第3話 ペンギンとの別れ

「いやだっ」

 大志のさけぶ声が玄関に響き渡った。

 朝早く、ペンギン局の職員二名が猪俣家へとやってきた。

「ペンギンホームの解消時期となりましたので、おじゃましました。本日は通達です。一週間後にアデリーペンギン一羽を引き取りに参ります」

 最初何を言ってるのか分からなかった大志だったが、彼らが何を言いに来たのか悟って叫んだのが冒頭の一言である。


「しょうがないことなのよ。ペンギンホームにだっていつか終わりがくるの」

 姉はそう諭すが、大志は泣くばかりだ。

「いやだよ。ペン太郎とずっといっしょにいる。離れたくない」

 ペン太郎はというと、フリップをパタパタ振りながら、居間を横切り、風呂場へと歩いていった。我が家にも慣れたもので、水がほしくなると開け放してあるドアを抜けて風呂場へと向かう。

「この光景ともあと一週間でお別れか」

 哲治さんは深いため息をついた。

「勝手に連れてきて勝手に連れ帰る。こんな理不尽な話があるか」

 怒っているというよりは悲しんでいるといった口調で父は言った。

「しょうがないだろ」

「残念ですけどね」

「あきらめるのか⁉︎」と父は一喝した。「ペンギン省の奴らが来たら追い出してやろうとは思わないのか?」

「そんなことしたらペンギン横領罪で捕まりますよ。ペンギン法廷にかけられてしまいます」

「いやだ! いやだ!」

 大志はむずかった。

「わがまま言わないの」

 姉がピシャリと言った。

 ペン太郎は風呂場から上がってきた。水かきのある足をかちゃかちゃ鳴らしながら、自分のスペースに戻ってきた。

 ペンギンは気楽でいいなあ。


「ええっ。ペン太郎ちゃん、もうお別れなんですか?」

 花岡さんはトルコライスを食べる手を止めて言った。

「そうなんだよ。ペンギン局から通達があってね。あと一週間でお別れだ。父も甥っ子もそれで朝から大騒ぎだよ。父はペンギン局に楯突こうとするし」

「お父さん、ペンギンにべったりでしたからね。気持ちは分かります。お別れの前に一度遊びに行ってもいいでしょうか」

「花岡さんなら歓迎だよ。これまで何度も来てくれたしね。いつでもどうぞ」

「うれしい。近々遊びに行かせてもらいますね」

 花岡さんとの交流もこれで断たれてしまうんだ。花岡さんがうちに来るのは僕じゃなくてベン太郎が目当てなんだから。

 僕は冷やしたぬきうどんをすすった。なんだか今日の冷やしたぬきはあまりおいしくないみたいだ。


 家に帰ると、頭を下げる父を前に姉が叫び声を上げていた。

「ペン太郎を連れ出そうなんて何考えてるの! 誘拐よ、そんなの!」

「何かあったの?」

 所在なく立ち尽くしている哲治さんに僕はたずねた。

「実はね」

 哲治さんが説明した。

 ペンギンホーム解消に納得のいかない父は、ペン太郎を連れ去り、大志まで巻き込んで一緒に逃げ延びる計画をしていたのだという。大量に購入したアイスノンおよび2リットル入りのペットボトルのせいでそれが姉にバレた。

「分かってくれよ。こちとら納得いかねえんだ」

「納得いかないのはこっちの方よ! 大志まで巻き込もうなんてどうかしてるわよ!」

「それはすまない。分かってくれるのは大志しかいないと思って」

「そんなバカだから、お母さんに逃げられたのよ!」

 これが決定打になった。親父はガクンとうなだれてしまった。

「言いすぎた」と姉は言った。「とにかく、ペン太郎ちゃんを連れ去ろうなんてことはしないでちょうだい。分かったわね!」

「はい……」


 あっという間に六日間が経った。

 その間、大志の幼稚園の同級生が訪れ、去っていくペン太郎のことを思って「友達はいいもんだ」の合唱とイワシのプレゼントをした。ペン太郎がイワシについてすごく喜んでいたのは間違いない。

 また、父の友人たちも入れ替わり立ち替わり我が家を訪れた。

 哲治さんの写真家仲間(かなりの有名人)も訪れた。

 花岡さんはたくさんペン太郎の画像を写して行った。


 そして最後の夜。

 僕は最後の糞掃除をする。

 この糞面倒な仕事とも今日でお別れだ。うれしいような悲しいような複雑な気分だ。

 ぎゃあ。

 ペン太郎が鳴いた。

「どうしたんだ、ペン太郎。僕との別れを惜しんでくれるのか?」

 ペン太郎はフリップを振って僕のジーンズの太ももをピシャリと打ち据えた。

「痛えよ!」

 これ何なの?

 愛情行動?

 それにしては痛すぎるんだけど。

「ねぎらいとして受け取っておくよ。今までうちにいてくれてありがとうな、ペン太郎」

 その言葉を受け止めてくれたかは分からないが、ペン太郎は丸い目を僕に向けてぎゃあと一回鳴いた。


 お別れはそっけないものだった。

 ペンギン局の職員がやってきて、手慣れた様子でペンギンをケージにしまうと、

「それでは我々はこれで」

 と一礼し、去って行った。

 ケージの中のペン太郎はじっとある一点を見据えていた。そこには何もなかったがとにかく見ていた。

 ペンギン局のロゴがついた日産セレナの後ろを泣きながら追いかけていく父と大志をのぞき、僕たちは車が見えなくなるまでずっと手を振っていた。

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