第16話 幻体

 魔王ヴェルギアと呼ばれた男は、体ごとこちらに向き直った。

 呼吸をしている様子はない。

 あくまで人間のような姿をしている魔物なのだ。

 周囲のスケルトンやリビングアーマーたちは、その場で直立している。


「誰だ貴様は。我を知っているのか」


 エコーがかかった、不気味に響く低い声だった。

 俺は額から汗が伝っているのに気づく。


「私は……私はルピナスの生き残りだ」

「ルピナスだと? ああ、そんな街があったな。いずれにせよ、民は皆殺しにしたはずだが」


 エトナの震えが止まった。

 恐怖を上回る怒りが彼女の全身を満たしている。

 飛びかかる前の猫のように、体を前傾させていた。

 短剣を抜き放つ音がする。


「母さんが逃がしてくれたのよ」

「そうか。しかし、それも無駄になったな」


 だらりと下げた魔王の両手に魔力が集まっていく。

 その指には、明らかに人間のモノではない鋭い爪が並んでいる。

 ローブの端から見える腕は紫色だった。

 俺は反射的にエトナの前に立つ。


「オイオイオイ、ちょっと待ってくれよ。なんで魔王様がこんなところにいるんだ?」


 魔王は答えず、赤く光る目でじっと俺を見た。

 何を考えているのがまったくわからん。

 少しで良いから情報を得たい。


「人間どもの抵抗がわずらわしくてな。しもべを集めていたところだ」


 特に隠すそぶりもない。

 俺のことをまったく脅威と感じていないようだ。

 そういえば、魔王は不死者を率いているって話だったな。

 魔王軍ってのはコイツが全部作り出したわけか。


「ふーん、よほど人手不足なんだな。護衛もつけずにこんな森の奥まで」

「護衛? くくく、なぜそんなものが必要なのだ。我を傷つけられるものなど、この世にいない」


 魔王ってだけあって自信満々だ。

 しかし、少なくとも不死者を作れるのは魔王だけのようだ。


「先ほどからしもべたちを壊していたのは貴様らか。邪魔をするなら死ね」

「ふざけないで! 死ぬのはあんたよ!」


 魔王が手をかざすのと同時に、エトナが踏み込む。


「待て、エトナ! コイツは俺が――」


 間に合わない。

【俊敏強化】を使ったエトナは一直線に魔王に向かって突き進む。

 俺はあわててエトナに【防御強化】を付与する。


 魔王の手のひらから黒い閃光が放たれる。

 どうやらレーザーのような攻撃魔法らしい。

 エトナは横に跳んで避け、【電撃】を魔王に向けて撃った。


 魔王は避けようともしない。

 空気を切り裂く電撃が、そのまま直撃する。

 巨体のまわりに火花が散った。

 それでも魔王は微動だにしなかった。


 一瞬で間合いを詰めたエトナが短剣を振り上げる。

 しかし、その刃が魔王の体に触れる前にエトナの体が吹っ飛んだ。

 地面を転がり、仰向けに倒れる。

 苦しそうに肩を押さえていた。


「エトナ!」


 走り寄ろうとする俺の元に、スケルトンたちがにじり寄る。


「どけ! 邪魔だ!」


 強化魔法を使いながら、俺は不死者たちを蹴散らした。

 リビングアーマーを槍で薙ぎ払い、石をぶん投げてスケルトンを粉砕する。

 この中には殺された盗賊ギルドのメンバーも含まれているのかもしれない。

 ただ、今はそれを確認する余裕もなかった。


「ふん。まだ息があるのか。少しは使えるようだな」


 魔王はエトナの元に歩み寄り、肩を踏みつけた。


「うっ! ああっ! あああああ!!!」


 エトナの顔が苦痛にゆがむ。

 魔王は苦しむさまを見て楽しんでいるようだった。


「くくく。痛いか? 私に楯突くとどうなるか、よくわかっただろう」

「てめぇ! やめろ!」


 俺は槍をつかみ、魔王に向かって駆け出した。

 自分でも驚くほどの激しい怒り。

 俺の心にはじめて殺意が芽生えた。


 それでも魔王を相手に、正面からぶつかるのはマズい。

 十分にわかっている。

 ただ、コイツは一発殴らないと気がすまない!


 魔王はエトナを踏みつけたまま、俺を見た。

 小さく鼻で笑い、手をかかげる。

 黒い光がひらめき、熱線が俺の胸を貫通した。

 静かな一撃だった。


「う、ぐ……」


 俺は地面に両膝をついて、胸を押さえる。

 目の前の魔王を見上げた。

 すぐそこだ。あと5歩でブン殴れる。

 エトナの故郷を滅ぼしただけでなく、痛めつけた。

 コイツは……コイツだけは!


