第23話 「決壊」

「お待たせしました。レッドベリージュースでございます」


 店員が透き通るような赤いジュースを持ってきた。

 ほのかに甘い香りがする。

 しかし私は口をつけることができなかった。

 たった今、エドガーが信じられないことを口にしたからだ。


「せっかく頼んだし飲もうぜ」


 エドガーはごくごくとジュースを飲む。

 私はコップに手をつけられない。

 ジュースを飲みたいという欲求は、消え失せていた。

 私の聞き間違いでなければ、彼は今確かに、吸血鬼と言った。

 

 なぜ私の正体がバレたのか。

 私は現在、リーフィンの魔術のおかげで人間の姿になっている。

 赤毛で、瞳は灰色。

 もちろん歯だって尖ってない。

 どこからどう見ても人間のはずだ。

 バレるはずがない。


「で、どうなんだ? やっぱり吸血鬼なのか?」


 エドガーが真面目な顔で問う。


 なんて答えるべきだろう。

 正直に言うか。

 だが、もし吸血鬼だと確信を持ったら、脱隊させられるかもしれない。

 むしろ、それで済めばまだいい方だ。

 

 ルチア村でのことを思い出せ。

 吸血鬼かもしれないってだけで、私は牢屋に入れられた。

 あの時はたまたまサキュバスの被害もあったから、不運な事故だったともいえるが、

 この国で吸血鬼がどう思われているかは謎だ。

 もしかしたら暴露した瞬間に、物陰からたくさんの傭兵たちが出てきて、

 私を捕まえるかもしれない。

 

 私は周囲に視線を走らせた。

 店内、外の通路、建物の陰。

 見える範囲には、人の気配は感じない。

 いや、もしかすると店員に成りすましているかもしれない。

 

 ヤバい。

 どうしよう。

 魔術を使って逃げるか……。


「そんなビビるなよ。別に取って食おうってわけじゃないんだぜ」


 エドガーが私の様子を見て苦笑する。

 彼の態度は至って普通だ。

 もしかしたら本当に私をどうこうするつもりはないのかもしれない。

 私もだますのは気が引けるし、ここまでバレてしまえば正直に言ってしまった方がいいのかもしれない。

 しかし油断はできない。

 なにかあればすぐ逃げられるように、心の準備だけはしておこう。

 

 私はエドガーの様子を伺いつつ、おそるおそる口を開いた。


「私は……吸血鬼だよ……」


 エドガーはそれを聞くと、一瞬呆けたような表情になる。

 だが途端に目を輝かせると、身を乗り出して私の手を握った。


「やっぱりそうだったのか! 俺は間違ってなかった!」


 そう言って私の手をブンブンと振り回す。

 なんだか予想してた反応と違った。

 もっと剣呑は空気になると思ったが、杞憂に終わった。

 私が目を丸くしていると、エドガーはパッと手を離した。


「ごめんごめん。

 つい興奮してしまった」


「それはいいけど……。

 どうして私が吸血鬼だと分かったの?

 魔術で人間に変身してたのに」


 問題はそこだ。

 エドガーだけが気づいたのか。

 それとも実はみんな気づいていたのか。

 独特の吸血鬼臭とかしていたら最悪だ。


「いくつかあるが、一番最初にアレ? と思ったのは、ルーナと握手をした時だ」


 ウルディとの入隊試験の後、エドガーと初めて会った時だ。

 そんな序盤から違和感を抱いたのか。


「ふつうの人間の体温より低かったもんだから、おかしいなと思ったのが始まりだ」


 知らなかった……。

 私の体温は人間より低いらしい。

 太陽をあまり浴びてないからか。

 それとも人間より頑丈だから皮膚が厚いのか。

 理由はわからない。


「その次は、いつもフードを被っていたことだな。

 顔を他人に見られるのが嫌だからかと思ったが、

 酒場に行った時やギルド内では脱いでたし、それは違う。

 もしかしたら日光を防ぐためかも、と思った。

 まあこの時は吸血鬼とは結び付かなかったけど」


「……」

 

「だから鎌をかけることにした。

 ウルがルーナの正体を訊いたとき、俺は魔人だと言ったが、アレは嘘だ。

 魔力量が多い人間のことは、実は超越者と呼ぶんだ。

 魔人は、超越者が人に害をなした時に呼ばれる名称だな。

 自分から魔人を名乗るアホちんはいないから、ここで人間じゃないと思った。

 太陽を嫌い、魔力量が多いとなったら、

吸血鬼だと、俺の中で繋がった」


「……」


「そして最大の決め手は、さっきのルーナの行動だ。

 俺が椅子を引いたのに、ルーナは座らなかった。

 以前の酒場では、あっさり座ったのにな。

 なんで座らなかったか。

 それは、俺が引いた椅子が日光に照らされてたからだろ?

 ここでやっと、吸血鬼だと確信を持ったんだ。

 どう? 俺の考え間違ってる?」


 エドガーは宝物を探し当てたような顔をした。

 私はエドガーの説明を聞いて、絶句した。

 

 この男、何者なんだ……。

 あまりにも鋭すぎないか?

