第3話 「彼の正体」
私は膝から崩れ落ちた。
目から涙があふれ、口がわなわなと震える。
そして、その場に嘔吐した。
「あーあ。汚いなぁ」
流星は軽い口調でそう言うと、母を無造作に放り投げた。
父の近くに落ち、血が私に跳ねる。
両親が私の目の前で倒れているのが見える。
顔は恐怖に歪み、血まみれでピクリとも動かない。
二人とも死んでいた。
その現実を、私は受け止めることができない。
だが、それ以上に信じられないこと。
それは殺したであろう人物が、彼だったことだ。
私の婚約者であり、優しい王子様のような彼。
なにか、悪い夢を見ている気がした。
放心している私に、彼が話しかける。
「改めて挨拶しようか。
俺の名前は
異世界人だ」
彼――流星がそう告げるが、私は動けない。
動けない私を気にすることなく、
流星はこちらにゆったりと歩き出した。
「俺は前の世界では交通事故で死んでしまってね。
終わったと思ったが、気づいたらこの世界に転移していた。
しかも、高い身体能力と特別な能力を持ってね。
いわゆるチート持ちってヤツだな。
よくある展開では魔王を討伐したり、ダンジョンを攻略したりする訳だが、
俺はごめんだね。
なぜって?
そりゃせっかく生き返ったのに、命を危険に晒すことなんて、したくないからな。
お前もそう思うだろ?」
そう言って、私の肩に手を乗せてきた。
私は辛うじて手を振り払ったが、
言い返す気力は残っていなかった。
流星は肩をすくめ、私の前にしゃがんだ。
「俺は二度目の人生、楽してゆるやか~に過ごしたいわけよ」
へらへらと笑っていた流星。
しかし不意に表情が消え失せ、目が据わった。
「だから、お前の領主を殺すことにした。
俺が新しい領主として、この土地を統治する」
この男は、何を言っているのか。
私には理解できなかった。
ひどい頭痛の中、彼の真意を測ろうとする。
しかしいくら考えても、
現領主を殺して、新しい領主になれないのは、火を見るより明らかだった。
「誰も……あなたのこと……
領主だと……認めるはず、ない……」
私は振り絞るようにして応える。
「まあ、ふつうはなれないわな。
だけど俺の能力なら、不可能じゃないんだわ」
流星はそう言うと、持っていたナイフを、
私に握らせた。
なにを……? と疑問に思った瞬間、
私の脇腹に衝撃が走った。
視界がぐるぐると回転し、なにかにぶつかり止まる。
どうやら流星が私を蹴り飛ばしたらしい。
寝室の壁まで転がり、身体を打ち付けたようだ。
「俺の能力は、『精神操作』。
この力は、相手の心を操ることができる。
相手が俺に対して心を許せば許すほど、
能力がかかりやすくなるのさ。
だからお前の両親は、簡単に俺のことを館に入れてくれたし、
従者や騎士のヤツらも、この館から追い出すことができた。
楽に仕事ができたぜ」
子供がおもちゃを自慢するかのように、流星は得意げに語り出した。
私にとってはどうでもいいことだ。
しかしその口は止まることなく、ひたすらに喋り続けた。
「この能力の弱点は、時間がかかることだな。
初めはいくら待っても能力にかからねぇから、不便だなと思ったぜ。
けど、言葉に能力を込めることに気づいてからは早かったな。
特に相手が言われて嬉しい言葉を使うと、楽に能力にかけることができるんだ。
それと態度や口調もだな。
俺のキャラじゃねーが、優男みたいなタイプだと万人受けする」
「……」
「あと便利なのは、この『精神操作』が自分にもかけられることだ。
前世だったら人殺しなんて絶対できねぇし、血なんて気持ち悪くて仕方ねぇ。
けど俺の精神を操作すれば、あら不思議。
ゲームのような感覚で殺せるし、女だってなにも感じず蹴り飛ばせるってわけだ」
流星が悪魔のように口端を吊り上げる。
私は彼の話を聞いて、愕然とした。
この男はゲームだと言った。
私の両親を殺したのは、自分が楽して生きるため。
崇高な目的も、憎悪に満ちた殺意もない。
文字通り、遊びのような感覚だったのだ。
すぅ、と視界が狭まっていくのを感じる。
腹部がぐつぐつと煮えるように熱い。
これは怒りなどという、生易しい感情じゃない。
これは……殺意だ。
私は、初めて人に殺意を覚えた。
「その目。もしかして俺にキレてる?
