第1話 成果報告


♦︎♢♦︎♢


 私立清流沢高校は、今年創立60周年を迎えたそこそこの進学校だ。上には上がいるのは承知しているが、それでも毎年数十人は旧帝大に進むのだから、というわけではないだろう。

 校舎も俺が入学する数年前に建て替えていて、都内でもかなり綺麗な部類に入る。

 それなのに、3階には1カ所だけ生徒たちが寄り付かない場所があった。


 ――呪われた空き教室。通称・呪いの部屋。俺たちが入学した時からその言葉が生徒たちの間に流れていた。

 どうしてそうなったのか、理由は定かではない。一説によると、その教室で一人の生徒が藁人形を机に打ち付けていたとか、そこで自らの命を絶ったとか色々ある。

 結局真相は闇の中だし、先生たちも生徒の質問に答えようとしない。本当に知らないのか、言えない何かがあるのか。俺からすればどうでも良かったのだが――。


「何してんだ?」

「あ、松澤君。遅かったじゃない」

「これでも直行してきたんだけど」


 最悪なことに、そういうわけにもいかなくなった。その教室の前に立っている少女、花崎歌琳がこの教室を「初恋相談所」として使うようになったのだ。

 当の本人は呪いとか全く気にしていないようで、拠点をあてがわれたことに喜んですらいた。俺もそういうたぐいのことは信じていないが、あまり良い気はしない。もしかしたら何かあるかもしれないだろう。本当にもしかしたら。


 補足になるが、初恋相談所というのは花崎が勝手に言っていること。学校側はその事実を知らない。ただ勝手に活動すれば目くじらを立てられるということで、学校には「オカルト同好会」として申請を出している。もっと色々あったろうに。だがまあ、これで呪いの教室は相談所ということになったわけだ。


 教室のドアには「オカルト研究会」と書かれたプレートが掛かっている。で、その前に何故か花崎が立ち尽くしていた。


「入れば?」

「……松澤君が先に入りなよ」

「なんでだよ。花崎の方が先に来てたろ」

「良いからほら」


 左手でドアを開けるように促してくるが、正直意味が分からなかった。ここに来て俺が開ける理由なんてないし、先に来ている花崎が開ける方が自然な流れだろう。


 花崎歌琳には振り回されっぱなしだが、黒髪のポニーテールがよく似合う女子だった。昨日のにも共通して言えるが、きっとコイツもモテる部類に入る。人当たりは良いし、誰とでも仲良くしている印象がある。俺以外とは。


「レディーファーストで」

「思ってもないくせ。早く開けてよ」

「別にどっちが開けても良いだろ? 早くしろよ」

「だったら松澤君が開けてよ! アシスタントでしょ!」

「所長が最前線に立つべきだろ」


 こんなどうでも良いことで揉める。俺と花崎の関係性はそんなだった。マジで合わない。

 ただここで時間を費やしても仕方がない。かと言って、このまま花崎の言う通りに動くのもしゃくである。


「もしかして怖いのか? 昨日俺があんなこと言ったから」


 まさかとは思うが、一応問いかける。

 するとどうだ。花崎は口元をピクッとあげて無理やり微笑んでみせる。演技下手だなコイツ。


「は、はぁ!? そんなわけないでしょ!?」

「そうだよな。じゃあ、よろしく」

「……ッ!」


 昨日、俺の偽告白に爆笑した仕返しだ。引くに引けなくなった花崎は、恐る恐るドアノブに手をかける。そしてそれをゆーっくりと回して手前に引く。探検でもしているのかと言いたくなる。

 彼女の後ろに立っていた俺は、ドアが開いていく様子がハッキリと見えた。中はカーテンが閉まっているせいで真っ暗。まだまだ外は明るいのに。


「ほら、入ろうぜ」

「え、えぇそうね――?」


 少し安堵しているように見える花崎だったが、語尾が疑問形になったのが気になった。それを問いかけようとした瞬間、目の前に大きく暗い影が出現する。


「へ――」


 やがて彼女の気の抜けた声。目の前の影はどんどんと大きくなっていき、やがて――。


「――お待ちしてましたよ先輩方!!」

「きゃあああああ!!!」

「どわあああああ!!!」


 中から男が飛び出してきたのである。


※♡※


 呪いの教室は、俺たちが授業を受ける普通教室とは構造が全然違った。

 横幅が5メートル程度しかなく、細長いという表現が似合う。壁側には棚が並んでいて、よく分からない色あせた資料がびっしりと埋まっていた。なんとか準備室みたいな特別感がある。


「マジで許さない絶対別れさせてやる」

「ほ、ホントスミマセン……。早く報告したくて待ってたんですが……」


 部室の一番奥、いわば窓側に机と椅子が一つだけ置いている。そこに腰掛けているのが花崎で、その前で少年が頭を下げている。

 謝罪はさっきのことについてだ。嘘でも良いから申し訳なさを出せ。さもないとコイツは本気でお前たちを別れさせるぞ。


 昨日のターゲットは俺たちの想定通りに動いた。つまり、いま頭を下げている少年・田中裕武たなかひろむに告白をした。そう、先ほど俺たちをおどかしてきた田中こそが今回の依頼者である。


