第4話 「闇の世界へ」

 騎士団が私に迫っている。

 きっと捕まれば殺されてしまう。

 胸が張り裂けそうなほどつらかったが、

 それでも私は死にたくなかった。


 震える足に力を入れる。

 手に力を籠める。

 そして、狙いを定めた。


 私は持っていたナイフを思いっ切り投げた。


 投擲されたナイフは、流星の顔面目掛けて真っ直ぐ飛んでいく。

 騎士団が慌てたようにナイフの行方を追った。


「こんなんが当たると思ってんのか?」


 流星は身体をずらし、危なげなく回避する。

 通り抜けたナイフはそのまま奥の窓ガラスに直撃し、

 派手な音を立ててガラスを破壊した。

 全員が一瞬、その音に気を取られる。


 その隙を、私は見逃さなかった。

 縫うように騎士団の中を走り、流星の横を通り過ぎる。

 そのまま砕けた窓ガラスに身を乗り出し、外へと躍り出た。


「逃がさないで下さい!」


 流星の怒号が背後で聞こえる。


 流星の叫び声が聞こえたのか、近くの建物から人が出てきたが、

 状況を理解できず、ただ私を見るだけだった。

 私は捕まらないように、とにかく走り続けた。



 走りながら、今までのことがフラッシュバックする。


 何不自由なく生きてきた。

 風邪をひいた時、母は一日中看病してくれた。

 勉学でわからないところがあった時、父は厳しくも丁寧に教えてくれた。

 騎士団も、私に優しく接してくれた。


 そして――。

 流星と過ごした時間は、至福の時であった。


 初めて人を愛することを知った。

 人を愛すると世界が変わって見えた。

 何気ない景色が絶景に、

 たわいもない会話が、太陽よりも私を暖かくしてくれた。


 しかしそれらの思い出は、流星の手によって打ち砕かれた。

 あの笑顔も、言葉も、思い出も、

 すべて流星が操作したものだった。

 全部、偽物だったのだ。


 涙がとめどなく流れ、私の後方に散っていく。

 私は、すべてを失った。




 体力のある限り走り続けた私は、気づけば流星にプロポーズされた、

 あの小さな丘に辿り着いていた。


 先程の地獄とは打って変わって、この場所は静寂に包まれていた。

 死に物狂いで走ったので、膝が震えていた。

 もう一歩も動けそうにないが、ここまで逃げ切れば大丈夫であろう。


 ふっ、と一息つこうとした時、身体が揺れた。

 胸が熱い……。


 視線を落とすと、胸から剣が突き出ていた。

 ごぽり、と口から血が溢れた。


「はい。おつかれ」


 首を後ろに回すと、そこには流星が立っていた。


「なんで……この場所が……」


「お前を見失って、一瞬焦ったぜ。

『精神操作』は他人を操るが、動き自体を完璧には操作できない。

 だからお前の足を止めたりはできないわけだ」


 流星がそう言って、剣を引き抜く。

 私は大量に吐血して、地面に崩れ落ちた。


「もう一度言うが、心底焦ったよ。

 このまま逃せば、俺の能力が他人にバレてしまう。

 それだけは避けたかった。

 絶対に逃すわけにはいかない。

 その覚悟が、俺の能力を覚醒させた――。

 俺の能力は、一段階進化したんだ!」


 流星は恍惚とした表情をする。


「するとどうだ!