なるほどね~」
流星は面白そうに私を観察する。
「俺が見た中で、お前が最も能力にかかってた。
基本的に自力で解くのは無理だと思ってたが、
俺に対する激しい怒りや殺意を覚えると、能力が薄れるみたいだな。
いやー、いい実験になった」
未だ遊び感覚の流星が、憎くてたまらない。
拳に力が入り、ナイフの柄を握りしめた。
そこで、ナイフを持っていたことを思い出した。
このナイフで両親がされたことを、そのまま味わわせてやりたい――。
そう考えた時、ふと疑問に思った。
なぜ流星は、わざわざ武器を持たせたのだろうか。
「もしかして、なんでナイフを持たせたか、なんて考えてる?
だったらすぐに答えはわかるぞ」
そう言うや否や、廊下から慌ただしい足音が聞こえた。
そして現れたのは、騎士団のメンバーだった。
「今しがた悲鳴が聞こえましたが、いかがなされ……
うわっ……!!」
部屋の惨状を見た騎士が叫び声を上げる。
その目は横たわる両親の死体に向けられている。
その後、私と流星を交互に見た。
騎士と私の目が合う。
その目を見て、私は安堵した。
彼らは、私が赤ん坊の時から常に守ってくれた。
私のことを、いつも娘のように可愛がってくれた。
きっと助けてくれる――。
そう確信した。
流星はというと、騎士団が来るとすぐに居住まいを正した。
そしてさっきまでの態度をがらりと変えると、凛々しい態度で口を開いた。
「ご報告いたします!
我が妻であるルーナ様が、夫婦の邪魔になると突然ご乱心なされ、
領主様及び夫人を刺殺されました!
領主様の騎士として、私はこの事態を看過することはできません。
よって心苦しくはありますが、ルーナ様を死罪にすべきだと愚考いたします!」
騎士団はそれを聞いて、騒めいた。
まさかルーナ様が。
そんなバカな。
と口々に言い合う。
どうやら流星は私のせいにするつもりらしい。
その手には乗るものか。
「みんな騙されないで!
私が実の両親を殺すわけないでしょ!?
流星が全部やったことなの!」
私は流星が悪なのだと訴えた。
彼が諸悪の根源なのだ、と。
騎士団は戸惑いの色を見せる。
私と流星の意見が真逆だからか、混乱しているようだ。
それに血の匂いが漂う、非現実的な空間に圧倒されているのかもしれない。
正気に戻さなければならない。
私は言葉を連ねて、説得しようとした。
しかし私よりも先に、流星が声を発する。
「彼女が持つナイフが動かぬ証拠!
皆さん、悪魔の言葉に耳を貸してはいけません!」
それは鶴の一声だった。
騎士団の様子が一変する。
その顔は怒りに満ちていた。
耐えられなくなったように、騎士の一人が叫んだ。
「この……悪魔!」
その言葉を皮切りに、せきを切ったように周りも声を荒げた。
「俺たちを騙そうとしやがって! 許せねえ!」
「お前みたいな悪を見ると、反吐がでる!」
「死んでしまえ!」
騎士団は人が変わったように、口々に私を罵った。
彼らの目には、軽蔑と恐怖が入り混じっているように見えた。
生まれて初めて、こんな目を向けられた。
いつも親しげに話しかけてくれた彼らとは、あまりにもかけ離れていた。
私は説得する気力を失った。
ただひたすらに……怖かった。
「さあ、大人しくしている今が好機です!
ルーナを捕まえましょう!!」
流星の芝居がかった口調が、寝室内に響く。
私が両親を殺すはずがないのは、
よく考えればわかることだ。
しかし流星の『精神操作』により、騎士団はまともな思考ができていない。
また、私の次に流星は騎士団と共に行動していた。
非常に『精神操作』がかかりやすくなっているのだろう。
そして私の手には、両親を刺したナイフという物的証拠もある。
これらを踏まえて考えると、この後の展開は予想がついた。
「ルーナを捕えろ!」
当然と言わんばかりに、騎士団の一人が声高に叫ぶ。
騎士団が私に向かってくる後ろで、邪悪な笑みを浮かべる流星の姿が鮮明に目に映った。
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