第9話 「月明かりの吸血鬼」

「リーフィン――ッ!」


 私はどうにか、倒れこむリーフィンを受け止めた。

 見ると背中に、針が刺さった穴が開いている。

 サキュバスに攻撃されたのだ。

 一体だけではなかった。

 サキュバスは二体いたのだ。


「お姉ちゃん!」


「嬢ちゃん!」


 ルイとロールズが駆け寄った。


「まずいわね……。リーフィンも刺された……」


「冗談だろ……」


 私の言葉に、ロールズが戦慄した。


 私はサキュバスの全身を見ないように気をつけ、足元を見た。

 子供の足と尾針が見える。

 しかしどこかその姿は朧気だ。

 全体的にぼんやりとしており、少しだけ透けて見える。

 だがリーフィンから奪い取った精気を吸収すると、輪郭がハッキリとして身体に実体が伴ったように伺えた。


「なるほど……。さっきのサキュバスが、すぐにルイくんを襲わなかったのは、仲間に吸わせるためだったのね……。納得……」


 サキュバスの動きを見ていたリーフィンが、そう呟いた。


「言ってる場合か! 逃げないと……!」


 しかしどうやって?

 ロールズとルイはこの暗闇では進めない。

 私とリーフィンは進むどころか、立つことも難しい。

 助けを呼ぶにしても、ここから村へは遠すぎる。


 このままでは全滅してしまう――。


 最悪の考えが、脳裏によぎる。


「全員……目をつぶって……」


 リーフィンが絞り出すように呟いた。

 疑問に思うよりも早く、私は目をつぶった。

 ロールズとルイもぎゅっと目をつぶる。

 理由はわからないが、この状況で言うからにはなにか意味があるはず。

 私たちはリーフィンの言葉を信じた。


「『ᚠᛚᚪᛋᚺ』」


 小杖ワンドの先端がまばゆい光を発した。

 直接見ては眼球が焼かれるかもしれないほどの強烈な光。

 サキュバスはその光を間近で直視した。


「ギイイィィィィ!!!!」


 サキュバスがつんざくような金切り声をあげた。

 体をよじり、苦しそうにうめいている。

 多少の時間稼ぎはできたが、逃げ切れるほどではない。

 未だ現状は好転していない。


「リーフィン、さっきの風の魔術は使える?」


 私は一縷の望みをかけてリーフィンに問う。

 サキュバスが動けない今ならば、魔術を当てれば倒せるかもしれない。


「無理。精気を吸われて、もう魔力がない……」


 しかし返ってきた応えは、私の希望を打ち砕いた。

 今の光の魔術で精一杯だったようだ。


 私は必死に頭を回転させる。

 このままでは、全員精気を吸い尽くされて終わりだ。

 どうにか力を振り絞って反撃してみるか。

 だけど万が一、再び精気を吸われたら命の保証はない。


 倒すこともできない。

 かといって逃げることも難しい。

 そうなると残された道は、誰かが囮になることだけだ。

 誰がやるか。

 この中で最も耐久力のある、私しかいないだろう。

 私が犠牲となり、他を生かすしかない。


 そう、頭ではわかっていた。

 しかし口に出すのは憚られた。


 怖いのだ。

 それも当然だろう。

 私は一度死んだ身だ。

 死ぬことの恐怖は誰よりも知っている。

 まだ流星に復讐もしてないのに、ここで死ねない。

 しかし、私が犠牲にならなければみんなが死んでしまう。

 その葛藤が、私に死を躊躇させた。


「ルーナが、サキュバスを倒して……」


 踏ん切りがつかずためらっていた時、リーフィンの声が聞こえた。

 抱き抱えた彼女を見下ろす。

 その目は真剣そのものだった。


「私には、倒せない……。

 そんな力はないよ……」


 私は弱々しく呟く。

 武器も魔術も、私は持っていない。

 ここまで勢いだけで来てしまったが、私は戦う術を持っていなかった。

 私はルイを助けたい一心で行動した。

 しかし結果的に、みんなを危険に晒してしまった。

 私の考え足らずな無鉄砲さが、今の危機的状況を生み出したともいえる。

 流星に両親を殺された時から、なにも変わっていなかった。


 うなだれる私に、リーフィンは諭すような口調で言った。


「あなたは……吸血鬼。力がある……」


「――ッ!」


 リーフィンの言葉が、私の暗い胸中を吹き飛ばした。

 そうだ。

 そうじゃないか。

 なぜ忘れていたのか。

 私があの時と違うところが、一つだけあるじゃないか。

 死の淵で、隻眼の男から力を貰った。

 私はもう、ただの力のない女の子ではない。

 そして、ふつうの人間でもない。

 闇を見通し、闇を支配する高潔な種族。


 私は――吸血鬼だ。



 サキュバスのうめく声が小さくなっていく。

 悠長に話している時間はない。


 私はリーフィンの緑のローブの襟元をめくった。

 白い首筋があらわになる。


「もしかしたら痛いかもしれないけど……」


「躊躇しなくていい。急いで」


 なにをするか察したリーフィンは迷わず促す。


「わかった」


 私は思い切り、リーフィンの首に噛みついた。

 口内に血の味が広がる。

