03. 因縁



 ◆ 4 ◆


 春の終わりが近づき、季節が夏に変わろうとするある日の夜半。

 セラフミンとハイレが穏やかな寝息を立てるなか、眠っていた筈の父親は静かに目を開いた。


 そのままわずかな物音も立てることなく、布団を抜け出て、天井近くの横に差し渡している柱に手を伸ばす。父親は柱の陰から布にくるまれた長いなにかを取り出した。


 一度、子供たちの寝顔を確認し、そっと扉を開き外に出る。




 今日は新月。わずかな星明かりのみが地上を照らす。闇の中、外は静寂につつまれている。そう、山中であるこの場所で、虫の声すら聞こえることなく。


 不意に音もなく空気が揺れる。木陰から草叢くさむらから全身に闇色の衣をまとった六人の男が得物を手に跳び出した。狙うは父親。六人の男は一瞬で距離を詰め、父親を襲う。


 しかし、殺到した男たちの得物は空を切る。


 父親の体捌きは達人の域を越えている。その動きはふわりと舞う舞のようにも、鋭く射られた矢のようにも思われた。


 取り囲み、眼前にしながら、襲いかかる男たちには父親の動きをとらえることができなかった。六人の男たちは声を上げる間もなく叩き伏せられる。


 見える全ての敵を倒そうとも、父親は気を緩めない。



 応じるかのように木陰から新たな人影が現れた。その人物は地に倒れている六人の男たちを一瞥いちべつすることもなく、ゆっくりと父親へ向け歩み寄る。父親と向かい合い、目をらさぬまま礼を示した。


「筆頭殿。お久しぶりです」


 父親は目を細めた。


「メセレット殿か。随分変わられましたな」


 そう、父親はかつて、王宮に於いて筆頭剣士の役に就いていた剣士。そして、向かい合うのは元近衛隊隊長メセレット。当然、両者は互いを見知っていた。


 しかし、父親は声を掛けられるまでそれがメセレットであるとはわからなかった。理由はあまりに変わり過ぎていたから。


 国の『至宝』、若き俊英と呼ばれ、最年少で近衛隊隊長となったメセレットはその才のみでなく、容姿もまた国中の娘たちの胸を焦がすほどに優れていた。


 しかし、その輝くような面影は今はない。この年三十一歳の男盛りでありながら、その頭髪には白髪が交じり、顔は病んでいるかのようにみ疲れている。

 まるで十も二十も多く歳を取っているかのようだ。きらびやかな衣装をまといながら、陰鬱な気は隠しきれない。


 メセレットは昔なら一度たりとも見せたことのない皮肉な笑みを口の端に浮かべる。


「筆頭殿も変わられましたね」


 筆頭剣士として王のそば近くに仕えていた父親は、影となって王の身を守る筆頭剣士の役目から、高位官職でありながら宮中で雑役を行う身分低き者と同じ目立たぬ地味な格好をし、決して人目を引かぬように注意していた。


 しかし、今は。毛皮を身にまとい、蓬髪、無精髭の野人の如き姿。人目を引き、与える印象も全く違っている。


 この両者の嘗てとは異なる姿こそが、今の互いの立場を、その在り方を、あの日たがえたそれぞれの道を明確に示している。


 二人は穏やかに言葉を交わしながらも、互いに向ける視線や意識には親しみも懐かしさもまるでない。向けるは冷たい警戒心。わずかな緩みも許さない。


 父親は言う。


「まさか、メセレット殿が刺客として現れようとは思いもしませんでした」


 父親のこの言葉はメセレットの矜持きょうじに触れること。メセレットのまとう雰囲気が変わる。それまでの冷たく静かな警戒心が、抑えても抑えきれぬ怒気をはらんだものとなる。


 メセレットはその顔を歪め、わらう。


「王太子殿下の御命を狙う刺客は、そこに転がっている愚か者たちだ。私の目的は別にある」


 メセレットから刺すような殺気が溢れ出す。


「私の目的はただ一つ。筆頭殿、貴方あなたを倒し、私こそが国一番の剣士であると証明する!」


 メセレットはその腰にく、まとう衣装と同じく煌びやかな装飾が施された剣を抜いた。


 地上を照らすはわずかな星明かり。そのわずかな明かりしかない暗闇の中でもまごうことなく感じ取れる。メセレットから立ち籠める禍々しい殺気が。


 父親は短く息を吐き、その手にある長いなにかを包む布をほどきながら告げる。


「メセレット殿。貴殿の腕は衰えましたね」


 メセレットの怒気は膨らみ、まとう殺気はより兇悪なものへと変化する。


ごとを。私はこの七年間、新政権の指示の下、逆らう全ての武人たちを斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬りまくってきた。

