疎まれた金曜日

 梓と喫茶店で話した翌日。

 平日が終わることを告げる金曜日。


 いつもの私ならば、休日が来ることを喜んでいるはずだが、今はそれどころでは無い。というか、下手をすれば、無事に次の月曜日すら迎えられない可能性がある。


 幸い大学の講義は午前中にしか入れていなかったので、すぐに家へ帰ることが出来た。


 今ではすっかり見慣れてしまったアパートの入口へ向かうと、そこには梓と、一人の男性が待っていた。


 男性の方は、確か梓の同業者だ。

 その姿は、かの光源氏すら超えるであろう美形である。

 もし、彼も中学生時代のクラスメイトであったなら――さぞかしモテたであろう。


「待たせちゃって、ごめん」


 謝る私に対し、梓は首を横に振った。


「いいえ。こちらこそ早く来てしまってごめんなさい」


 さぁ、中に入りましょう。

 少し気になることがあるんです。

 梓はそう言うと、扉の方を指さした。


 こちらも頷き扉の鍵を開けると、中に入った梓は、迷いもせずまっすぐと洗面台の方へ向かった。


 そして、彼女が手を伸ばしたのは、天井際に設置された火災報知器。

 もちろん、彼女の身長では、触れることは出来ないので、私は折りたたみ式の台を彼女に貸した。


「氷華ちゃん。知っていますか? 火災報知器を壁に設置する場合、天井から十五cm離れた場所に設置しなければいけません」


「つまり、どういうこと?」


 頭の中が『?』で満たされる。


 この火災報知器は、私が入居した頃からあった。つまり、設置したのは大家さんだ。

 だとすれば、大家さんが設置する場所を間違えただけのこと――いや、


 いつもは穏やかな梓が、ニタリと笑う。


「氷華ちゃんが苺を捨てたキッチンの様子も知っていたということは、他にも、こういったものが、あるかもしれませんね」


 その言葉を聞いた途端、背筋に寒気が走る。そして、背後で何やら考えていた、梓の連れが口を開いた。


「この辺りに残る気配。禍津日神の物では無いぞ」


「それは良いことなの?」


 こちらの質問に対し、男性の表情はしかめっ面に変わった。


「はっきりとは断言できんが、君に付きまとっていた怪異は、少なくとも悪意は持っていない。むしろ、味方と呼ぶべきだ」



*



 夜がふけ、壁かけ時計が十九時になったことを告げる。


 いつもならば、一人で寝床についている時間だ。


 しかし、今は一人では無い。


 リビングの中央に置かれた、小形テーブルには二人用の夕食が、並べられている。


 一つは私の分、そして、もう一は……。


「やっぱり、氷華さんのご飯は美味しいですねぇ」


 梓の分である。

 巫女の正装たる紅白の袴に、身を包んだ彼女は、呑気に、私が作った納豆チャーハンを頬張っていた。


「梓のおかげで助かったよ。まさか大家さんが犯人だったなんて」


 そう。一連のストーカー事件。

 犯人は大家こと直毘さんだった。


 梓が回収した火災報知器には、盗聴器が仕込まれており、キッチンの物にはカメラまで入っていったのだ。

 何者かが部屋へ侵入してきたあの日も、直毘さんが予備の鍵で中まで入って来たのだろう。泥だらけの足跡は直毘さんが土足で入った為についた物だろう。


 証拠を抑えた私達は、すぐさま警察へ相談。


 後に、調査を行った警察から聞いた話によると、直毘は何故か全身土だらけの状態で倒れていたらしい。

 更に全身になにかロープを巻き付けたような跡があったが、命に別状はなかったそうだ。


 犯人は十中八九マガツヒ様であろう。


 今回、狙われていたのは、私ではなく直毘さんであったが、それでも気は緩められない。

 何故ならば人は、知らずの内に罪を犯してしまう生き物だからだ。



「はい。私も少し驚きました。やはり、人が起す事件というものは、怪異よりも恐ろしいものです」


 二杯目の納豆チャーハンに手を付ける梓に、洗面台から取り除いた破魔矢を梓に手渡す。すると、梓は小さく首をかしげた。


「あれ? もう要らないのですか?」


「うん。もう、要らないよ。これは、私自身への戒めだから」


 そう。これは私への罰。

 二度と、同じ事をくり返さない為の戒め。

 

 もし、また自分よがりな考えになってしまった時はマガツヒ様が来るように。恥じない人生を送れる様に。


「そうですか。氷華ちゃんがそれで良いというのなら」


 梓は先が丸まった矢を受け取るとニッコリと笑った。


「そうだ。梓、何か食べたい物ある? 買ってくるよ」

「えー、でも、外は真っ暗ですよ」

「気にしないで。コンビニまで徒歩三分ぐらいだから」

「そうですか。なら、新発売のもっちりアイスが食べたいです」

「おっけー」


 もっちりアイスといえば昨日、新発売したアレか。

 万が一コンビニに売っていなかった時は、別の商品を買えば問題無いだおる。


 親指を立て、梓に向かってグーサインをする。

 そして、玄関に並べられたサンダルを履き、そのまま外出する。


 梓の言う通り、外はすっかり暗くなっており、通路を照らすのは、頼りない光を放つ蛍光灯だけだった。

 蛍光灯の中には、点滅している物もあり、ほんの少し不気味だ。


 そのまま階段へ向かう。

 そして、手すりに触れようとした時、背後からが迫ってくる気配を感じる。



 思わず立ち止まり、耳を澄ますと、何かが這いずるおとがする。




 ズリ、ズリ、ズリ……。




 蛇?

 まさか、そんなわけが無い。

 もし、蛇ならばここまでハッキリと、足音はしないはずだ。

 いや、蛇に足なんて無いけど。


 本能的に危険を感じとり逃げだそうとした、その刹那。

 右足にが巻き付く。

 触手のような何か。


 


 シュル、シュルル。



 何これ?

 触手を持った蛇?

 でも、蛇に触手なんて必要無いだろう。

 それでこそ蛇足だ。


 何も声が出ない。

 触手らしき何かが全身に絡まってゆく。

 そういえば、直毘さんの体にも……。


 全てを察し、梓の名前を呼ぼうとした途端。

 耳元に聞き覚えのある声。



『ヒョーカ。ヒョーカ』


 マガツヒ様の声だ。

 

 どうして私を呼ぶの?

 私も咎人だというの?

 駅でお婆さんを助けなかったから?


 しかし、こちらの予想とは裏腹に、次にマガツヒ様が放った言葉は意外だった。



『カエロウ……』



 帰る?

 何処へ?


 触手が首元まで届いた、その時。

 右側からマガツヒ様の手が伸びてくる。


 その手は、真っ白で、血の気が無くて、まるで陶器のように堅くて……そう、まるで――。


「人形?」


 そう言葉が漏れたと同時に、白くて、冷たい、手が口元を覆う。

 反射的に、その手を剥がそうとしたが、それより先に意識が遠のいてしまった。

 


 



 

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