04. 転換



 ◇ 5 ◆


「がはっ」


 メセレットはその場に横倒しとなる。父親は気を緩めることなく、メセレットを見下ろす。メセレットは苦痛に歪む顔で父親に憎悪に満ちた目を向ける。


「このっ、卑怯者がっ!」


 そう、なにもなく地面を踏み抜くことなどあり得ない。地面を踏み抜いたのは、その場にあらかじめ穴が掘られ、なおかつそれがわからないように巧妙に隠されていたから。


 その前の位置取りからも、メセレットが地面を踏み抜く姿を見ても躊躇ためらいなく剣を振ったことからも、それは父親が前もって仕掛けていた罠で、メセレットを誘導したのだとわかる。


 誇り高いメセレットには、父親が剣と剣の勝負に罠を利用したことが許せない。


「メセレット殿」


 父親は眉一つ動かすことなく、静かに応える。


「これこそが筆頭剣士なのですよ」

「っ」


「筆頭剣士は陛下を守る最後の盾にして、影の者。玉体を守るためなら、どのようなことでも行う。卑怯卑劣はお手の物、それこそが筆頭剣士の在り方なのです」


 メセレットは傷の痛みも忘れ、驚愕に目を見開く。


「陛下が貴殿を筆頭剣士に選ばなかったのは、剣の腕が劣る故ではありません。清廉の士であり、同時に人々の憧れ、目指すべき手本である貴殿には影の役目を背負わせることはできない。そうお考えになられたからなのです」

「…………」


「貴殿こそが、いずれ国を支える柱石となる存在。陛下はそうおおせであられました」


 いつの間にか、本人すら気付かぬうちにメセレットの両眼から涙が溢れ出していた。


「そんな。わ、私は……、陛下を……」

「貴殿は」


 父親がさらなる言葉をメセレットに掛けようとした時。家の中から叫び声が上がった。




 ◆ 6 ◆


 父親は即座に身をひるがえし、屋内へと飛び込んだ。そこには父親が最初に倒した男たちと同じ闇色の衣をまとった二人の男がいた。

 一人はセラフミンを抱え、ハイレがその腕にかじりついている。一人は父親に立ち塞がる。


 父親は邪魔な男を一太刀で斬り捨てんとするが、この男は最初の男たちより腕が立つ。父親の剣を避け、密着し父親にこれ以上剣を振らせない。


 父親と男の目が合う。男は強い覚悟をその瞳に宿している。

 元筆頭剣士とまともに渡り合える者などそうはいない。この男は命を捨て、使命を果たそうとしている。父親と男は揉み合う。


 もう一人の男はセラフミンを連れ去ろうとするが、ハイレが邪魔をし、こちらも揉み合っている。しかし、子供のハイレでは抵抗が続かない。短い悲鳴と共にハイレは床に投げ出された。


 セラフミンを抱えた男が室内から逃れようとした時、揉み合う父親と男の横を一陣の風が吹き抜けた。


 それはメセレット。重傷を負ったメセレットが剣を手に躍り込んだ。一閃。セラフミンを抱える腕を斬った。男はセラフミンを取り落とす。


 だが、腕を斬り落とされた男もまた凡庸な者ではない。淀みのない動きでメセレットに反撃。重傷を負っているメセレットには避けられない。蹴りをくらい、もんどりと転がった。


