第2話 「悪の宴」

 結婚式は夢のようであった。

 憧れの純白のドレスに身を包んだ私を見て、母は泣いて喜んだ。

 父は妻として恥ずかしくないよう振舞えと、威厳をもって諭した。

 そして彼は、これからもよろしく、と優しく笑った。

 これほど幸せな日はなかった。

 もし明日死ぬことになっても、後悔はない。


 私は幸福の絶頂であった。



 その夜。

 私は自室でそわそわしていた。

 この部屋は実家の館ではなく、彼が購入した館だ。

 二人で住むには少々広すぎるが、後々手狭になっていくだろう。

 従者を雇ったり、子供が増えたりする可能性があるからだ。


 子供。

 その単語を思い浮かべ、顔が火照るのを感じる。

 なにせこれから、その子供を作る行為をしようとしているのだ。


 婚約した後の初夜。

 絡み合う視線、

 熱い吐息、

 触れ合う唇。


 王道の流れである。


 流れは理解しているが実際にしたことはないので、

 具体的にどうすればいいかはよくわかっていない。

 まあ、そこは彼がうまくリードしてくれるだろう。


 お父様、お母様、今夜私は大人になります……!



 しかし待てど暮らせど、彼は現れなかった。

 不思議に思った私は自室を出て、彼の部屋のドアをノックした。

 返事はなくシンと静まり返っている。

 そっとドアを開けて中を覗くが、彼の姿はなかった。


 なぜ、いないのだろうか……。


 私は妙な胸騒ぎがした。

 上着を羽織、外に出た。

 向かうのは私の実家だ。

 なぜか実家に彼がいる予感がした。


 慣れ親しんだ、館の正門を通り抜ける。

 そして玄関の戸を開けた。


「うっ…………!」


 凍るように空気が冷たい。

 ピリピリと肌が引き攣った。

 明かりはついておらず、真っ暗な闇がそこにあった。

 暗がりから化け物がこちらを覗いているような、そんな寒気すら覚える。

 館内は物音一つせず、不気味なほど静かだ。


 私は玄関横にあるランプを手に取り、辺りを照らした。

 ここで私は違和感に気付いた。


 なぜ誰も出てこないんだ――?


 夜中でも従者や騎士の誰かしらは、常に配置されているはずだった。

 しかし玄関を開けても人が来る気配はない。

 いくらなんでもおかしい。

 一度、人を呼びに引き返そうか。


 そう思った瞬間、背後で玄関が勢いよく閉まった。

 危うく、ランプを取り落としそうになった。


 風……だろうか……。


 心臓が止まるかと思った。

 まるで館が、そのまま行け、と言っているように感じた。

 彼のこともそうだが、両親がどうなったのか気になる。

 私は腹をくくり、極力音を立てないように奥へと進んだ。


 暗い廊下を歩き、各部屋を調べる。

 部屋の扉を開ける度に、なにか出てくるんじゃないかと冷や冷やした。

 暗い廊下は終わりのないトンネルのように感じた。

 叫び出したくなるのを必死に堪える。

 嫌になるくらい、歯がガチガチと震えていた。

 足に力が入らず何度も崩れ落ちそうになるが、

 どうにか踏ん張って彼と両親を捜し続けた。



 やがて両親の寝室の前に来た。

 そこで初めて音が聞こえた。


 ピチャン、ピチャンという水滴が落ちる音だった。


 自分の呼吸が浅くなっているのを感じる。

 貧血のようなめまいがした。

 心臓が苦しいくらいに脈動している。

 それでも、この扉は開けなければならない。

 私は震える指で、ドアノブを回した。


 部屋には人がいた。

 人影が部屋の中央に立っている。

 思わず駆け寄ろうとした。

 足を一歩踏み出す。

 しかしピチャリ、と水を踏んでしまった。

 足元に水たまりでもあるのか。

 顔を下に向けた。

 なにかと目が合った。


 それは父だった。


 胸から血を流し、おびただしい量の血だまりの中に横たわっていた。

 瞳孔は開き、口が半開きになっている。

 顔は恐怖に満ちた表情で歪んでいた。

 私の足はその血溜まりを踏んでいた。


 呆然とした頭で、今度は正面を見た。

 中央の人影は、なにか大きな影を持っていた。

 細長く、人のような形をしている。

 窓から月明かりが差し、その人影と大きな影を照らした。


 大きな影は母だった。


 母は一人の男に首を掴まれ、持ち上げられていた。

 胸や腹など何か所もナイフで刺された跡がある。

 腕や足は人形の操り糸が切れたかのように、だらりと垂れており、動く気配はない。

 足先から血が滴り落ち、小さな血溜まりを作っていた。


 人影は私に気づき、顔を向けた。

 右手には血がべっとりついたナイフを持っている。

 月明かりに照らされた彼の髪の毛は、黒色。

 いつもの優しい笑顔は消え失せ、凍るような冷たい笑みを浮かべていた。


「やあ。遅かったね」


 静寂を切り裂くような絶叫が、

 私の喉からほとばしった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る