 しかし不快ではない。

 むしろ濃厚で、芳醇な果汁のようであった。


 心臓の鼓動がドクドクと脈打つ。

 それは徐々に、しかし着実に加速していく。

 リーフィンの血が私の全身を巡っていく。

 頭のてっぺんから足のつま先に至るまで、

 隈なく血が通っていくのがわかる。

 骨が、筋肉が、肌が、作り変わっていくような感覚。


 身体が熱く、肌がわずかに赤みを帯びる。

 サキュバスに刺された足が、みるみるうちに治癒していった。

 身体の底から、力が溢れてくる。


 私はリーフィンをそっと寝かせ、立ち上がる。

 サキュバスも視力が戻ったのか、もううめいてはいない。

 私の正面で様子を伺っている。


 すると、サキュバスの姿が徐々に変化していった。

 子どもの足が、大人の男性のようなすらりと長い足になる。

 身長も伸びたように感じたが、魅了されないよう全身は見ずに足元だけを注視した。


 変身を終えたサキュバスは、不用意に近づいては来ない。

 私のことを警戒しているようだ。

 しかしこちらが動くのを待つほど、サキュバスは大人しくなかった。

 体勢を低くし、おそろしい速度で私に肉薄した。

 蛇のような尾がしなり、針が私の腹目掛けて襲い掛かった。


「お姉ちゃん――ッ!」


 ルイの絶叫が背後で響く。

 サキュバスの針が私の腹に深々と刺さったように、ルイの目には見えただろう。

 ロールズも固唾を飲んで、行く末を見守っている。


 その時。

 暗い森に、光が差した。

 夜空を覆っていた分厚い雲が流れたのだ。

 大きく、丸い月が姿を現した。

 その月光は私を照らした。

 ルイとロールズが思わず息を吞む。

 私はゆっくりと振り向き、柔らかく微笑んだ。


「大丈夫。私は……吸血鬼だから」


 バキン、という音と共に針が砕け落ちた。

 サキュバスは驚愕し、即座に私と距離を取った。

 私の強靭な肌は、サキュバスの針を通さなかった。

 それどころか針を破壊するまでに至った。

 リーフィンが私の足元で、口角を上げる。


「最高。あとは、アイツを倒すだけ」


「簡単に言うけど、武器なんてないよ」


 直接殴ってもよさそうだが、そうするとどうしてもサキュバスの全身を視界に収めてしまう。

 それで思考停止しては、元も子もない。


「それなら、魔術を使えばいい」


 リーフィンがさも当然というふうに言う。


「私は魔術なんて知らないよ?」


「ルーナの頭は知らなくても、その吸血鬼の血は知ってる。

 吸血鬼が得意な魔術は、火魔術。

 鳥が習わなくても羽ばたけるように、吸血鬼にとって火魔術は、できて当然のもの」


 そうハッキリ断言されると、できそうな気がしてくる。

 今の私は、かつてないほどの全能感に満たされており、なんでもできそうな気がした。


「どうすればいい?」


「両手を前に出して」


 言われた通り、両腕を胸の前に突き出す。

 サキュバスは警戒しているのか、先ほどのように距離を詰めてこない。

 今が好機だ。


「ルーナの血は、火魔術を行使する為の“道”が、すでに構築されてる。

 あとはきっかけがあれば、簡単に発動できる」


「きっかけ?」


「詠唱よ」


 リーフィンはとある言葉をつぶやく。

 初めて聞く単語なのに、私はどういう魔術なのか理解できた。

 頭に浮かび上がるその魔術を、鮮明に思い描きながら、私は詠唱した。


「『ᚠᛚᚪᛗᛖ』」


 今まで意識してなかった、体内の魔力が詠唱と共に躍動する。

 それは出口を見つけるように体内を駆け巡る。

 やがてその魔力は指向性を持ち、決まった順路を通り、掌の先で放出される。


 刹那、森が昼間のように明るくなった。

 唸るような轟音が、その場を支配した。

 そして爆発するように、火炎が前方を焼き払う。

 圧倒的熱量が大地を焦がし、木々を灰燼と化した。


 サキュバスは断末魔を上げる間もなく、消し炭となった。

 私の前方はポッカリとなにもない、焦土と化した。

 ムッとする焦げ臭さだけが、辺りに漂っている。


 完全に消えたのを確認した後、後ろを振り向いた。

 ルイとロールズは眼球が飛び出そうなくらい、目を見開いて固まっていた。

 リーフィンは倒れたまま、私に向けてサムズアップしている。

 私もサムズアップを返そうとしたが、唐突に身体がいうことを利かなくなり、そのまま地面に倒れ伏した。


「お姉ちゃん!?」


「嬢ちゃん!?」


 我に返った二人が、私のそばに駆け寄る。

 私の視界は虹色の渦がぐるぐると回っていて、二人の顔が見えなかった。

 というか、すごく気持ちが悪い。


「初めて魔力を使ったから、体内の魔力がびっくりして暴れてるだけ。

 いわゆる、魔力酔い」


 リーフィンの言葉が耳鳴りのする鼓膜に響いた。


(そういうことは早く言ってよね……!)


 鼻血を垂らしながら、私は声にならぬ声で毒づいたのだった。

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