第2話 同棲

 草木が生い茂り始め長袖での生活もそろそろ限界を感じる。


 GWの土曜日ということもあり、広場には多くの家族連れで溢れかえっている。


 その集団を横目に、水分補給をするために近くのベンチに腰掛ける。


 最近は連日、五月にしては冷え込む日が続いた。今日も寒くなることを予想して、割と厚めの長袖を着用していた。しかし、今日は予想に反して昼間から太陽の日差しが強くなり、気温も高くなった。


 僕は基本的に天気予報というものを確認しない。だからこうして予想外の日差しに苦しめられている。背中と額に滲む汗が気持ち悪い。


 身体の体温を下げるために、購入した水を喉に通す。


 冷たい水が全身の細胞に染み渡る。一気に体力が回復したように感じる。


「お?この前の盗撮くん!」


 聞き覚えのある声。あだ名に心臓がキュッと縮こまる。


 声の聞こえた方に顔を上げると、目覚えのある肩辺りで切り揃えられた笑顔の女性。その女性が耳に髪をかけ、僕の顔を覗き込む。


「やっほ!」


 真上の太陽のように明るい元気な笑顔。どこか懐かしい笑み。


「そうですけど……久しぶりですね」

「盗撮中?」

「ちがっ……違いますよ」


 この人は何を言うんだよ。


「今日はなにしてるの?」


 今日はなにをしているか。特になにかしている訳では無い。だが強いて言うなら。


「写真撮ってます」

「ふふっ、それは分かるよー。今日は誰か撮ったの?」

「撮ってませんけど」

「盗撮は?」

「してません」


 悪い笑みを浮かべる女性。


「僕をなんだと思っているんですか?」


 ため息混じりにそう尋ねる。


「盗撮犯だけど」


 僕の世間から見た自分の評価は、そこらの平凡な一般人。だが向こうからすれば、たしかに僕は盗撮をした犯罪者。


 その言葉にぐうの音も出ない。


「はいはい、返す言葉ないからって黙らない!」


 人差し指を立て、僕の頬を小突く。


 二度しか会ったことがないのに距離感が近くて、少し調子が狂うな。


「……今日は何をしているんですか?」


 話題に困り、尋ねる。


「今日はひとりお散歩してたの」


 へー、散歩ね。僕もたまにするし何も変なことではない。


 それがここが市内の中心部ならの話だ。今日のこの場所は前回出会った場所から車で約一時間半も離れている。一人でお散歩ね。


「この辺に住んでるんですか?」


「え?ストーカーにグレートチェンジ?」


 質問して野暮なことを聞いていたことに気づく。流石に、見ず知らずの他人に住まいの場所なんて話したくないよな。


「すみません、つい。気持ち悪かったですよね」

「ふふっ、揶揄っちゃった。市内都心だよ。それに君は盗撮くんだからね」


 女性は意地の悪い笑みを浮かべる。僕に向けた盗撮と言う単語を聞いても、もう驚かなくなった。


 僕は盗撮犯だよ。


「ところで盗撮くん、一つお願いがあるのだよ」

「え?」

「お、ね、が、い。聞いてくれる?」

「嫌ですけど」

「盗撮」

「聞くだけ聞きます」


 聞くだけなら僕にはデメリットはない。


「だ、め!」

「何がダメなんですか?」

「聞くだけはだめ。聞いてちゃんと考えて」


 しっかり考えろとのこと。僕の考えが良くなかったな。


「はい。しっかり聞いて考えます」


 女性はニカッと笑顔になる。そしてオホンっと咳払いをして口を開く。


「盗撮くん、私と同棲してください」


 はいはい同棲ね、同棲。どう……せい?女性の提案を僕の脳は瞬時に理解できなかった。


「同棲?」

「そうだよ。同棲」


 同棲とは言っても、僕たちの関係は見ず知らずの他人。同棲なんてできるはずなかろう。


「はぁ……何言ってるんですか?第一お互いの名前も知らないんだし……」

「あ、じゃあ連絡先交換しようよ」


 スマホにQRコードを表示させ、僕に差し出す。僕はカメラを起動しQRコードを読み取る。


 《ももつき あおい(19)》


 プロフィールに表示された制服姿の笑顔な写真。名前の横には年齢が設定されていた。


 《H.K(19)》


 一方、彼女のスマホには僕のプロフィールが表示されていた。


「改めて自己紹介するね。桃月葵です。よろしく陽向くん」


 違和感を覚えたが、彼女に倣い僕も自己紹介をする。


「加賀美です。同い年だったんだ……」

「そうそう、同い年だよ。」

「なら、敬語なんて使わなくていいよね」

「うん!私も使ってないからね」


 たしかにそう言われたら、彼女は今日会ってからずっと敬語を使っていなかった。


「そうだね。じゃあ、僕そろそろ予定あるから」


 ベンチから立ち上がり、足早に去ろうとする僕の腕を力強く握られる。ニコニコとした笑顔。


「ね?」

「ね?とは」

「えへへ、話が逸れてるのになんで話を切り上げて帰ろうとしてるの?」

「はい」


 笑顔が逆に怖い。


 僕は大人しく引かれる腕に従い、ベンチに腰掛け直す。


「それで私のお願いは聞いてくれるのかな?」

「お断りします。僕にもあなたにもメリットがない」

「私は損得で物事を判断しない主義なの」

「僕は損得で物事を判断する主義なんだよ」


 損得感情で動かないとしても。いやそもそも、ほとんど初めましての人間といきなり同じ屋根の下で暮らすのは突拍子もなさすぎる提案だ。


 彼女はため息をつきながら、口を開く。


「盗撮」

「え?」


「犯罪」

「それは……」


「同棲」

「でも……」

「もう!でもでもうるさい!」

「なんで一緒に暮らすってなるの?」

「君と暮らしたいから」


 僕と暮らしたい、ですか。まぁ、何事も経験することは人生の糧にはなると思う。なら、この人生で滅多にないであろう見知らぬ他人との同居も経験をしてみるのもいいかもしれない。


 それに僕は盗撮犯だから彼女の指示に従う義務がある。人生に汚れをつけたくないしな。


「はぁ……わかったよ」

「よし!じゃあ、今から物件探しに行こうか」


 この子の思い切りの良さと行動力には敬意を払える。


「付き合うよ」


 どうせ断っても、付き合わされるんだ。


「いいねいいね!二人の愛の巣になるかもしれないもんね!」

「何を言ってるの。それにこの際だから言わせてもらうけど、同棲じゃなくて同居ね」


 僕と彼女の関係は、奇妙な同居人。彼氏あるいは彼女ではない。


「んー、小さいことは気にしない」


 懐かしいギャグを彼女は連発しながら、僕たちは物件探しへと向かった。


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