第一章 ルチア村編

第5話 「牢屋での邂逅」

 私はぺたぺたと、自分の頬を触る。

 水面に映る私も、同じように頬を触っていた。

 この姿は、私とみて間違いないようだ。

 そしてこの変化は、おそらくあの隻眼の男の影響だろう。

 容姿が隻眼の男と近いものになっている。

 力を授けると言っていた気がしたが、今のところなにも感じない。

 ただ容姿が変わっただけだ。

 むしろ髪の毛が黒く変色して、私の気分は最悪だった。

 あの憎き流星と同じ髪色だからだ。


「だけど、私は生き延びた……」


 容姿のことなど、もはやどうでもいい。

 隻眼の男には感謝してもしきれない。

 私は復讐する機会を得ることができた。

 流星には、私の両親が受けた苦しみよりも、

 さらに深い苦痛と絶望を味合わせないと気が済まない。


 水面に映る私の顔が暗く歪んでいく。

 それに気づいた私は、慌てて顔をすすいだ。

 小川の水はひんやりと冷たく、私のほてった頭を冷やしてくれる。


 具体的にどうすべきか考える必要がある。

 まず流星の能力についてまとめてみよう。

 能力名は、『精神支配』。


 ①時間をかけずとも即座に能力をかけることができる。

 ②能力をかけた者の、行動を意のままに操ることができる。

 ③能力にかけた者の、視界を共有することができる。


 流星の言葉通りなら、こんなところだろうか。

 しかし、まだ未知の力がある可能性も捨てきれない。

 これらを元に、私が流星を殺すためにはどうすべきか策を練ろう。


 私は必死になって頭をひねる。

 しばらく熟考したが、どうにも不可能に思えた。


 まず、流星に近付くことが難しい。

 なにせフォルクリーフ領の住人全員の視界を共有しているのだ。

 髪色は変わっても顔はそのままなので、領地内に入ればルーナだとバレる恐れがある。

 こっそり食事に毒を盛ったり、夜中寝込みを襲うことは不可能に近いわけだ。

 万一近付けたとしても、流星自身ダイアウルフを余裕で倒せるくらい強いのだ。

 私程度が襲っても、簡単に返り討ちにされそうだ。


 そうなると私にできることはなかった。

 せっかく生き返ったのに、両親の仇を討つことができない。


 その無力感が、私の心を蝕んだ。

 そして急速に、この独りの状態に心細さを覚えた。

 私には味方がいないことが、まざまざと突き付けられた気がした。


 もう、あの町には戻れない。

 私の居場所はどこにもないのだ。

 ただただ、行き場のない憎悪だけが胸中で渦巻いている。


「これから、どうすればいいの…………」


 ぼそりと呟き、私は故郷の町とは反対方向に、力なく歩き始めた。





 行く当てもなく、ひたすら歩き続ける。

 どこか、人がいるところに着けばいいなと思った。


 野を進み、山を越え、森を抜けていく。


 私は三日三晩、飲まず食わずで休むことなく歩いた。

 不思議と、空腹や疲労を感じなかった。

 また獣や魔物にも、一度も出くわさなかった。

 この辺りは比較的安全な土地とはいえ、トレントやゴブリンが出ることは珍しくない。

 まるで私のことを避けるかのように、目の前に現れることはなった。

 しかし今の私にとっては、幸運だな程度にしか思わなかった。

 私の心は常に鬱屈としており、自分の変化や周りの状況を気に掛ける余裕はなかった。


 やがて森を抜け、視界が開けた。

 黄金の畑が、眼前に広がっている。

 広大な麦畑がそこにあった。

 その奥には、ねずみ色の石造りの家がまばらに建ち並んでいた

 家々の間で、子どもたちが楽しそうに走り回っている姿が見える。


 平和な光景を目にし、頬が緩むのを感じた。


 ここなら、私のことを知る人はいない。


 村に吸い込まれるように一歩踏み出したが、はたと気づき足を止めた。

 私の服は吐いた血が付き、とても穏やかとは程遠いものだった。

 この状態で村に行けば、訝しがられるだろう。


 このままではまずい……。


 辺りを見渡し、畑の中に佇むカカシの姿が目に入った。

 カラス除けのため質素な服を着ており、遠目からは人っぽく見える。


(あとで絶対返すから、今だけ……!)


