

「じゃあ、陽向くんをどこへでも連れ出せる権利を一ヶ月に延長して」


 断ることはできる。しかし、許可したからには断りにくい。


「……良いけど」

 

 渋々の了承。


「やったー!ありがとう!」


 無邪気に喜ぶ彼女を見ていて嫌な気にはならない。正直、面倒という気持ちがゼロではない。だが彼女が笑顔でいられるのなら、安いものなのかもしれないな。


 ――ぐぅー

「ご飯温め直すから、ちょっと待っててね」


 下手な口笛を吹きながら葵がリビングへ向かう。その後を僕も追いリビングへと向かった。


 ――――――――――――――――――――――


 ズズっと味噌汁を啜る。相変わらず、一日の終わりの葵が作る味噌汁は身体に染みる。


「美味しいよ」

「ありがと。ところで明日どこ行く?」


 葵の言葉が僕の啜っている口を止める。良いとは言ったが、まさか明日からだと予想していなかった。


「明日からなの?」

「明日、大学休みだし」


 基本僕は昼間はバイトに出掛けているから、家に帰れば葵がいる生活が続いている。だから初耳ではあるが、おおよそ予想はできていた。


「でも残念ながら、僕は今日のバイトの疲れで明日は動けそうにないんだ」

「だからリフレッシュしに行こうよ」

「リフレッシュになるの?」

「写真撮るの好きでしょ。私を撮ってよ!」


 あの日、葵を盗撮したカメラ。この生活が始まる原因のカメラ。趣味としてカメラを握っていたが、ここのところ触っていなかったな。


「分かった。どこ行くの?」

「観音堂」

「写真映えするの?」


 観音堂と写真映えがどうにも結びつかない。僕にはカメラに関する技術がないから、若い女性の気に入るような写真を撮れる自信がない。


「チッチ、この観音堂見てよ」


 人差し指を立て左右に動かし、スマホの画面をこちらに向ける。画面に表示された観音堂は全体が朱色で景色も綺麗な場所に佇んでいる。


「こんなところあるんだ」

「私も知らなかったけど、有名らしいよ」

「へぇー、じゃあそこ行こうか」

「はーい!ありがとね、陽向くん」


 別にいいよ、と言いまた味噌汁を啜り手を合わせ、食器を洗うためにキッチンへと向かう。


 二人分の食器を洗い終え、自室に戻ろうとすると背後から声がかかる。


「洗濯物畳んどいたから、持っていって」

「あぁ、ありがとう。助かるよ」


 洗濯物ぐらい自分で畳めるのだから、わざわざ気を遣わなくてもいいのに。とても有難いが。


「葵、君は絶対に良いお嫁さんになるよ。だから必ず良いお嫁さんになる」


 断言する。こんなに気を遣って家事をしてくれている彼女が不幸せになるはずがない。


「ならお嫁さんにしてね!」

「どうだろ」

「照れ隠しー」


 葵が揶揄うように笑う。


「照れてないよ。それじゃあ、お休み」

「お休み。また明日!」


 同居初期は葵が僕の部屋によく来ていたが、最近は僕の疲れを感じた時は部屋に来ず、僕を一人にさせてくれる。そんな彼女に心の中で感謝し、自室に戻る。


 彼女との会話で、一日の疲れが取れたような気がした。

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