第10話 エトナと組手、地図を読む
「まず左肩を前にして、両足を前後に開く。で、槍を水平になるように両手で持つ」
説明しながらエトナが槍を構えた。
フリルのついた白いブラウスに、メイドエプロンと黒のロングスカート。
そこに槍である。
コスプレでも見かけない組み合わせだが、そのギャップがまた良かった。
槍の扱い方を教わりながら、俺はひとりで萌えていた。
日が昇ると支度をして、公園の広場で訓練にいそしむ。
これはもはや俺の日課となっていた。
元の世界にいたころと比べて、明らかに成長速度が早い。
少しずつ強くなる感覚は大きなモチベーションになった。
短距離ダッシュとサイドステップ、バックステップ。
そして石の投げ込み。
全身を動かすことで鎧の操作にもかなり慣れてきた。
まだ自分の体そのものとはいえないが、日常で困ることはない。
「左手の中で槍をすべらせながら、右手で槍をまっすぐに突く。これが基本ね」
槍の穂先が空気を斬り裂く。
するどい突きだ。
生身で受けたら致命傷になるだろうな。
「槍は懐に入られると弱いけど、石突きの部分を使うって手もあるわ」
エトナはそう言って槍を半回転させる。
穂先の逆側にある先端部分が振り上げられた。
なんか先っちょが丸い金具で補強されてるな、と思ってたらそうやって使うのね。
「後は重さにまかせて叩きつけたり、横薙ぎにして足を払ったり。ってとこかな」
ぶうん、と刃音とともに槍が舞う。
俺のガチャガチャとした粗い動きとは違って、洗練されている。
「すっげえ~カッコいいなぁエトナ。槍も使えるんだね」
「そ、そお? 私の槍術なんてたいしたことないけど」
ほんのり頬を赤くしながら、まんざらない様子で微笑む。
くっ、可愛い。
ズルいぞ、その表情は。
俺はエトナから槍を受け取ると、教わった内容を復習した。
突き、払い、叩く。
距離を潰されたら石突きで迎え撃つ。
エトナのようにはいかないが、使えば使うほど体に馴染んでいく。
やみくもに空中を突くのではなく、強敵をイメージしてみる。
デスアント、キマイラ、そしてライム。
俺にとって有利な間合いを確保し、適切な攻撃方法を選ぶ。
敵の攻撃を予想し、かわして反撃に転じる。
シャドーボクシングってこんな感じなのかな。
「さて、そろそろ組手しようか。今のあんたならそこそこ戦えるでしょ」
「えっ? 組手って、エトナと戦うのかよ。俺、女の子を殴れないよ」
もちろん、エトナが強いことはわかっている。
しかし頭で理解できていても、目の前に立っているのは華奢な女の子なのだ。
身長は165センチぐらいだろうか。
お胸こそ立派だが、腰も手足もほっそりとしている。
逆に俺は重たい全身鎧を着込んだ男なのだ。
まあ中身は頭と左足だけだが。
身長だけでなく、肩幅や拳、足など全身がゴツい。
「舐めたこと言ってないでかかってきなさいよ。命がけなのよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ」
エトナは腰を落として、今にも飛びかかりそうな姿勢を取っている。
何も防具らしいものは身につけていない。
槍で突くなんて考えられない。
そもそもエトナのスピードについてける気がしないぞ。
「わかった、こうしましょ。私があんたに【俊敏強化】をかける。その代わり、あんたは私に【防御強化】をかけて。だったら思い切りやれるでしょ」
お互いの弱点を魔法で補うのか。
うーん、それなら……ということで、俺たちは互いに魔法をかけあい、向かい合った。
「じゃあ、始めるわよ」
エトナが両手をだらりと下げ、腰を落とす。
飛び込まれたら終わりだ。
俺は先制攻撃を仕掛けた。
小さく踏み込み、槍で足を払う。
エトナは地面を蹴って空中でかわし、一気に間合いを詰めてきた。
槍を半回転させ、石突きを振り上げる。
ぶん、と空を裂く音がした。
我ながら鋭い一撃だった――が、エトナはそれも読んでいた。
サイドステップで体ごと槍を回避し、ガラ空きの俺の胴体に掌底を放つ。
こらえきれず、俺の上体がぐらついた。
細い体のどこにこんなパワーがあるんだ?
