筆頭剣士と最後の王

墨屋瑣吉

01. 胎動



 ◆ 1 ◆


 燃える。燃えている。半万年の長きに渡ってこの地を治めてきた、尊き一族の住まう王宮が燃えている。王宮は火をけられた。慈しみ、庇護してきた民たちの手によって。




 歴代の王たちは決して邪悪な者ではなかった。真摯しんしに天をまつり、地を統べ、民を安んじる者たちだった。


 だが、王朝が誕生してより五千年。いつの頃からか純朴篤実な民たちの間に不穏な考えが広まっていたのだ。人は全て等しく、世は平らかでなければならないとする考えが。


 身分の高低を許さない、貧富の差など認めない。そう声高に主張する者が衆人の前に姿を見せるようになった時には、すでにその考えは押しとどめようもないものとなっていた。

 急速に信奉者を増やし、支持を拡大し、ついに彼らは自分たちにとっての理想を実現するために行動した。


 突然に、大挙して王族の住まう王宮を襲撃したのだ。それも現王のただ一人の御子である、王太子の一歳の生誕日を狙って。



 王宮は鉄壁の防御により守られ、民衆が侵入するなど不可能な筈だった。しかし、民衆は押し入った。

 なぜか。内部から門を開いた者がいたから。王宮を守る近衛隊の長であるメセレットが門を開いたからだ。


 剣、学問、人柄の全てに優れ、国の誇り、『至宝』とまで呼ばれた若き俊英であるメセレットがなぜ、王を裏切ったのか。


 権力を欲して。いや、違う。王と道をたがえて。そう言えなくもない。

 メセレットは王が自分よりも他の者をより高く評価し、厚く信頼を寄せたことに嫉妬を募らせ王を裏切った。


 メセレットは多才な万能の人物。そのなかでも本人が最もこだわり、己を規定するものとしたのは剣士であること。

 しかし、『至宝』とまで呼ばれたメセレットであったが、ただ一つ剣士としてだけはこの国一番の使い手であると認められることはなかった。


 その位置を占めるのは千年一材の天才とうたわれた別の者。


 かつつ国の悪辣な罠により王が大軍に取り囲まれた時、その敵軍をたった一人で斬り破り、傷一つ負わせることなく王を逃した名も知れぬ若き剣士がいた。


 王はその若者を選んだ。国一番の剣の使い手であると王が認めたあかし、当代の『筆頭剣士』に。


 筆頭剣士こそ最も王の傍近くにあり、常に影となりて王の身を守る最後の盾。王より比類なき信頼を寄せられる者。


 『至宝』と呼ばれ、五年前、歴代最年少の十九歳で近衛隊の隊長となった、才誇るメセレットにはどうしても認めることができなかった。自らの剣がその若者に劣るなどとは。


 メセレットに巣食う虚栄心が、ついに彼をあやまちに走らせた。




 民衆は一気に雪崩れ込む。これからなにが起こるのか、想像するのは容易たやすかった。王宮から火の手が上がる。


 この時になってメセレットは動揺を見せた。まるで自分がなにをしてしまったのか初めて気付いたかのように。


 メセレットは王の間へと息切らせ駆ける。途中出会でくわした民衆を全て斬り捨てて。


 しかし、メセレットは王の間には辿り着けなかった。すでに王の間は紅蓮の炎に呑まれていたために。その中に首のない王と王妃が横たわり焼かれる姿を見たために。


 メセレットは慟哭する。自らが招いてしまった悲劇に。自らが犯してしまった罪の深さに。




 王宮は十日に渡って燃え続け、炎は全てを焼き尽くした。王と王妃の亡骸も、詰めかけた民衆も、この国を支えた長い歴史も、国と民を思う心ですらも、全ては炎に包まれ灰となった。


 しかし、ただ一つの謎が残った。


 どれほど探しても、ついぞ王太子と筆頭剣士の遺骨は見つからなかったのだ。


 いつしかちまたではある噂がささやかれるようになる。

 筆頭剣士の手により王太子は守られ、王宮より逃されたのだと。そして、いつの日か筆頭剣士は王太子を旗頭とし、簒奪者たちから国を取り返しに戻ってくるのだという噂が。




 そして、七年の歳月が流れる。




 ◇ 2 ◇


「父ぃ上ぇー」


 ようやく山中でも昼間に暖かさを覚えるようになった仲春、深山にある里に少年の元気な声が響き渡る。


 少年は獣の毛皮を縫い合わせた野卑な服を着る。だが、その少年から受ける印象にいやしさは全くない。明るく溌剌とした表情からは、一目で子供らしい素直で元気いっぱいな心根が見てとれるからだ。


 少年に父上と呼びかけられた年齢不詳の男性は同じく獣の毛皮を縫い合わせた衣服をまとい、こちらは少年と違いぱっと見にはその服装に相応しい野卑な印象を与えている。

 それはおそらくぼさぼさの長い髪や全く手入れされていない不揃いの髭のためだろう。


 ただし、立ち居振る舞いを目で追ってみれば、最初に受けた野卑な印象はすぐに霧散する。見た目に反し、その挙措は丁寧で礼に適ったもので、どことなく匂い立つような風雅さが感じられるからだ。


