02. 兆し



 ◇ 3 ◆


 翌朝、親子の家の戸を叩く者があった。父親が扉を開くと、そこには見るからに実直そうな若い男性が立っていた。


「お初お目に掛かります。自分はボガレ伯父の甥で、ここから三日ほど川沿いに下ったチャモ村のタファリと申します。

 不束者ふつつかものではありますが、都邑の商家での見習いの年季が明けまして。これからは、独立してこの辺りを回る行商を始めることにしたもので、ご挨拶にとおうかがいさせていただきました」


「ああ、あなたがホガレさんの甥御さんですか。昨日、マルワズさんからお話を伺っていますよ。まだお若いのに自分で商売を始めるとは立派なものですね。

 そうですね、折角だ。次に回ってくる時でいいので、塩と薬をお願いできますか」


 タファリはわかりやすく顔をほころばせ喜んだ。


「ありがとうございます。塩でしたら、ちょうど運んできた分がありますので、すぐにご用意できます。ただ、薬というのは一体なんの薬になりましょうか」


「うちの子が少し身体が弱くて、よく熱を出すのです。熱冷ましなんかは山でも採れるのですが、なにか滋養強壮に効果があるものでもあればと思いまして」


「それは心配ですね。幾らか生薬の取り扱いもありますが、どうでしょう。医者の真似事とまではいきませんが、一度させていただければ、どんな薬が良いか詳しくわかるかもしれません」


 父親は軽く笑いながら手を振ってみせる。


「いやいや、そんな大袈裟なものではありません。なにか良さそうな物があれば試してみようかという話です」

「はあ、そうですか……」


 タファリは不承ながら頷いた。


「では、塩はまた後で届けさせていただきます。薬は次回お邪魔させていただく時に、幾つか見繕みつくろいましてご用意させていただきます」

「ええ、それで充分です。ありがとうございます」


 父親はにこやかに頷いた。



 タファリは父親に礼を述べ、丘を下っていく。父親は姿が見えなくなるまでタファリを見送り、屋内へと戻った。


 室内ではセラフミンもハイレも目を覚ましていた。ハイレは父親と顔を合わせれば、少し口を尖らせて訴える。


「ねえ、父上。僕もお客様と話がしたい。なんで、顔出しちゃいけないの」


 セラフミンは弟を止めようとしたが、残念ながら間に合わなかった。父親は少し弱った様子で眉を下げ、ハイレの頭を撫でた。


「済まんなあ。ただな、良く知らない人とはあまり話すものではないぞ」


 ハイレは頭を撫でられても、不満な様子は変わらない。


「えー、でも。さっきの人、ボガレおじさんの親戚の人なんでしょう。だったら、全然知らないって訳じゃないと思うんだけどな」


「それはそうだが、ほら、セラフミンは身体が弱いだろ。気付かぬ内に病気を移されでもしてはかなわんからな」

「うーん」


 不満な様子は変わらないが、兄のことを持ち出されてはハイレもそれ以上は言い募らなかった。セラフミンも物言いた気ではあるが、結局なにも言わずに黙っている。


「さあ、それよりも食事にしよう。二人とも顔を洗ってきなさい」

「はぁーい、父上」


 ハイレは多少渋々ではあったが、素直に父親の言葉に従った。そうして、食事を始めれば、すぐに不満を忘れ機嫌も直っていた。




 一方、タファリは伯父の住む集落で挨拶と少しの商売を済ませた後、三日掛け自身の暮らすチャモ村へと帰ってきた。商売上は独立したとはいえ、まだまだ年若いタファリは独り身だ。家で出迎えてくれるのはボガレの妹夫婦となる両親だ。