エトナはかがみ込むと、後ろ足で円を描くようにして俺の足を払う。
仰向けに倒れた俺に向かって、エトナは容赦なく追撃してくる。
踏みつけるような踵蹴り。
スカートの中が見えそうになり、俺は集中力を欠いてしまった。
寝転んだまま蹴り上げるが、エトナは腕を交差してガードする。
そのスキに俺は起き上がり、再び槍を構える――
その後も俺たちは組手を続けた。
まだ俺はエトナには及ばない。
しかし、まったく相手にならないほど実力に差があるわけではなかった。
人間を相手に実戦での訓練ができるのはありがたい。
「はあ、疲れた。こんなところね。さすがに丸腰だときついわ」
エトナは額の汗をぬぐった。
俺も本気で戦ったが【防御強化】のおかげで怪我はしていないようだ。
ひとまずよかった。
「オッス、師匠。あざっした」
俺もしっかり疲労していた。
胴体がないのに不思議だが、そういうモンらしい。
短剣を使われていたら、あっという間に勝負はついていただろう。
エトナを魔物から守るつもりなら、もう少し強くならないとな。
護衛の旅は明日である。
今日はあまり無理をしすぎないほうが良いだろう。
俺たちはいったんエトナの部屋まで戻り、1階の酒場へと降りた。
酒場のテーブルの上で、俺はエトナに借りた地図を開いた。
紙のように見えるが、羊皮紙という素材のようだ。
相変わらず馴染みのない文字だが意味はわかる。
地図には俺たちがいる大陸が描かれていた。
中央が今いる街イニティ。
そして北側にずっと行ったところにはルピナスと書かれている。
「私の故郷よ。今は壊滅しちゃったけどね」
木製のジョッキをかたむけながらエトナが教えてくれた。
サラッと言ってるけど、かなり重たい話だ。
甘い匂いが漂ってくる。
果実酒だろうか?
「あんたも飲む?」
「いや、遠慮しとくよ。俺は下戸なんだ」
俺はまったく酒が飲めないわけじゃない。
ただ、酔っ払ったら明日からの旅にも響いてしまう。
それに俺はアルコールを摂取すると頭が痛くなるタイプなのだ。
「ふふ、下戸ねえ。確かに酒豪には見えないわ」
エトナは飲むと上機嫌になるタイプらしい。
まあ、機嫌が良いのはいいことだ。
俺は再び地図を目で追った。
イニティの南にはトリアの街があった。
ライムやチョビひげのおじさんがいた所だな。
東には戦場跡があり、そこを抜けると岩山の絵が描いてあった。
さらに東にはガザニアの文字。
ここがきっと明日から目指す街なのだろう。
「おう、待ったか? 何を見てるんだ」
背後からマウロが声をかけてきた。
俺の横の席に座り、給仕の女の子に酒を注文する。
「地図を見ていたのか。このガザニアって街が目的地だ。帰りは飛竜便で戻ってきたらいい。もちろん、費用はこちらが負担する」
おお、飛竜便。
竜に乗るとか最高にテンション上がるな。
せっかく剣と魔法の世界にいるんだから、こういった経験をしておかないと。
マウロが明日の予定を説明した。
夜明けに宿の前にある噴水で待ち合わせることになった。
穀物を乗せた馬車が2台。
御者とマウロの叔父さん、そして俺たちで行くらしい。
「なあ、お前らって付き合ってるのか?」
エトナが注文している隙に、マウロが小さな声で聞いてきた。
飲んでいた水がヘンなところに入り、俺はむせた。
「い、いやそういう関係じゃないけどさ」
「そっか~。彼女、可愛いよな。俺、狙ってもいいか?」
いいも何も、俺が決めることじゃない。
エトナに対して一方的に好意を寄せているだけだしなぁ。
気持ちもはっきり伝えたわけじゃない。
ただ、他の誰かが狙っているとなるとモヤモヤするぞ。
マウロはジョッキを持ってエトナの隣の席に座った。
「なあエトナ。今日は俺がおごるからさ。景気づけにパッーっと飲もうぜ」
「あっそう。じゃあこれも頼んじゃおっと」
陽気に飲み始めるふたり。
そういや、エトナってどんな男が好きなんだ?
いつも一緒にいるのに、そういう話はしたことないな。
知るのが怖かったのかもしれないが。
エトナは可愛いし、恩人だし、師匠でもある。
ただ、それだけじゃない。
いつの間にか、俺の中でエトナの存在がどんどん大きくなっていた。
あーあ、なんだよ。
こんな時ちょっと飲めたら良いのにな。
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