捨てられた木曜日

 夕暮れの喫茶店。

 すっかり、傾いてしまった日光が、花柄のティーカップを照らす。

 窓の外を眺めれば、帰路についているであろう学生や社会人の姿があった。


 ティーカップに注がれた、ローズヒップティーをすすると、爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。


「氷華ちゃーん!」


 私の名を呼ぶ声が聞こえたので、喫茶店の入口を見る。

 すると、そこには、待ち合わせをしていた梓の姿があった。


「遅かったじゃん」


「ごめんなさい。実は、深夜になるとブルースを歌い出す日本人形の除霊を頼まれていまして……」


 その日本人形は失恋でもしたのだろうか。


「要は怪異退治の仕事が忙しかったのね。お疲れ様」


「はい、ありがとうございます。ところで、昨日、氷華ちゃんが話していた怪異について何か変化はありましたか?」


 心配そうにこちらを見つめる梓に、昨夜あった出来事を話す。

 そして、送られてきた苺と短冊を梓に見せた。


「つまり犯人は、何故か、氷華ちゃんが苺を捨てた事を知っていて、郵便受けに新しい苺を……」


「そう。気味が悪いったら、ありゃしないから、食べてないけど。だからといってまた捨てる訳にもいかないし」


「なるほど。確かにその通りです。なら、苺は私が頂きましょうか?」


「うん。お願い」


 梓は満足そうに頷くと苺を鞄にしまった。


「ねぇ、梓。この怪異は私に付きまとって何がしたいと思う?」


「そうですね。単純に考えれば、氷華ちゃんの罪を咎めたいのでしょう。しかし、人の罪を咎める怪異なんてこの世に星の数ほど居ますよ。鬼、人面瘡からブギーマンまで」


 罪を咎める怪異……。

 そういえば、マガツヒ様について梓に何も教えてなかった。


「梓はマガツヒ様って知ってる?」


「初めて聞きました。民間伝承か何かですか?」


 どうやら、梓でもマガツヒ様は知らないしい。もちろん、単に祖父が私を叱るために作った嘘である可能性も否めないが、一応、覚えている範囲でマガツヒ様について知っている限りの情報を、伝えてみる。


「それ、もしかして禍津日神まがつひのかみではないでしょうか?」


「なにそれ?」


「日本神話に登場する厄災を司る神です。災いや不幸を司る神でありながら、人間が誤った道を歩まないよう咎める神でもあります。確かに、禍津日神はケガレそのものですから、氷華ちゃんの家にあれだけのケガレが溜まっていた理由にも結びつく」


「どうして、そんな神様が私に?」


 思わず叫びそうになる。

 隣の席に座っている客が、こちらを不信そうに見つめるが、今はそれどころでは無い。


「それはまだ分かりません。でも、一つ気になることがあります。明日、また氷華ちゃんの部屋を調べさせて下さい」



*



 すっかり日が暮れ、暗闇に覆われたアパートへ帰ると、駐輪場付近に大家さんが立っていた。


直毘なおたつさん。こんばんは」

「こんばんは。宿木さん」


 大家である直毘さんは、五十代ぐらいに見える男性で、私がこのアパートに入居し始めた頃から、色々、世話になっている方だ。


 まだ、一人暮らしを始めたばかりの頃。

 家賃の払い方から、安いスーパーの場所まで、一から十まで分からなかった私の為に色々教えてくれた。


「今日もバイトの帰りかい?」 


「いいえ。今日は大学の帰りに、友達とカフェに行って……それで帰りが遅くなっただけです」


「そうかい。しかし、まぁ、最近物騒だからね。氷華ちゃんみたいな若い女の子が真っ暗な場所を歩いていたら危ないよ」


「はい。お気遣い、ありがとうございます」


 直毘さんに軽く会釈した私は、廊下の階段を駆け上がり、自室へと帰った。



*



 入浴や食事を済ました私は、台所から食塩を取り出した。

 神様相手に、市販のお塩が効くとは思えないが、無いよりは良いだろう。


 そして、床に就く前に、用を足そうと、御手洗に入った、その時。


 リビングの方から床がきしむ音。


 しかも、自然発生するような音では無い。

 

 あれは誰かの足音だ。


 全身に寒気が走る。

 危険を察知した私は、御手洗の鍵をしめると、そのまま身を屈めた。


 鍵を閉めた時のパチンという音に反応したのだろうか、足音がこちらに迫ってくる。



――梓のバカ。お守り、全然効いてないじゃん!



 心臓が早鐘を打ち始める。


 迫ってきた足音は扉の前で止まり、何も聞こえなくなった。



――もし、ここで死んだら梓のヤツ、一生祟ってやるから!



 祈り半分で、合掌をしていると、やがて足音は消え去った。


 そして、しばらく経つと何も聞こえなくなり、人の気配が消えたことが分かる。


 恐る恐る、御手洗から出ると、そこには何も居なかった。


 念の為、洗面台に置いた破魔矢を握り、部屋の電気を付ける。


 すると、そこには人の姿は無かったが、代わりに、もっと異様な物が残されていた。


 それは足跡。


 茶色い、足跡が床についている。

 そして、よくよく見てみれば、それは土で出来ていた。


 ふと、以前、ドアスコープ越しに見た男性の姿を思い出す。


 そういえば彼も、土だらけであった。

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