 タファリを出迎えた父親が待ちかねたように問いかけた。


「おお、タファリ、どうだった。義兄にいさんたちへの挨拶は上手くいったか」


 タファリは上機嫌に答える。


「ああ、伯父さんたちのお陰で上手くいったよ。各家から注文もいただいて、滑り出しとしては上々だ」


「良かったじゃないか。あの辺りはあまり訪れる人もいないからねえ。あんたが巡るようになれば、兄さんたちも助かる筈だよ」


 母親は湯気を立てる料理を卓に並べ、少し遅い昼食の準備をしていく。タファリは照れくさそうに笑った。


「母さん、なんでこんなに豪勢なんだい。今日は祭りの日だったっけ」

「なに言ってんの。息子が晴れて一人前になって、初めての商売を成功させたんだよ。こんなめでたい話は他にないよ。ねえ、お父さん」


 父親は席に着きながら、重々しい表情で頷いた。


「その通りだぞ、タファリ。七年前に王宮が燃やされてから天候不順も続き、世の中はどんどん物騒になるばかりだ。

 行商人が狙われることも増えとるそうだからな。母さんがどれだけ心配したかわかるか。その上、商売も上手くいったんだ。これを祝わないでどうする」


 この父親の発言にタファリは、「この辺りで誰かが襲われた話なんて聞かないじゃないか」と反論し、母親は、「仕事も手につかず心配してたのはあなたでしょ」と笑う。


 父親は不利を悟り、わざとらしく咳払いをして話題を変えた。


「そういえば、村長もなにか話を聞きたがっていたぞ。早く食事を済ませて行ってこい。うん、旨いぞ。母さんの手料理は実に旨い。うんうん、とっても旨いなあ」


 タファリと母親は父親の態度に笑いが止まらず、賑やかな食事となった。食事の後、タファリは手土産を持って村長宅へと向かった。



 村長宅に向かえば、外で作業していた村長はタファリが気付くよりも先に訪問に気付き声を掛けてきた。


「おお、タファリ。息災か」

「はい、村長。ご無沙汰しております」


 タファリは挨拶と共に手土産を渡し、村長はタファリに商売の様子を尋ね、二人はしばらく話を続けた。話の終わりに村長は尋ねる。


「どうだ。行商先でなにか気になるものは見なかったか」

「はあ、気になるものですか。さて、そうですね……。そういえば、山で獲れる獣が今年は少し減っているようだと言ってましたか」


「あー、いや、そうではなくてだな。怪しい人物とかは見なかったか」

「いや、特にこれと言っては」


「そうか、なら良いんだ。なに、最近なぜだかお役人様からの詮議が厳しくなっていてな。怪しい者の報告を怠るとそれだけで厳罰を受けるのだ。王様がしいされてからこの方、どうにも息苦しくなるばかりだ」


 村長は疲れ切った顔で深々と溜息をついた。タファリも村長の言葉に頷く。


「確かに都邑で働いていた頃も良くない話はよく聞きましたよ。上の方々の間で裏切っただの、袂を分かっただので、昨日まで栄華を誇った方が今日は処刑されたりと。

 そんなことがだんだん増えてくるものだから、やっぱり庶民の間でもなんだかいさかいが増えてきて、なにかと殺伐としてて……。


 そんなだから、お世話になっていた大店で年期が明けた後もそのまま働くか尋ねられたんですけど、断ってこうやって故郷で行商を始めたんですよね」


「なるほどな。都邑の方でだいぶ治安が悪くなっている話は私も聞いている。まったく世の中はどうなってしまうのか。どうにも、悪い時代に当たってしまったものだ」


 二人は揃って暗い顔で息を吐く。村長は顔を上げ、

「こうして余所のことを知っている者がいるのは心強い。行商先でなにか気になることを見聞きしたら、ぜひその都度私に教えてくれ」

と続けた。


 タファリは「はい。俺もなにかおかしなことはないか、気に掛けるようにしてみます」と応えた。



 そのまま挨拶し別れようとしたところで、タファリはふと思い出したことを口にする。


「そういえば、怪しいというほどではないんですが」

「うむ、なんだ。勘違いでも別に構わん。気になることがあるなら、聞かせてくれ」


「はい。伯父の住む集落に暮らす親子で、母親がおらず、父親と子供が二人の三人暮らしの一家なんですが」

「うむ」


「その父親というのが、こんな草深い田舎には似合わぬ、いやに礼節をわきまえた人物で。伯父の話では、あの王宮で反乱があったすぐ後に、まだ赤子だった子供たちを連れて集落にやって来たそうで」


「ほう。では、その父親はあの政変の際、都邑から逃れてきた都人か……」


「それになにか警戒しているのか、その子供というのも、父親が人に合わせないように注意していて。

 もちろん伯父は会ったことはあるんですが、子供のうち兄の方は父親とまるで顔かたちが似てない上に、子供らしからぬ貴人の相をしているそうで。伯父たちはあれは一体何者なんだろうと噂していたんですよね」


「ほーう。うむ、うむ。これは良いことを聞かせてくれた。タファリ、これからもなにかあればよろしく頼むぞ」

「はい」


 タファリが立ち去った後、村長は一人考え込んだ表情で呟いた。


「まさか、な」

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