「そこで見ていろ。まずはこの娘を不死者にしてやる」


 俺はうつむいて自分の胸元を見た。

 胴鎧には拳大の穴が開いている。

 普通の人間なら致命傷だ。

 魔王はゆっくりとエトナに目を落とした。

 その瞬間、俺は勢いよく立ち上がり、手のひらを魔王の胸元に向ける。


「貴様、まだ動け――」


【爆閃】


 言い終わる前に、光の球が魔王の上半身を包んだ。

 あいにく俺の胴体は空っぽなんだよ。

【攻撃強化】によって勢いを増した炎が、あたりを赤く照らす。

 轟音が木々を揺らした。


 肩から上だけになった魔王が、空中で俺を睨む。


「やるではないか。我が『幻体』を滅ぼすとは。レンと言ったな。覚えておくぞ……」


 残った魔王の体が紫色の霧になって消えていく。

 幻体ということは、本体はまた別にいるのだろうか。

 本体はもっと強いってことか?


 しかし考えにふけっているヒマはない。

 俺は残った不死者たちを槍で叩きのめし、土に還す。

 コイツらを残しておくと、また街道で人が襲われるに違いない。

 全員を片付けた後、倒れたままのエトナに駆け寄った。


 息をするたびに肩が痛むらしく、苦しげな表情だ。

 あのエトナが一撃で――。

 魔王は腕で軽く払ったように見えた。

【防御強化】を付与した状態で、これほどのダメージを負うとは。

 魔法だけでなく、物理攻撃の威力もずば抜けている。


「大丈夫か、エトナ」

「レン……あいつは……?」


「ひとまず追い払った。回復魔法は使えるか?」

「ええ。なんとかね……」


 エトナは横たわったまま、肩に手を当てた。

 いつもより小さな光。

 しかし、痛みは和らいだようだ。


 俺は慎重にエトナを背負うと、背負い袋のベルト部分を外してふたりの体を固定した。

 できるだけ振動が伝わらないよう、ゆっくりと歩き出す。


「悪いわね……。でも、歩けそうにないの」

「いいよ、大丈夫だ。まだまだ俺の魔力には余裕がある。街まで眠っていてくれ」


 強化魔法と攻撃魔法を同時に使ったことで、消耗はしている。

 しかし歩けないほどではない。

 ただ、近くに魔王が作り出した不死者がまだいるかもしれない。

 注意しながら来た道を戻り、ガザニアでエトナを治療してもらわなければ。

 俺は左手でエトナを支え、右手に持った槍を握りしめた。


 魔王が放った閃光は、俺の胸に風穴を開けた。

【防御強化】をかけていたにも関わらず、だ。

 しかも、実際に貫通するまで俺は反応すらできなかった。


 怒りに任せて突っ込んだことを後悔した。

 頭を狙われていたら、その時点で終わりだったのだ。

 もっと強くなる必要がある。

 そして、いつでも冷静に行動できるよう感情をコントロールしなくてはならない。

 大きな課題を胸に、俺は獣道を下っていった。




 帰路ではスケルトンに3体ほど遭遇したものの、エトナを背負ったまま撃破。

 幸いにも、鎧の体なら息切れすることはない。

 胸に空いた穴だけは背負い袋で隠しておく。

 小一時間ほどで、無事にガザニアまで戻ることができた。

 盗賊ギルドで長に事情を話し、ギルドメンバーから回復魔法を受けたことで、エトナの傷はかなり良くなった。


「すまなかったな。まさか、魔王ヴェルギアが絡んでいたとは」


 盗賊ギルドの長は眉間にしわを寄せながら、あご髭をなでた。

 俺に背負われたまま眠っている、エトナの横顔を見る。


「まあ、仕方ないよ。俺たちにとっても予想外だったし。殺されたギルドメンバーも不死者にされたと思うけど、やっつけちゃった」

「構わねえよ。むしろ感謝している。魔物に取り憑かれてこの世をさまようなんて不憫だからな」


 俺は報酬を受け取り、宿に戻った。

 背負い袋のベルトを外して、エトナをベッドに寝かせる。

 寝息は穏やかだ。

 回復魔法のおかげで、折れた肩の骨も修復されたらしい。


 長椅子に腰かけて、俺はため息をついた。

 体の大半が鎧とはいえ、さすがに疲れた。

 膝の上で両手を組み、目を閉じる。


 霧の立ち込めた森の中に、静かにたたずむ黒い影。

 禍々しい角と、兜の中で光る赤い目。


 あれが魔王か。

 今までは言葉でしか聞いたことがなかったから、実態がつかめないでいた。


 踏みつけられ、悲鳴をあげるエトナの姿。


 組んだ両手に力が入った。

 軽い気持ちで約束したが、今は違う。

 俺も覚えたぜ、魔王ヴェルギア。

 すべての体を取り戻し、てめえをブッ潰してやる!

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