 今もその肩に獲ったばかりの猪を担いでいながら、荒々しい印象は全くない。血抜きと内臓の取り出しだけを済ませた猪をくくりつけた長い棒を肩に担ぎながらも、すっきりと歩くその姿は見蕩みとれてしまうほどに美しかった。


 父親と少年は歩調を合わせ、並んで歩きながら話をする。


「おお、凄いなハイレ。一人でそんなにたくさんの薪を拾ったのか」

「うん、父上。兄上は寝ちゃったから、おばさんに見ててくれるように頼んだんだ」

「それでボガレさんの分も拾ったのか。偉いぞ」

「へへっ」


 父親はハイレを褒め、ハイレは嬉しそうに鼻の下を指でこすった。


「で、セラフミンの熱は下がったか?」

「うん。でも、兄上はまだしんどそうだったよ」


 まだ幼さの残るハイレの顔が心配そうに暗くなる。父親は肩に担ぐ棒を片手で支え、けた手で暗い表情となったハイレの頭を優しくでた。


「なら、精の付くものを作ってやらないとな」

「うん」


 二人は明るく笑い合い、帰路を進む。



 少しひらけた場所が見えてきた。十軒程度の家屋が建ち並ぶ集落だ。親子はこの集落の一員だが、親子の家は他の家とは少し距離を置いた丘の上にある。


 父親は庭先で担いでいた猪を下ろし、ハイレは家の扉を開き、土間にいる女性に呼びかけた。


「おばさん、戻ったよ」

「お帰り。あら、旦那も一緒なのかい」


 父親は山の清流から引いた水で手を洗い、女性に会釈をする。


「はい、戻りました。マルワズさん、今日はセラフミンを見ていただいてありがとうございます」

「なに、いいんですよ。セラ坊は大人しく寝ててくれたしね。あたしものんびりさせてもらって助かりましたよ」

「はい、おばさん。これ」


 ハイレは腕いっぱいに抱える薪を二つに分け、その片方をマルワズに差し出した。


「あらー、ハイ坊、ありがとね。こんなにたくさん拾うのは大変だったろう」


 ハイレは得意気な様子で首を振る。


「ううん、どうってことないよ。もう僕、一人前だからね」


 子供が精いっぱいの背伸びをする姿は微笑ましい。父親もマルワズもにこやかに笑っている。


「そうだね。こんなにたくさんの薪を一人で拾ってこられるんだから、ハイ坊はもう一人前の働き手だねぇ。旦那の息子さんは二人とも立派なもんだ。まったく、うちの子も少しは見習って欲しいもんだよ」


「なにを言っているんですか。娘さんは優しい良い子じゃないですか。この前もうちのセラフミンを心配して、見舞いに来てくれましたよ」

「もう少し家の手伝いをしてくれりゃ、なんにも言うことはないんだけどねぇ」


 口ではぼやきながらも、マルワズの表情には確かな愛情が浮かんでいる。


「さーて、旦那も帰ってきたし、あたしは家に帰って夕食の準備をするかねえ」


 父親は庭先に置いた猪を示す。


「では、また後で配りにいきますので」

「いつも悪いねぇ」

「いえいえ、こちらこそ」


 父親はマルワズを見送り、猪の解体を始める前に一度家の中を覗いた。


 狭い部屋を間仕切っているすだれめくれば、顔色の悪い子供が布団で横になっている。ただ、子供は物音に目を覚ましたのか、布団に入ってはいるが眠っている訳ではないようだ。


「セラフミン、調子はどうだ」

「大丈夫、だいぶ良くなりました」


 父親を見、セラフミンは起き上がろうとする。


「無理をするな」


 父親はセラフミンに布団を掛け、額に手を当てる。


「まだ、少し熱があるか。これから食事を作るから大人しく寝ていなさい」

「はい、父上」


 父親は庭の一角に組んである櫓に猪を吊し、手早く解体していく。ハイレは所々手伝いながら、父親の手捌きを楽しそうに眺めている。


 父親は切り分けた猪肉を葛籠つづらに詰め、ハイレに声を掛けた。


「皆さんに配ってくるから、その間に竈に火をおこしておいてくれるか」

「うん、任せて」


 父親は葛籠を背負い、丘を下っていく。




「旦那、毎度こんなにたくさん悪いわねえ」

「いえ、うちだけでは食べきれませんので」

「そうだ、これを持っていって下さいよ」


 マルワズは集めた山野草を籠に盛り、父親に差し出した。


「済みません。ありがとうございます。そう言えば、ボガレさんの姿が見えませんが、まだ戻らないんですか」

「ああ、お客が来てて、うちの人はその相手をしているんですよ」

「へえ、お客人ですか。珍しいですね」


 マルワズは嬉しそうに笑い、「ええ、甥っ子が行商を始めたって言って、挨拶に来てくれているんですよ」と答えた。


「それはめでたいですね」

「折角ですからね。旦那に貰った猪肉で、なにか美味しいものをたんと作ってあげようかねぇ」


 父親は笑って席を立ったが、家人から見えない場所に行くと、一瞬客間の方へ鋭く油断のない目を向けた。

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