月の王女は吸血鬼

亜雪

序章

第1話 「恋に焦がれて」

 その日、私の人生は大きく変化した。


 オルシア王国、フォルクリーフ領の領主の娘として生まれた私――ルーナ・レッドローズはなに不自由なく生きてきた。

 穏やかで優しい両親、のどかな町、豊富な食物と資源。

 凶悪な魔物が住まう洞窟や遺跡からは離れており、ここは実に平和な時間が流れていた。


 私はすくすくと成長し、16歳になった。

 私の誕生日を祝う為、館でダンスパーティーが開かれた。

 町の貴族が集まり、何人かが私に求婚してきた。

 私はそれを受け、

「どーしよーかなー。モテモテだなー。困っちゃうなー」

 と、へらへらしていた。


 そんな中、ひときわ目立つ青年が目の前に現れた。

 男性にしてはしなやかな体躯、腰に帯びた上等な剣、涼しげな目元。

 そしてなにより目を引くのは、つややかな黒みを帯びた髪だ。

 あまり見ない髪色なので若干浮いているが、彼は気にした様子はない。

 私は彼を見た瞬間、雷に落ちたような衝撃を受けた。

 端的に言うなれば、超カッコよかった。


「よろしければ、私と踊っていただけないでしょうか?」


 彼は優しく私の手を取った。

 そこからはあまり記憶にない。

 気付けばダンスパーティーは終わり、私は自室のベッドで横になっていた。

 踊りの最中ずっと彼の顔にくぎ付けだったし、浮かれまくって支離滅裂なことを口走っていた気がする。

 最後に彼は「またお会いしましょう」と言って、私の手の甲にキスをして去っていった。


 また、会える……。


 その事実は私を悶えさせた。

 足をバタバタして枕に顔をうずめる。

 私は完全に恋に落ちていた。



 どうやったら彼ともっと仲良くなれるか、私は考えた。

 考えた結果、物理的に距離が近くなれば会う回数も増えると気づいた。

 なのでフォルクリーフ領の領主である父に、彼の騎士団入隊を打診した。


 騎士団は父直属の軍事組織だ。

 当然、父に何かあった事態に備え、騎士団の詰所も私が住む館の近くにある。

 彼が騎士になれば、いつでも会いに行けるというわけだ。

 しかし私の一存で、即入隊というわけにもいかない。

 入隊する為には、試験を行う必要があった。

 試験内容は魔物の討伐。

 この領土に頻繁に出没する魔物、ダイアウルフを彼一人で倒すことだ。

 ある程度戦えなければ、町の防衛は勤まらない。

 それを確かめる為に、入隊試験は必須であった。


 私はその試験を間近で見ていた。

 騎士団が訓練をする広場で試験は行われた。

 広場の中央には、なにやら物々しい雰囲気の鉄の檻が置かれていた。

 騎士の一人が檻の格子を開けると、中からダイアウルフが唸りをあげて歩み出た。

 見た目は普通の犬みたいだが、一回りも二回りも大きい。

 その鋭い牙は、一度捕らえた獲物を決して逃がさないだろう。

 並の冒険者ではかなり厳しい、強大な魔物だ。


 ダイアウルフは彼をギョロリと睨み、口元から涎を垂らす。

 彼は腰の剣を抜き、悠然と構えた。

 睨みあう両者。

 先に動いたのはダイアウルフだ。

 一直線に彼へ向かって駆け出した。

 両者の距離が一瞬で縮まる。

 そして今まさに噛みつこうとした瞬間、彼の身体がブレた。

 ダイアウルフはなぜか噛みつくことなく、彼を通り過ぎる。

 一歩、二歩、ダイアウルフがそのまま歩く。

 しかし三歩目はなかった。

 音もなくダイアウルフの頭がゴトリと落ちた。


 その瞬間、歓声が沸き上がる。

 私には見えなかったが、両者が交差する瞬間、

 彼は持っていた剣を瞬きする間もなく振り抜き、首を切断したらしい。

 剣を収める彼に騎士団のメンバーが駆け寄り、称賛の声を掛けている。

 領主である父は彼の入隊を許可した。

 騎士団に囲まれた彼が私の方に顔を向ける。

 そして優しく笑った。


 マジでカッコいいんだけど、どうしよう……!?


 私の心臓は早鐘を打ち、呼吸困難でぶっ倒れた。



 計画通り、騎士となった彼と私は、身近な存在となった。

 私は頻繁に騎士団の詰所へと赴き、彼とお出かけをした。

 一緒に食事をしたり、町中を見て回ったり、小さな丘でお昼寝したり。

 また、私だけでなく父や騎士団の面々、屋敷の従者たちも彼を気に入った。


 強さを鼻にかけない謙虚な態度、

 人当たりの良い穏やかな物腰、

 真面目で勤勉な性格。


 彼は瞬く間に人気者になった。

 もちろん女性から言い寄られることも多く、私はハラハラしていたが、

 不思議と彼は私とばかり一緒にいた。

 まあ、私が毎日彼にくっついているからだけど……。

 それでも彼は嫌な顔一つせず、いつも優しく笑っていた。



 そんなある日、彼から小さな丘に行こうと誘われた。

 いつも私から誘っていた為、彼からのお誘いは初めてのことであった。


 近頃、私は悩んでいた。

 彼のことを好きなのは自分だけじゃないか、

 彼は領主の娘に言い寄られているから、

 仕方なく一緒にいるのではないか、と。

 しかし今回初めてのお誘い。

 少なくとも多少の好意はあるってことだよね……!?

 私はウキウキしながら身支度を整えた。



 今日は、実に気持ちのいい天気だった。

 ぽかぽかとした陽気は暖かく、

 頬を撫でるそよ風は心地よかった。

 小さな丘の上で、彼の黒髪がさらさらと揺れる。


「本日は私のお誘いに応じていただき、ありがとうございます」


 彼は丁寧に頭を下げる。


「いえいえ! 私も誘っていただけて嬉しかったです!」


「それならよかったです」


 彼は優しく笑った。

 このイケメンスマイルが心を惑わすのだ。

 彼が来てから、私の人生は変わってしまった。

 白黒の世界に、突然色が付いたような感覚。

 なにをしていても彼のことしか考えられない。

 もはや病気だ。

 恋が病とはよく言ったものだ。

 私は病人なのだ。

 こんなところで何をするのか知らないが、要件があるなら早くして欲しい。

 恋の熱で、私が焼かれる前に。


「今回お誘いしたのは他でもありません。

 あなたにお渡ししたいものがあるからです」


 そう言うと彼は跪き、私の手を取ると指になにかを嵌めた。

 よく見るとそれは、銀色に輝く指輪であった。


「結婚してください」



 私はぶっ倒れた。

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