第3話 人の価値と親友の価値
耳に入る声はいくつかの悲鳴と怒号。この声は、周囲で酔っ払っていたサラリーマンや高校生と見られる学生が達仁と同じ様に耳でその声を捉え、声のした方向をすぐに振り向かせる程の声量であった。
落ち着きを伴った空間は既に消し飛んでおり、緊張感が僅かに漂った空気が流れていた。
いつも通りの日常の中に非日常でしかないような声が聞こえたとなれば、この様な反応をしても無理がなかった。
しかし、そんな緊張で張り詰められた空間の中でも達仁は落ち着き払った態度を崩さずに眉間に皺を寄せていた。
「……これは、、」
そう呆気にとられて言葉を紡いだのもほんの一瞬、すぐさま動揺を押さえ付ける達仁は冷静に状況を分析するために俯瞰的な視点に切り替える。
悲鳴?怒号?……落ち着け、今は冷静に物事を見ろ。焦っても何も成果なんて出てこない。…………、うし、それで、いったい何が起きているんだ?
声からしてトラブルがあったのは明らかだな。
………現場にいくのが一番手っ取り早いか。
そう結論付けた達仁のそれからの行動は素早かった。近くにいた人に念のため警察に連絡するよう伝えて声のした方向に走っていった。
彼が行動している間にも怒号は止まない。割とヤバそうな雰囲気が周囲を包むのを肌で感じ取った。
そうして、曲がり角を曲がった少し開けた大通りでは驚くべき光景があった。
「おらぁ!お前ら動くんじゃねぇぞ!この女がどうなっても知らねぇぞ!!」
「っっ、痛い!離してよ…!」
達仁が目撃した光景とは黒い覆面を被り、手にはナイフを持った男が3人。
男3人の内1人が車を出す準備をしており、残りの2人は女子高生らしき少女を人質にして周りにいる野次馬にナイフを突きつけて脅しを掛けていた。
明らかな犯罪行為に俺は動揺を隠せなかった。実際、今までにこの様なあからさまな行為を見たことはなかった。かなりの平和ボケした日常で過ごしていたからこの様な状況に出くわしたとしても動揺することは何ら不思議なことじゃなかった。
「うるせぇんだよ!お前は静かにしてろ!!殺すぞ!!」
大人げなく怒鳴る誘拐犯らしき男に少女は顔を真っ青にして萎縮する。
そのクズみたいな行為に怒りが達仁の心の中を支配しだす。
(ふ~、落ち着け…)
……この状況を打開する策は……、ねぇか。
何もない。相手はナイフを持っているならこっちも持っていれば良かったんだが、それだと銃刀法違反になるから持ち歩いてたらまずいわな。
それなら俺が起こすべき行動は一つだけだ。
「おらぁ!撮れ撮れ!!ははっ!大事件だぞ!大企業のご令嬢様が誘拐されるんだからな!!
しっかりと広めろよ!」
一人の誘拐犯がそんなことを叫ぶ。ただ、今の俺には意味を理解する必要性は一切無い。
他の声に耳を傾ける必要性もない。
見据える瞳の先には、誘拐犯だけが写っていた。
伊達メガネを外し、目にかかっていた前髪をかきあげる。
本気モードってやつだな。こういう展開が来るとは思ってもみなかったがな。
「瑞月!!!」
そんな声が周囲に響く。だけど集中状態の俺はそれに気を取られるわけにはいかない。
俺は音と気配を消して誘拐犯の方へ近づく。幸い、興奮状態のお陰でそこまで怪しまれずに野次馬に紛れて近づくことができた。
ただ、何人かが此方を見ると何をやっているんだとでも言いたげな目を向けてきている気がする。
なぜだ?
