冷たいドヨウビ

 「素敵な、お人形! 私にくれるの?」



 月曜日に産まれて。



「私、昨日ね、マガツヒ様に会ったの」



 火曜日にカミサマになりました。



「ずっと一緒だよ」



 水曜日に恋に落ち。



「あんな物、捨ててしまいなさい!」



 木曜日に人間は私を見捨てました。



「知らない。私は何も見ていない」



 金曜日には疎まれて。



「神様なんて居るわけない」



 土曜日には土の下。土の下。ツチノ……。



*



「ひょーかちゃーん」


 誰かの声がする。


「ひょーかぁー」


 誰かが私の体を揺さぶっている。


「早く起きないと顔に落書きしますよ」

「小学生のイタズラかよ!」


 頭上から聞こえた声に反応し、反射的に体が起きる。

 瞼を上げてみれば、目の前には、驚いた表情の梓が居た。

 そして、彼女の右手には、一本の筆ペン。


「本当に落書きするつもりだったの?」

「はい。水性ですから、問題無いですよ」

「問題しかないよ」


 足元を見下ろせば、己の体がベッドに寝かされていた事が分かる。

 ただし、場所は私の家では無い。

 梓の部屋だ。

 さらに、周囲を見渡せば、ベッドの周りには怪しげな御札が並んでいた。


「これは?」

「氷華ちゃんに、憑いた穢れを祓う為に使った道具です」


 正直、悪魔召喚の儀式にしか見えない。

 彼女が言っている事は全く理解出来ないが、要は助けてくれたらしい。


「えーと、氷華ちゃん。体に異変は残っていますか?」

「いや、もう大丈夫」


 ゆっくりと、ベッドから降りたが、身体中どこにも、異変と呼ぶべき箇所は残っていなかった。


 強いて言うならば、触手に掴まれた感覚がまだ忘れられないぐらいであろうか?


「それよりも、梓。私分かったよ。マガツヒ様の正体」


「本当ですか?」


「うん。彼の正体は、私が昔なくした……いや、捨てた人形だと思う」



*



「素敵なお人形! 私にくれるの?」


「あぁ、これは悪い物に憑かれそうになった時に助けてくれるヒトガタだよ」



 銀杏舞う、秋の日。

 あの縁側で、祖父がくれた人形。

 今でも、あの日を、あの瞬間を、鮮明に覚えている。


 薄色の栗毛。

 橘が描かれた浅葱色の着物。

 閉じられた目。

 その姿は少し気味悪かったけど、抱いてみれば、何故か暖かい気持ちになった。

 祖父いわく、この人形は祖母が昔、作った物で、不思議なおまじないがかかっているそうだ。


「どうして、そんなに大切な物を私にくれるの?」


 私の中で一つの疑問が生まれた。

 祖母は、ずーと昔に行方不明になっている。つまり、祖父にとってこの人形は祖母の形見同然であるはずなのだ。


「それはね、氷華も、お婆ちゃんのように不思議な力を持っているからだよ」



*



 それから私は、その人形と、ずっと過ごすようになった。


 学校で、どれだけ悲しい事があっても、辛いことがあっても、私の悲しみは、全て人形が吸い上げてくれた。


 不用意に友達を、言葉の槍で傷つけて――どれだけ自身を蔑もうとも、彼はいつも、私を諫めてから優しく、こう言ってくれた。



『もう罰は受けたから。どうか、どうか、泣かないで。また、明日、やり直せば良いよ』



 そう彼は……。

 彼?


 そうだ。思い出した。


 一人、自分自身の行いを後悔して、泣いていると、いつもマガツヒ様が慰めてくれたんだ。


 マガツヒ様は、いつも藤の香がする小柄な男性で、姿はあの人形と瓜二つ。


 多分、あの人形がマガツヒ様になったのだろう。残念ながら、理屈は分かりかねるが。



 それから、時は経って、『人付き合い』というものを理解した頃。


 母は私に言った。


 

「あんな物、捨ててしまいなさい!」



 彼女が言う『あんな物』とは、祖父から貰った人形の事だ。


 どうやら母は、祖父から人形に呪いがかけてある事を聞いたらしい。


 これが、普通の人形なら、捨てさせられることは無かったと思う。

 しかし、母は昔からが嫌いだった。



 「ずっと一緒だよ」



 そう言ったのに。

 結局、私は人形を捨ててしまった。


 でも、焼かれてしまうのは可哀想だ。


 そう、感じた私は、人形を可燃ごみでは無く、縁側の下――土の下に埋めてしまった。




*



 こちらの回想を聞き終えた梓は、少し考え込んでから口を開いた。


「ヒトガタというと、真っ先に思い浮かべるのはUMAですが――ここで言うヒトガタはケガレを払う際に使われる器でしょう」


 私が今まで語った回想の中で、梓が気になったのは、ヒトガタという部分らしい。

 確かに、冷静に考えれば、普通に『ニンギョウ』と表現すればいいものを、わざわざ『ヒトガタ』と呼ぶのは不自然だ。

 

 いや、そもそも『ヒトガタ』とは何だ?


 こちらの疑問を察したかの様に梓が、再び口を開く。


「ヒトガタというのは、ケガレや罪を移す為に作られた形代かたしろです。身近な例を挙げると雛人形ですね」


「ちょっと待って。そもそも、形代って何?」


 梓が「しまった」とでも言わんばかりに、口をO型に開ける。


「失礼しました。一から説明します。昔から日本では、ケガレや罪を、川や海に流すみそぎという習わしがありました。そして、禊の様に、ケガレや罪を物に託すお祓はらいという儀式も存在しました。このお祓いで使われた道具が形代です」


「つまり、爺ちゃんが私にくれた人形はケガレや罪を移す物だったということ?」


「恐らく、そうでしょう。それならば、氷華ちゃんの家付近に大量のケガレが残っていた理由も、説明がつきます」


「ちなみに、雛人形がヒトガタだというのは、どういうこと?」


「あぁ、形代であるヒトガタは元々、人の形を象った紙や木、草であり、使い終わった後は川に流してしまいました。しかし、江戸時代に入り、今までは貴族の文化であった雛人形が庶民へと伝わると、今までは『素朴で使い捨ての消耗品』だったヒトガタが『豪華で毎年使われる飾り』へと変化しました。こうして生まれたのが雛人形です」


 ふむ。なるほど。

 豪華絢爛を求めた江戸庶民の手にかかれば、貴族の伝統文化も、ただの娯楽か。

 無論、形代としての役割は、失っていなかっただろうが……。


 「今、思い返してみるとさ。マガツヒ様が現れたのは、いつも私が罪悪感に苛まれた時なんだよね。もしかすると、マガツヒ様は私の罪を肩代わりしようとしていたかもしれない」


 梓がゆっくりと頷く。


「私もそう思います。恐らく、マガツヒ様の目的は氷華ちゃんが抱えている罪の意識を精算することだったのでしょう」



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