第4話 ペンギンのいない居間
ペンギンのスペースは当然のことながらすっかり空っぽになってしまった。毎朝起きれば当然のようにそこに佇んでいた姿がいまはいない。
僕はペン太郎のスペースに使われていたバスマットを四つ折りにし、ビニールテープで梱包した。納戸の扉を開けて、ちょうどいい場所にバスマットを置く。納戸には、夏の間使われたビニールプールも置かれていた。空気が抜かれ、すっかりしぼんでしまっていた。
季節は終わったのだ。
居間へと行くと、父と大志が縁側にいるのが見えた。ふたりとも並んで腰掛け、庭を見ていた。何を話すでもなく、ただひたすらに庭を見ていた。俗にいう「たそがれる」というやつだ。ふたりはまさしくその表現を体現していた。
庭には、ペン太郎とビニールプールで遊んだ記憶が刻まれている。水の中で意気揚々とフリップを羽ばたかせるペン太郎の姿が思い出される。
季節は移り、半袖は長袖に変わる。田園の稲穂は金色に染まり、街路樹の葉は枯れゆくための準備をはじめている。
「二人とも、そんなに気を落とさないで」
哲治さんが言った。
「ペン太郎くんがいなくても世の中には楽しいことがいっぱいるんですから。思い出の写真もたくさん残っているでしょう?」
「ペン太郎よりつまらん君に言われてもなぐさめにならんのだが」
と父はにべもない。
「ひどいなあ」と哲治さん。「とにかくですよ。悲しい気持ちはいずれ去っていきます。気楽に待つんですよ」
「友だちが遊んでくれなくなったらどうしよう」と大志は言った。「みんなペン太郎に会いたいからうちに来ていたのに」
「そうだよなあ」と同意する父。
「いや、そうじゃないでしょ!」と姉。「最初はそうだったかもしれない。でも正美くんも崇くんも今は大志と遊ぶために来てくれてるんでしょ。それでいいじゃない」
「うん……」
「ペン太郎は大志に友達をつくるキッカケを与えてくれたの。それで友達がいっぱいできた。ペン太郎がいなくなったって友達は友達よ。ペン太郎に頼りきりだった自分をあらためて、大志は自分の方から友達を大事にしていかなくてはいけないのよ」
「そうだね」
「いや、そう簡単に割り切れるか。ペンギン局に乗り込んでペン太郎を
父は腕まくりして言った。
「おい親父、まだあきらめてないのか」
目に見えない二本角が姉の頭に生えた。父は「いやだなあ。ただの冗談ですよ」と笑って誤魔化した。
姉のこの慰めは僕に向けられてもいるように思えた。
花岡さんはいつもの席に座っていた。テーブルの上には大盛りのカツカレー。ポテトサラダ。フランクフルト。
「となり座ってもいい?」
僕がたずねると、花岡さんは笑顔を浮かべて「どうぞどうぞ」といった。
「珍しい。きょうはおそばじゃないんですね」
「カツ丼が食べたい気分だったんだ」
「それはイイですね。ここの揚げ物は美味しいですよ。最強ですよ」
花岡さんはそう言って笑うと、ざくりとカツの一切れを食べた。
「来週の土曜日なんだけど空いてる? 水族館にペンギンを見に行きたいんだけど、誰か連れがいればいいと思って」
「これってデートに誘ってます?」
カツをもぐもぐしながら花岡さんがたずねた。
「そうだよ」
僕は言った。
「よろんでお供しますよ」花岡さんは言った。「ペンギン禁断症状になっていたんです」
「僕もだ」
僕はカツを頬張った。カツは揚がったばかりだったらしく、口の中を焼いた。
「あちっ、あちっ」
「やだあ。猪俣さんったらペンギンがエサを食べてるときみたいな格好しててウケる」
新鮮な空気を求めて上を向いて口をぱくぱくさせていたものだから、花岡さんにそう言われてしまう。僕は危うくカツを吹き出すところだった。
終わり
ペンギンホーム 馬村 ありん @arinning
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