 男は無事な側の腕をセラフミンへと伸ばす。組みついた敵を振りほどいた父親が、男へ走り寄り剣を振りかざす。振り解かれた敵が父親に追いすがる。


 父親の振り下ろした剣は避けられた。男は再びセラフミンへと腕を伸ばす。セラフミンへと届く寸前、ハイレが割り込んだ。


 父親は追い縋った敵を斬った。メセレットも起き上がる。


 男は一瞬迷いを見せ、ハイレに当て身をくらわせ、崩れるハイレを掴み、室内から飛び出した。


「ハイレッ!」


 父親は叫び追いかけるが、屋外へ出た時にはすでに男とハイレの姿は影も形もなかった。




 ◆ 7 ◆


 ハイレのことも心配だが、父親は一旦室内に戻りセラフミンの様子を確認することにした。室内ではメセレットが咳き込むセラフミンの背中をさすり、介抱していた。


「セラフミン、大丈夫か」


 父親は呼びかけた。セラフミンは顔を上げる。その顔は涙に濡れていた。


「父上、申し訳ありません」

「今は良い。それよりお前は大丈夫なのか」

「はい、僕は大丈夫です」


 メセレットはそのセラフミンの前で姿勢を正す。重傷を負った身でありながら、深々と床に額突ぬかづき最大限の礼容を示す。


「殿下。臣、殿下の御無事を心よりお慶び申し上げます」

「あっ……」


 セラフミンは戸惑い、父親へと視線を投げかける。額突くメセレットはそんなセラフミンの様子に気付くことはない。そのまま言葉を続ける。


「臣は許されぬ大罪を犯しましてございます。かつて民衆が王宮を襲った際、門を開き、暴徒たちを招き入れたのは臣でございます。

 両陛下の死も、国の崩壊も、全ては一身の愚かさ故。この罪は万死に値いたします。何卒なにとぞ、この罪深き臣に死罪をお申しつけ下さいませ」


 父親の言葉により、永年心を縛り続けた妬心から解放されたメセレットは、王家最後の生き残りである王太子へ心からの告白を行い、正当なる処罰を願った。


 ただ、セラフミンは応えることができない。父親へと視線だけで助けを求めた。


「メセレット殿」


 父親は呼びかけるが、メセレットは頭を上げることもなく強く拒絶した。


「筆頭殿、なにもおっしゃいますな。私は決して許されぬ身。生きていてはならぬのです。せめて正しく裁かれることで、この地にわずかなりとも正義を取り戻す一助となることが最後の御奉公なのです」


「メセレット殿」

「筆頭殿。どうか、この愚か者に最後の忠義を尽くさせて下さいませ」


「メセレット殿」

「これ以上、なにも仰いますな」


「いや、あの、メセレット殿……。セラフミンは王太子ではないのです」

「……え?」


 思わず顔を上げたメセレットと目が合うと、セラフミンはこくりと頷いた。


「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーー」




 驚き、しばし魂を飛ばしたメセレットを、父親は落ち着かせ、まずは傷の手当てを行う。

 茫然自失しているメセレットは為すがままにされている。傷口を洗い、薬を塗って布を当て、縛った後に改めて説明を始めた。


「このセラフミンは、王太子殿下の乳母として陛下に仕えておりました我が姉の子。血筋で言うのなら我が甥であり、殿下との関係で言えば乳兄弟となります」

「で、では、殿下は一体」


 動揺が収まらぬメセレットは、混乱したまま問いを口にする。


「もしや。殿下はあの日王宮と共に炎に巻かれ……」

「いえ、王太子殿下は生きておられます」


 メセレットは希望に縋り、父親に答えをうながす。


「民衆が王宮へと押し寄せたあの日、陛下は私に民衆を斬ることを禁じられ、王太子殿下を私に預け、共に落ち延びるようにと御命じになられました」


 メセレットは全身を耳にし、父親の話に聞き入っている。


「王宮から逃れた私は、あの日偶然休みを貰い王宮から下がっていた姉の下へと王太子殿下をお連れしました。

 しかし、あの日国内各所で民衆は同時に蜂起しており、姉の住む町も混乱と争乱の渦に呑み込まれておりました」


 父親は一度話を止め、ちらりとセラフミンに目を遣るが、セラフミンは大丈夫だと言うように頷いて見せた。


「荒れ狂う民衆を避け、姉夫婦の下へと辿り着いた時には、姉夫婦は暴徒に襲われ瀕死の状態だったのです。

 そして、虫の息となっていた姉よりセラフミンを託され、私はセラフミンと王太子殿下を連れ、辺境の地へと逃れました。

 その後、この地に身を隠し、セラフミンと王太子殿下を我が子として育ててきたのです」


「で、では」


 メセレットは気付き、顔色を青くする。父親は頷いた。


「そうです。弟であるハイレこそが王太子殿下、王家最後の生き残りであらせられます」


 メセレットはもはやその身を支えられず、その場に両手をついた。


「なんと言うことだ」


 先ほどとは逆にセラフミンがメセレットの背中を摩り、介抱する。しばし、背を撫でられたメセレットは落ち着いた。気を取り直し途端にまた興奮し、訴える。


「筆頭殿。こうしてはおれません。早く殿下をお助けせねば」


 父親は両の掌をメセレットに向け、落ち着くようにと口にした。


「メセレット殿。そのように騒がれては再び傷口が開いてしまいます」

「なにを悠長な! こうしている間に殿下が害されればなんとするのです。事態は一刻を争います。く助けに向かわねば!」


「どうか落ち着いて下さい。殿下がすぐに危うき目に遭うことはない筈です」


 メセレットはなおも反論しようとするが、かぶせるようにセラフミンまでもがしばらくは大丈夫ですと言ってきた。


 メセレットは不審そうに目を細め、説明を求めた。

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