恋をした水曜日
「あのー、氷華ちゃん。少し良いですか?」
困ったように首をかしげたのは、黒髪のロングヘアーが、白い肌に映える少女だった。
彼女は
中学生時代のクラスメイトだ。
「なに?」
「ストーカー被害でしたら、巫女ではなく、警察に相談するべきでは?」
そう。かつてクラスメイトであった彼女は、同時に巫女でもある。
言換えるならば――怪異退治の専門家。
私は怪異や呪いの類には詳しくはないが、オカルト界隈では『橘樹』という名を知らぬ者は居ないぐらい、彼女の家系は有名らしい。
「その通りなんだけどさぁ……ほら、まだストーカーだと確定した訳ではないし……それに、昨日、奇妙なことが起きてさ」
「奇妙なこと……ですか?」
手短に昨日駅で、すれ違った怪異について伝える。
「なるほど。その怪異が氷華ちゃんにストーカーをしている可能性があると……」
「うん。もちろん、可能性は極めて低いと思うけどね。それでも、念のために調べて欲しいかなって」
急に呼び出され、訳の分からない相談をしているにも関わらず、梓は真剣に私の話へ耳を傾けてくれた。
「はい。任せて下さい。」
*
一通り、事情を聞き終えた梓は、部屋全体を見回すと首をかしげた。
「どうしたの?」
「なんというか……少変なんです」
眉が八の字になった梓は扉の方を指さす。
「実は氷華ちゃんの部屋に来るまでの間、強いケガレの気配を感じました。しかし、その気配自体は、この部屋の前で止まっています。言い換えるならば、怪異が部屋の周辺を徘徊していた跡はありますが、中に入った形跡はありません」
要は私が知らぬ間に、家の周辺を怪異がうろついていたということか……。中には入っていないことは分かっても、恐ろしいことに変わりは無い。
何かを察したのであろう梓は、優しい声で呼びかけてくれた。
「大丈夫ですよ。怪異の狙いが氷華さんなら、もう既に部屋へ侵入しているでしょうし。念の為お守りも残しておきます」
そう言って彼女が取り出したのは、小型の矢であった。矢といっても先端が丸く加工されていて、殺生には使えない。
「それ、破魔矢ってやつだよね?」
「そうですね。ただし、こちらは橘樹家お手製の結界維持装置です」
梓はにっこりと微笑むと、脱衣所へ向かった。そして、脱衣所の天井付近を見回す。
何を見ているのだろう?
脱衣所の天井付近には、壁に設置された火災探知機しか無い。
そして、一通り脱衣所を観察した彼女は破魔矢らしき物を、洗面台に備え付けられた鏡の上に設置した。
どうやら設置場所を考えていたらしい。
「これで怪異の類はこの家に入って来れないですよ」
破魔矢を設置し終えた梓は、親指を立ててウインクした。
*
テレビをつけると、心霊映像を紹介するバラエティー番組が放送していた。
こういった物の大半は、人為的に作られたものだと分かっているが、現在進行形で怪奇現象に巻き込まれている状況下、こんな番組を見る気力は湧かない。
チャンネルを切り替えると、壁にかけられた時計から、二十一時になった事を告げる電子音が聞こえてきた。
面白そうな番組を見つけ、リモコンをテーブルに置いた、その刹那。
コン。コン……コン。
扉からノック音が響く。
こんな時間に客人か?
いや、待て。
そ扉付近にはインターホンがある。
何故、わざわざノックなどするのか?
嫌な予感がする。
恐る恐る、ドアスコープを覗きこんだ。
その瞬間、一気に心臓の鼓動が加速する。
ドアスコープの先に広がっていたのは、いつも通りの夜景では無い。
浅葱色の着物。閉じた瞳。
そして、何故か土まみれの体。
駅で出会った怪異が、そこには居た。
しかも、彼の体は傷だらけだ。
土まみれであることといい、これでは彼が、先ほど土の下から出てきたように見える。
思わず悲鳴を漏らしそうになったが、なんとか堪える。
そして、もう一度ドアスコープを覗くと、そこには何も居なかった。
いつも通りの夜景が広がっている。
まさか、あの怪異。
夜な夜な、この辺りを徘徊しているのだろうか?
中に入ってこないとはいえ、不快であることに変わりは無い。
また、明日、梓に相談しようと思い、扉から離れた、その時。
ドスン。
扉に備え付けられた郵便受けに、何かが放り込まれた音がする。
取り出して、見れば出てきたのは苺と、赤い短冊。
短冊には、こう書かれていた。
『食べ物を捨てる。ワルイコ。ワルイコ』
――どうして私が、苺を捨てた事を知っているの?
両目から涙が溢れそうになり、同時に祖父が言っていた台詞を思い出す。
「そうやって、悪いことばかりしていると、マガツヒサマに祟られるぞ!」
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