 いくつも鎌をかけて真実にたどり着く洞察力は、並の者じゃない。

 ふざけてるところばかり目立っていたが、やはりエドガーは『ツインナイト』の隊長なのだ。

 ウルディが彼に従う理由が、わかった気がする。

 そしてここまで言い当てられれば、隠し通すのは無理だろう。

 私は素直に答えた。

 

「間違ってないよ。

 正直、あなたを見くびってた」


「はっはっは。こう見えても勘はいい方なんでね。

 ってことは、リーフィンも吸血鬼?」


 リーフィンに関しても、今更秘密にしても仕方ないだろう。


「いや、彼女はハーフエルフだよ」


「また、珍しい種族だこと……。

 それにしても、吸血鬼とハーフエルフのコンビなんて、面白い組み合わせだな。

 なにか目的があってこの国に来たのか?」


「旅を続けるために、お金を稼ぎに来たんだよ。

 私たちはそれなりに強いから、傭兵なら手っ取り早く稼げると思ったのよ」


「なるほどな。

 二人で旅をするのは楽じゃねえ。

 金も必要だろうさ。

 だけど、そこまでする理由はなんだ?

 なにか旅の目的があるんだろ?」


 エドガーの質問にどう答えるべきか、私は悩んだ。

 旅の目的は、決して褒められたものではない。

 なにせ人を殺そうとしているのだ。

 まともな人なら、正気を疑うだろう。

 現に、ルチア村でリーフィンに言った時、彼女は復讐の末路は悲惨だとため息をついた。

 

 確かに、復讐は褒められた行為ではない。

 復讐なんて諦めて、幸せに暮らした方がいいのかもしれない。

 だが、私は復讐をしなければならない。

 両親を殺しておいてのうのうと生きている流星を、決して許すことなどできないのだ。

 許してはいけないのだと思う。

 流星には、誰かが罰を与えなければならない。

 それは私にしかできないことだ。


「言いづらいことだとしても、ここなら問題ないぜ。

 俺が貸切ってるから、誰かに聞かれることもないしな」


 それで二階席をすべて予約したのか。

 なにからなにまで計算ずくってことか。


「このことは誰にも言わない。

 バカにだって、もちろんしない。

 俺のことを信用してほしい」


 エドガーが曇りなき眼で、私を見据える。

 この時、私の中で警戒していた糸が切れた。

 なぜかはわからないけど、この男にならすべて話してもいいかと思えた。

 リーフィンにすら全部は話したことがないのに。

 なんとなく、エドガーは私の話を否定しないという直感がした。


 私はジュースを一口飲み、乾いた口内を潤す。

 そして、ゆっくりと口を開いた。


「私はある男、流星を殺すために、旅をしているのよ――」


 私は、ぽつりぽつりと話し始めた。

 元々は領主の娘で、人間だったこと。

 流星に会って一目ぼれして結婚したこと。

 そして両親を流星に惨殺されたこと。

 だまされていたことや故郷を追われたこと、

 そして流星に殺されて、偶然通りかかった男に吸血鬼にされたことまで、

 洗いざらいすべて吐露した。

 

 エドガーは相槌を打つでも、頷くでもなく、

 ただただ黙って私の話を聞いていた。


 最後まで話し終わり、私はエドガーに視線を向けた。

 エドガーは私の話を聞いて、沈痛な面持ちをしていた。

 しばらく口を閉ざしていたが、やがて顔を上げるとしぼりだすように呟いた。


「そうか……つらかったな……」


 私はその言葉を聞いて、なにかがストンと胸に落ちた。

 それはじんわりと胸中に広がっていく。

 喉がキュッと詰まる感じがした。

 そして視界がにじんでいった。


 つらかった。

 そう、つらかったのだ。

 私はつらかった。

 両親を殺され、故郷を追いだされ、独りぼっちになって。

 耐えられないほどにつらかった。


 エドガーの言葉はとても月並みなセリフだった。

 誰でもいえる言葉だ。

 だが――。

 私はずっとこの言葉を聞きたかったのかもしれない。


「正直……そんな人間がいるなんて、にわかには信じられない。

 いや、信じたくない、が正しいか。

 あまりにも……邪悪すぎる……」


「…………」


 なにか言おうと思ったが、声が出せなかった。

 今、一言でも喋ったら、涙が溢れそうだ。


「ルーナは、頑張ったな……。

 一人で、よく頑張った。

 だからもう、一人で抱え込みすぎるな」


 私は顔を上げて、エドガーを見た。

 エドガーは決意に満ちた眼差しで言った。


「俺も、その旅に連れてってくれ。

 死んでも君を守ってみせる」


 私はそこでとうとう、耐えていたものが決壊した。

 涙が止めどなく流れた。

 泣き顔は見られたくなかったから、うつむいた。


「まあ、迷宮に潜ってお金を稼いでからだな。

 とりあえず明日、一緒にがんばろうな」


 エドガーは優しい声音でそう言うと、私の肩に手を置いた。

 私は小さく、うん、と頷いた。

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