 誰も見てないことを確認し、その服を拝借して身にまとった。

 ずっとこの姿のままとはいかないので、まずは服を買う必要がある。


 私はなにか金目の物を持っていないか、自分自身を観察する。

 そして、それはすぐに見つかった。


「これか……」


 私の指で、銀色に輝く物体。

 流星から、プロポーズの際にもらった指輪だ。

 もらった時は気絶するほど嬉しかったが、今となっては忌々しい代物に過ぎない。

 こんなもの、とっとと売っぱらってしまおう。


 村の中に入り、服が売ってそうな店を探す。

 大きな村ではないので、ほとんどが民家だった。

 入口に宿屋らしきものがあったが、服は売っていなかった。


 しばらく進むと、カバンやら装飾品やらが所せましと並べられたお店を見つけた。

 柱には、カバンのマークが彫られた看板が掛けられている。

 おそらく雑貨屋だろう。

 よく見ると、店の奥に服が掛けられているのが見えた。

 装飾品もあるので、指輪を売ることもできそうだ。


 ほっと胸を撫で下ろし、店に入ろうとした。

 その時。

 村の奥からなにやら騒がしい集団が歩いてきた。

 気になって、私は足を止めた。

 この村の住人だろうか。

 みんな、険しい顔をしていた。


「これで三人目だぞ」


「ああ。みんな同じ死に方をしていた」


「魔物には違いないが、ゴブリンやダイアウルフではなさそうだな」


 どうやら村人が魔物に襲われたようだ。

 彼らの声のトーンは一様に低かった。


「死体はどれも干からびていた。まるで、全身の血が抜かれたみたいだった」


「血を飲む生物……。

 まさか、吸血鬼の仕業か?」


「あり得る。噂で聞いたが、最近この辺をうろつくヤツがいるみたいだ」


「俺も聞いたことがある。

 黒髪で美形な男だったり、金髪で美しい女だったりと、情報は曖昧だがな」


 口々に言い合う男たち。

 黒髪で美形な男。

 私は一人の男を思い浮かべていた。

 あの隻眼の男だ。

 彼は殺人鬼だったのだろうか。

 まさか、ね……。


 ぼんやりその集団を眺めていたからか、

 その内の一人と、目が合った。

 村人は私の髪を見て驚き、つかつかと近付いてきた。


「君、村の者じゃないね。

 どこから来たんだ?」


 そういえば私も黒髪だった。

 しかし話によると犯人は男らしいから、私は関係ない。

 いや、金髪の女とも言ってたか。

 だが私は金髪じゃない。

 よってその事件とは無関係だ。

 そう主張するのは簡単だが、村人が発した質問は、私にとって都合が悪かった。


 どこから来たか。


 フォルクリーフ領と答えて、

 万が一にも流星に私が生きていると知られれば、殺される可能性がある。

 だから、おいそれと答えるわけにもいかない。

 かといって、どう答えればいいかパッとは思いつかない。


 私が言い淀んでいると、私の姿を見た男の一人が眉根を寄せた。


「というか、その服。

 この村のカカシのものじゃないか?

 まさか、盗んだのか?」


「あの……これは……その……」


 どんどん男たちの目線がきつくなっていく。

 どう応えればこの場を収められるか、私は必死に考える。


「とりあえず、向こうで話でもしようか」


「ちょ、ちょっと待って!」


 男が強引に、私の服を引っ張った。

 慌てて抵抗したが、もう遅かった。

 カカシの服がめくり上がり、元々下に着ていた服があらわになる。

 両親の血や私が吐血した赤い汚れが、男たちの目に入った。

 それを見て、男たちは私を危険人物だと判断した。


「コイツ、怪しいぞ!」


「捕まえろ!!」


 男たちの怒号が飛び交う。

 完全に終わった。

 もう言い逃れはできない。

 どうにかして、逃げるしかない。


 私はカカシの服を脱ぎ捨て、その場から逃走を図った。

 しかし男の怒号を聞きつけ、近くにいた別の男たちも私を捕まえようとした。


 その内の一人が、私の前に立ち塞がった。


 後ろには、別の男たちが迫ってきている。

 逃げ場が、なくなった。


 だったら、強引に押し通るしかない!


 私は前の男に、走る勢いを利用して体当たりした。

 男がよろめいたら、その隙に逃げようと思ったのだ。


「ぐはっ――!?」


 しかし私の考えとは裏腹に、男は地面を三回転もして後ろに吹っ飛んだ。


 なんだ、この力は?


 私が一番びっくりしたが、今は考えている暇はない。

 これ幸いと、倒れた男の横を走り抜けた。


 だが、うまくいったのはここまでだった。

 複数の男が集まり、私を取り押さえたのだ。

 流石に数の力には勝てず、縄でぐるぐる巻きにされた私は、村のはずれの牢屋に放り込まれた。

 私は慌てて無実を訴えた。


「誤解よ! 私は村の人なんて殺してない!」


「黙れ、化け物が!

 疑いが晴れるまでは、ここで大人しくしていろ!」


 村の男は聞く耳を持たず、軽蔑の眼差しを向けた。

 私は、その目を見て怯んだ。


 前に、この目を見たことがある。

 そう。

 あれは、両親が殺されたときのことだ。

 駆け付けた騎士団が両親の死体を見た後、私に向けた目がまさにそれだった。


 軽蔑と恐怖が入り混じったような目。


 胸が締め付けられるように苦しくなった。

 私は男に反論する気力を失い、深くうなだれた。


「ふん! 反省したフリをしたって、無駄だからな!」


 男はそう言うと、足早に去ってしまった。


 私が、なにをしたというのだ。

 なぜ、こんなにつらい思いをしなければならないのだろう。

 理不尽だ、と思った。

 私は牢屋の先の一点を、虚ろな目で見つめる。

 もう、なにも考えたくなかった。







「そういう日もある」


 背後で、柔らかい声が聞こえた。

 後ろに顔を向けると、暗い影の中に誰かが佇んでいた。


 肌は透き通るように白く、唇は薄いピンク色に色づいている。

 目はおっとりとしたタレ目で、瞳は空色。

 髪はゆるくウェーブのかかった綺麗な金髪だ。

 若葉を彷彿とさせる、鮮やかな緑のローブを身に纏っているものの、

 その華奢な体格は、服の上からでも分かった。

 そして最も特徴的なのは、長く尖ったその耳。


 私以外に、牢屋に捕らわれていた人物。

 彼女は、エルフだった。

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