「短い幸せだったな」

「や、やめてくださいよ……明智光秀だって三日は天下取ったんですし」

「なら君は明日までの幸せにしてやる」

「花崎は落ち着けって」


 自身に田中に相当怒っているようで、彼女は部室に一つしかない机に頬杖をついてそっぽを向いている。

 俺は椅子に座っているが、田中は申し訳なさからか立ったまま彼女に謝っている。コイツは清流沢に入学したばかりの一年生。その姿はまだ中学生感が抜けきれない。

 もう一つある椅子に座るよう促すと、彼はやはり申し訳なさそうにして腰を落とした。


「それで、どうするんだ花崎」

「所長」

「……所長、依頼人が困ってる」


 細かい設定はどうでもいいだろう……。まあそれを言わないと先に進まないっていうのは分かっていたから、別に良いんだけど。

 少し怒りが引いてきたのか、頬杖をつくのをやめて、ため息を吐きながら依頼人である田中と向かい合う。


「改めて今回のご依頼を確認します。初恋の相手である幼馴染、橋本愛菜さんとお付き合いをしたい、でしたね?」

「はい」

「悩みとしては、昔からずっと一緒にいるせいで恋愛対象として見られていない気がする、と」

「その通りです」

「我々は1カ月間、彼女とコンタクトを図り、依頼人である田中裕武さんに好意が向くように仕向けました」

「はい」

「そして、その結果が出たのですね?」

「はい!」


 その答えは聞かずとも分かった。


「昨日、愛菜から告白されました。もちろん受けました」

「そうですか。おめでとうございます」

「本当にありがとうございます……!」


 田中は俺たちに頭を下げてくる。その様子を見ると、本当に彼女のことが好きで、この結果を心から喜んでいるように見える。

 だが彼は顔を上げると、少し不思議そうな顔をしていた。


「何か気になることでも?」


 それを察知した花崎が問いかける。相変わらず人の表情を読み取るのが上手い。


「その……愛菜に変なことしてないっすよね」


 言葉に勢いはないが、明らかに俺たちへの疑念だった。それもそうか。ずっと友達、もっと言えば家族みたいな関係だったのに、いきなり付き合うなんて話になること自体が不思議である。


「安心して。その辺のことはアシスタントが」

「松澤な」

「……松澤君から説明してもらいます」


 嫌味っぽい言い方だな、くそ。

 それはそうと、田中が不安そうに俺を見ている。全く、変なことなんて何もしていないのに。


「まず大前提として、彼女はずっと君のことを好きだったようだ」

「え、そ、そうなんすか?」

「嘘は吐かない。それに催眠術とか脅迫きょうはくとかそういうのは一切やってないから本当に安心してほしい」

「……分かりました。内容はずっと報告してくれてましたもんね。信じない理由はありません」

「もっと言えば、俺はあの子に指一本触れてすらいない」


 俺が良かれと思ってそう言うと、田中は顔を赤くして俺の太ももを軽く叩く。


「あざっす」


 随分と嬉しそうだな。その笑顔にはあどけなさが残っている。


「ちなみにあの子は処女じゃないらしい」

「は、マジっすか!?」

「嘘だよ」


 「やめてくださいよもう!」田中は安堵とイラつきが混じったような声で言う。リアクションが面白いから、つい揶揄からかいたくなる。


「はいはいそこまで。ごめんね田中君。ウチのが」

「い、いえいえ! あはは……」


 花崎の視線が俺に突き刺さるが、いちいち突っかかっていられない。返事の意味も込めて咳払いすると、彼女もその意図を察したようで盛大にため息をして見せた。


「話を戻すけど、今回の依頼は成功ということでよろしいかな?」

「もちろんです!」

「じゃあ報酬の話をしましょう」


 報酬、ね。一応ここは相談所。依頼を受けたのだから、それに見合った見返りを求めるのが彼女の流儀らしい。

 「はい、持ってきました」と田中は通学カバンをあさり始める。普通にイメージするのは財布だが、それは無い。だって花崎が金銭の見返りは認めていないから。依頼をこなすのもお金がかかったというのに。


「僕が一番大切にしているものは、コレです」


 田中はそう言うと、一本の万年筆を差し出した。遠目で見た感じは綺麗だが、特に目を引くようなデザインをしているわけでもない。


「どうしてか聞かせてもらえる?」


 花崎が理由を問うと、田中は頬を人差し指で掻きながら口を開く。


「中学に上がる頃、愛菜から貰ったんです。一回も使ってないんですけど」

「そ、それを渡して良いのか?」


 思わず口を挟んでしまう。当時は付き合っていないにしても、今の恋人がくれたプレゼントである。それを大切にする理由は分かるが、だからと言って今回の報酬にするまではないだろう。


 そんな俺の心配をよそに、田中は恥ずかしそうに笑う。


「良いんです。これは僕にとって、アイツと証明なんで」

「なるほどね。分かりました。ではこの万年筆を報酬としていただきます」


 正直、俺はコイツが言っている意味が分からなかった。けれど花崎は素直にその言葉を受け取っている。ここで俺が引き止める理由はないが、彼女に負けた気がして少し悔しかった。

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