 片時も休むことなく闘争に明け暮れる屍山血河の道を歩み、私はさらに腕を上げた。このような山中で、おままごとをしていただけのお前などに私を計れるものか」


ちたな『至宝』。貴殿は知らぬ。筆頭剣士、その言葉の持つ意味を、その覚悟を」


 父親が布を解ききった時、姿を見せたのは剣。なんの装飾も、鍔すらない一本の剣。まるで鍛冶見習いが初めて打ったかのような粗末なこしらえの剣を父親が鞘から抜いた。


「教えてやろう、筆頭剣士のなんたるかを」


 ただの粗末なだけの剣が、父親が構えれば言い伝えに出てくる神剣と見紛みまがう清浄の気を放つ。




 一足一剣。一歩踏み込めば、剣の間合いに入る距離を保ち、父親とメセレットは互いの気をぶつけ合う。


 清浄の気と禍々しい殺気。ぶつかり合う二つの気は渦巻く風を生み、木々を揺らし、草花を揺らす。


 どちらも押し込めない。両者が発する気は拮抗する。流れる汗が頬を伝い、地面へとしたたり落ちる。気は弾けた。


 二人は同時に踏み込んだ。


 メセレットは狙う。真っ直ぐに父親の喉元を最短最速の突きで。父親は払う。斬撃でもってメセレットの剣を払った。


 父親は剣を返し、脇腹を狙う。メセレットは素早く斜めに踏み込み進むことでかわしてみせる。


 メセレット、父親。両者は相手の左斜め後ろ、半ば背中合わせの状態に。わずかな逡巡も見せず、攻撃へ。半回転しながら繰り出す互いの剣はぶつかり合う。


 メセレットはそのまま父親の剣伝いに刃を滑らせ、剣を握る手首を狙う。父親はメセレットの剣を巻き取り、ね上げた。がら空きとなった胴を狙う。


 だが、これはメセレットの誘い。


 メセレットは足先から足首、膝、腰、脇、肩、肘、手首、指先までの全てを連動させた重心移動で、即座に撥ね上げられた剣を振り下ろした。


 父親は頭上から迫る剣を躱す。しかし、わずかに間に合わず、右腕の上腕を浅く斬られた。


 それでも、父親はただ斬られただけではない。こちらも浅くメセレットの右脇腹を斬った。



 両者は振り向き、向かい合う。


 ここまで両者に明確な差は見られない。繰り出した攻撃は同等。与えた手傷も同等。二人は油断なく構えながら、呼吸を整える。


 メセレットは一気に気を高め、攻め込もうとする。メセレットが動く寸前、父親は反応。微かに剣先を上げた。その動きだけでメセレットの気勢は制された。


 父親はわずかに重心位置を移動。メセレットは右足を引き、半身となる。父親は踏み込めない。


 メセレットは真っ直ぐに激烈な気を放つ。父親は体内で高めた気をもって、迫るメセレットの気を打ち消した。メセレットは父親が気を高めるために集中した一瞬を狙い、側面に回り斬撃を繰り出した。


 その動きを父親は把握していた。斬撃が届く寸前、気を放ちメセレットの意識をらしながら片足を引いた。メセレットの斬撃は父親をかすめただけ。


 両者は深く息を吸う。わずか一拍の静寂。



 父親とメセレット、両者はその相手を圧しようと発していた気を抑えた。同時に踏み込み、前へ。繰り出した剣は正面からぶつかり合う。止まらない。より速く、より巧みに、より強く。


 両者は足を踏み替え目まぐるしく立ち位置を変え、目まぐるしく剣を繰り出す。剣はぶつかり合い、軌道をずらす。今までのように躱せない。両者は無数の傷を負っていく。しかし、全ては掠り傷。どちらも決定的な攻撃は当てられない。


 両者は下がり、距離を取る。向かい合いながら、ゆっくりと回り、機を探る。


 父親が前に一歩出ればメセレットは下がり、メセレットが前に出れば父親は一歩退く。互いの距離は変わらない。

 父親は摺り足で右手へ動く。メセレットはその動きを追う。これ以上移動すれば森に踏み込む位置で、両者は足を止め、動きを止めた。


 気を高め、気を満たす。父親とメセレットは理解している。次の攻撃こそが最後の一撃となると。


 メセレットはゆっくりと剣を持ち上げ、上段の構え。父親は中段からゆっくりと剣を引き、脇構え。


 深く息を吸い、止める。


 踏み込んだ。放たれる裂帛の気勢。剣、技、気。持ちうる全てを、積み重ねてきた全てをこの一振りに籠める。


 両者は避けることなど考えもしない。意識にあるはただ一つ。この相手を斬る、それのみ。


 メセレットと父親の剣は交差した。迫る。


 だが、しかし。


 メセレットの踏み込んだ足は地面を踏み抜いた。剣の軌道がずれる。父親を掠めながらも空振り。


 父親の剣がメセレットの胴を斬った。

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