 途端に視界が開けた。

 そして、様々な映像が俺の頭を埋め尽くした。

 俺の能力にかかった人間の視界を、共有できるようになったんだ。

 それに時間をかけずとも、能力をかけられるようになった。

 さらに行動まで完全にコントロールできる、おまけつきだ。

 おかげで町の人間は、全員能力をかけられたぜ。

 これでお前の味方はいなくなった。

 あとは住民の視界を元に、ここに辿り着いたというわけだ」


 そう言って、私をひたと見据える。


「俺はこの力を『精神操作』改め、

『精神支配』と名付けるぜ」


 私は霞んだ瞳で、流星を見ていた。


 血がべっとりついた剣を携え、

 血走った目を細め、

 邪悪に笑う流星の姿は、

 まさに悪魔と呼ぶに差し支えなかった。

 元の優男の面影は微塵も残っていない。

 そこに立つのは、最低最悪の殺人鬼だった。


 這いつくばる私を見下ろす流星が、目線を合わせるようにしゃがんだ。

 先ほどの笑みは消え失せ、ゴミを見る目をしていた。


「最後だから言わせてもらうがよ」


 そう前置きをしてから、流星は口を開いた。


「気持ち悪いんだよ。お前」


 吐き捨てるように言った。


「俺の言葉を馬鹿みたいに信じて、舞い上がる。

 騙されやすいヤツって、知能低くて関わりたくないんだよな。

 お前と会ってる時、イラつきを態度に出さないようにするのが大変だったぜ」


 私の頬を熱い涙が伝った。

 それと同時に、爆発するような怒りを覚えた。

 私は砕けそうなくらい奥歯を噛みしめた。


「あんただけは……絶対、許さない……!」


 立ちあがろうとするが、足に力が入らない。

 だけど、そんなこと関係ない。

 這ってでも行って、その首を噛みちぎってやる。


 私の射殺さんばかりの目を見て、流星はけらけらと笑い、

 芝居がかったように、後ろに飛び退いた。


「おおこわ。だけど心臓を刺したんだ。

 遅かれ早かれお前は死ぬ。

 今度はチート能力でももらって、別の世界に転生できるといいな」


 そんなことは、望んでない。

 今、この世界のお前を殺さないと、気が済まない。


 しかし無常にも、流星は私に背を向けて去って行く。


「待……て……」


 胸から血が流れ続けている。

 同時に、力も抜けていくようだった。

 どんどん視界が狭まっていく。

 圧倒的な孤独感。

 これが、死ぬということなのか。


(それでも、私は。あいつを必ず……殺す……!)


 身体の力がなくなっていっても、

 流星に対する殺意だけは、なくなることはなかった。


 腕を伸ばし、流星の背中を手繰り寄せようとする。

 しかしどんどん遠のいていく流星に、届くことはない。


 伸ばした手が、パタリと地面に落ちる。

 私の意識は、そこで消失した。







「ふむ。死体か……」


 声が聞こえた。


 今にも消えかかった命を焚き付け、

 最後の力で瞼を持ち上げた。


 私を抱き抱える男が目に入った。

 顔は陶器のような白い肌で、まるで血が通っていないかのようだ。

 それとは逆に、唇は血を湿らせたかのように赤い。

 片方の瞼が閉じており、隻眼だった。

 そしてその男の髪の毛は、

 夜のような漆黒だった――。


 そう。流星と同じ黒い髪だった。

 風前の灯だった私の命が、僅かに燃え上がる。


「殺して、やる……」


 その白い首を締め上げようと腕を伸ばすが、

 力が入らず、パタリと落ちてしまう。


「ククク。いい目をしている。

 己が死にそうだというのに、我輩に向ける刃のような鋭い殺意。

 気に入ったぞ」


 男はうっすらと口角を上げる。

 その時、尖った牙のようなものが見えた気がした。


「今から貴様に力を授ける。

 おそらく痛みに耐えられず死ぬだろうが、運が良ければ生き延びる。

 あとは、貴様の好きにしろ」


 そう言うと、男は徐に、私の首筋に噛みついた。

 そして、なにかが私に流し込まれる。


「なに、を……」


 疑問に思うと同時に、激痛が全身を襲った。


「ギャアアァァーーッ!!」


 私はその場でのたうち回る。

 男は口を白い布で拭うと、踵を返した。


「夜の女神のご加護があらんことを」


 そう呟き、男は闇の中に消えていった。

 私は男を追いかけることができなかった。


 身体が、溶けそうなほど熱い。

 血が熱湯になって、全身を駆け巡っているようだ。

 頭痛も尋常じゃない。

 脳みそをぐちゃぐちゃに潰されてるのかと錯覚するほどの痛み。

 視界がバチバチと弾け、目玉が吹き飛ぶような感覚に陥る。

 死んだ方がマシだと思えるほどの激痛。

 いっそこのまま死んでしまいたかった。


 しかし脳裏に刻まれた記憶が、楽になることを許さない。

 惨たらしく殺された両親。

 支配された私の故郷。

 そして、悪魔の笑みをたたえた流星。


 私は、歯を食い縛る。

 絶対に死ぬわけにはいかない。

 私は、必ず両親の敵をとる。

 その為なら、私はどんな痛みにも耐えて見せる。


 血反吐を吐き、激痛で気を失い、また激痛で起こされ血反吐を吐く。

 無限とも思える時間、その繰り返しが続いた。




 どれだけの時間が流れただろう。


 気付けば、地獄の時間は終わっていた。

 先ほどの激痛が嘘のように消え、むしろすこぶる調子がよかった。

 胸の傷も綺麗に塞がっていた。

 致命傷のはずだったが、これはどういうことだろう。


 傷はなかったが、吐いた血が体中に付いていて、かなり汚れている。

 私は体を洗う為、近くの小川へと足を向けた。

 まずは顔を洗おうと思い、川に身を乗り出した。


「ん!?」


 水面には知らない人が写っており、反射的に後ろを向いた。

 しかし背後には誰もいない。

 もう一度、水面に顔を映す。

 水面の人物は、私と同じ動きをしていた。


 眩く光る、澄み切った純白の肌。

 ルビーを彷彿とさせる紅い瞳。

 血を塗ったような唇とやや尖った牙。

 そして母親譲りのバラのような赤毛は、

 闇夜の如き漆黒に変化していた。


「……誰?」


 私は、私じゃなくなっていた。

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