第2話 ペンギンのいる日常
「猪俣さんのお家ってペンギンホームに選ばれたって本当ですか?」
食堂で飯を食っていると、同僚の花岡さんが話しかけてきた。
「あっとなり座ってもいいです?」
花岡さんのトレイはカツ丼にかぼちゃの煮つけ、ポテトフライと盛りだくさんに載っていて運ぶのが大変そうだったので、僕は座りやすいように椅子を引いてあげた。
「ありがとうございます」
「どこで聞いたの? ほとんど誰にも話してなかったのに」
「社内で噂になってましたよ。ペンギンホームに選ばれるなんてすごいことですから」
花岡さんはそう言い満面の笑みでカツ丼をかきこむ。なかなかの食べっぷりだ。きょうはお腹が空いてなくてきつねうどんにしたのだが、このうまそうに食べる姿を見ているとカツ丼にしなかったことが悔やまれた。
「いいなあ。ペンギン。うちって猫は飼っているんですけど、ペンギンは水族館でしか見たことがないし、うらやましいです」
「まあ、普通はそうだよね。僕もきのう初めてペンギンホームに選ばれたことを知ってびっくりしたよ。まあ名誉なことだよね」
「ペンギンちゃんナデナデしました? 抱っこは? やわらかいですか?」
目をキラキラさせながら花岡さんがたずねた。
「うーん。なでようとしたんだけど、犬と違ってスキンシップになれていないから、怖がらせてしまうので触らないほうがいいみたい」
きのう大志がペン太郎に触ろうとしていたときに姉にそう叱られていた。大志の後ろに列を作るように並んでいた僕と父と哲治さんは泣く泣く撤退した。
「よかったら家にくる? 土日とか暇だったら……」
「本当ですか?」
花岡さんは声を張り上げた。ネイルの塗られた両手でぎゅっと僕の手を握り込んできた。彼女のソバージュヘアから高そうな香水の匂いが漂ってきた。
「うれしいです! 私ペンギンを間近で見るのが夢だったんですよぉ!」
その言葉に偽りはなさそうだ。マスカラで彩られたその両目は宝石みたいに輝いて、白く塗られた頬には赤みが指している。
「絶対約束ですよ。そうだ。LINE交換しましょう?」
僕たちはLINEを交換した。
昼食の後、男子トイレに入る前に小さくガッツポーズしたのは言うまでもない。
ペンギンのためにどこにも寄り道せずに家に帰ってくると、珍しく居間で父が眠っているのに出くわした。父の上には毛布がかけられていた。
「きょうは張り切って疲れたのよ。そっとしてあげてね」
珍しく姉が優しいことを言った。
なんでも、父はきょうは納戸からビニールプールを運び出して、庭に設置し、そこでペン太郎と大志とその友達を遊ばせてやったのだという。父も一緒に遊んだのか肌が日焼けしていた。
「珍しいな。いつもならパチンコで時間つぶしているだろうに」
「パチンコにも行ってないみたいなの。少しでも多く、ペン太郎のためにお金を使っておきたいみたい」
「へえ。明日は雪が降るぞ」
父の行動はそれから変わった。
パチンコにはすっかり行かなくなったようだし、代わりに友達を家に招いてペンギンを見せて、その後は将棋や囲碁やるなどして時間を過ごしていた。
何にせよ金がかからなくなったのはいいことだ。
大志にしても、毎日のように幼稚園の同級生が遊びにくるので、すっかり友達が増えた様子だ。その御蔭で引っ込み思案だった彼も、園で快活に過ごすようになったのだという。
哲治さんは、プロカメラマンとしての技術を活かして、ペンギンのかわいらしいショットをたくさん撮ってはSNS上にシェア。爆発的にインプレッションを稼いでいるらしい。持つべきものは手に職である。
そして僕は初めて女の子を家に連れてきた。
二十三年間の人生で初めてのことだ。
その肩までかかる長い髪を茶色にカラーリングして、鼻筋をくっきり際立たせたメイクをした花岡さんが和の雰囲気の強い我が家に来ると、彼女がなにか外国から来た人のように映った。
花岡さんは玄関先で「かきたねキッチン」で買ったお土産を姉に渡した後、居間へと招かれた。
「あらー! かわいい!」
花岡さんは声を張り上げた。
ペン太郎はフリップを羽ばたかせ、ぎゃあぎゃあとお世辞にもかわいいとは言えない声で花岡さんを出迎えた。
一見
「ペンギンってこんなに人懐こいの?」
たしかに人懐っこく見えた。ペン太郎は花岡さんの周りをくるくるまわり、くちばしをその顔の方へ向けながら、ぎゃあぎゃあと泣いた。
花岡さんは自分のスマホをペン太郎のデータでいっぱいにして、帰る頃には満足してわが家を出た。
夕日が沈むころ。僕らは肩を並べて歩いた。最寄りの地下鉄まで。
「ペン太郎ちゃんのことが大好きになっちゃった。また会いに来ていい? できれば近いうちがいいな!」
花岡さんは言った。
「いつでもいいよ。遊びに来て。気を使ったりなんかしなくていいからさ」
「ありがとう」花岡さんは笑って見せた。「ペン太郎ちゃんが可愛すぎてもう。彼氏にしたいぐらい好き」
「いま彼氏いないの?」
僕は思わず問い返した。
「うん」と花岡さん。「猪俣さんは彼女いるの?」
「僕は彼女いない歴イコール生まれ年だから」
「そうなんだ。ウケる」
僕たちは笑顔のまま駅で別れた。
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