今はそんなことは気にしない方が良いと判断し、そのままズンズンと誘拐犯達の方へ突き進んでいく。
そして、最も誘拐犯達に近い列の人達の所へ来ると俺は勢いよく飛び出すのであった。
◇
《Side 東雲雅》
私の名前は
お父さんは大企業の社長、お母さんは弁護士。
そんな2人は私にとっての一番の憧れだった。いつも仲が良く、私に精一杯の愛情を注いでくれた2人の事を私はとても愛している。
そんな幸せな家庭で育った私にはもう一人、とても愛している女の子がいる。
葉桜瑞月、この子はお父さんとお母さんの親友である葉桜さん一家の娘さんだった。
お父さん達と葉桜さん一家はよく一緒になって遊園地に行ったり、映画館に行ったりもした。そんなものだから、私と同い年である瑞月は初めて会った0歳か1歳の頃からとても仲良くなったのである。
血の繋がっていない姉妹とも言えるような関係は私にとっても瑞月にとっても、とても心地の良いものだった。
困った事があったらお互いに相談したり、放課後によく遊びに行ったりと毎日を2人で楽しく過ごしていた。
そして今日は瑞月が少し落ち込んでいたのでカラオケで熱唱し続けていたのである。
何でも、告白してきたあの先輩に申し訳なさを感じているようでこの子らしい、ととても実感した。
「ねねね、雅ちゃん!今日私のお家でお泊まりしよう!」
瑞月のテンションを何とか戻すことに成功し、カラオケを出た私達2人はちょっとした大通りを歩いていた。
周囲には明るい電灯が暗い筈の夜を優しく照らしており、同時に空模様が重たい印象を色濃く印象付けた。
まばらに人がいる道を歩いていると瑞月がそんなことを言ってきた。普段無表情のせいで冷たく思われがちな親友は、そんな可愛らしい事を提案してきた。
目をキラキラさせながら此方にせがんでくる姿はまるで犬を見ているようで可愛らしく、抱き締めたくなるような感情を抱かせた。
「私はいいと思うけど、おばさんとおじさんには連絡したの?」
「雅ちゃんがお花摘みに行っている時に連絡したよ!そしたら、全然オッケーだって。それじゃあ私の家に行こうよ~!
明日休みでしょ~!」
「わ、わかったわよ…。それじゃあお母さん達に連絡するから」
可愛らしい表情と私の肩を大きく揺さぶってきたせいでついオーケーを出してしまった。
……別にいいか。こんな事は一度や二度じゃないし。
瑞月は心を完全に開いた人に対しては犬のように尻尾をフリフリしながら甘えたり構ったりしてくるので、こんな風な急な誘いは今までに何度でもあったことだ。
「じゃあ、ちょっとだけ待ってよ」
そう、背負っていた鞄に意識をやってしまったことが今回の騒動の失態だろう。
私が鞄の中に意識をやっていると瑞月の悲鳴が聞こえてきた。それだけじゃない、周囲にいた人の叫び声も一緒になって周囲に伝播する。
「キャーーーーー!!」
「おい!あいつ等ナイフ持ってるぞ!」
「誰か、警察呼べ!!」
私はそれ等の声が聞こえたと同時にすぐに顔を瑞月の方へ向けた。
そして私を待ち構えていた光景とは、
「黙れ!お前らこのナイフが見えないのか!」
黒い覆面を被った一人の男が捕らえていた瑞月に持っていたナイフを近づける。
少し押したら首に刃が入ってしまいそうなほどに近く、それを見た周囲の人や私も動きを止めざるを得なかった。
そして、ナイフを向けられている瑞月はこれまでに見せたことの無いような青ざめた顔をしていた。
「おらぁ!お前ら動くんじゃねぇぞ!この女がどうなっても知らねぇぞ!!」
「っっ、痛い!離してよ…!」
瑞月を人質にしている男は、右腕を背後から瑞月のお腹側に腕を回し左腕を強く握っている状態であり、空いている左手で瑞月の首元にナイフを突き付けていた。
男が瑞月の左腕を強く握っているせいで苦悶の表情を浮かべながら恐怖を押し殺すように叫ぶ私の親友。
ただ、私はこの時ですら呆然と目の前の光景を視界に収めることしかできなかった。
あまりにも突然の出来事により情報がうまく脳の中で処理されていなかったのだろう。
「うるせぇんだよ!お前は静かにしてろ!!殺すぞ!!」
そう、大人げなくも子供みたいに短気な様子で瑞月に対して強く怒鳴った。
その男の対応により、見るからに萎縮してしまったようだ。私は彼女とずっと一緒に居たからわかるけどこの様に自分に対して明確な悪意を持って怒鳴ってきたことなんて無かった。
昔は私達2人ともいたずらっ子な子供だったから両親からはよく叱られていた。
だけど、あれ程までに悪意に染まった声は聞いたことがない。
瑞月は習い事で空手をやっていた時期もあったけど、あまりの恐怖になにもできないのだろう。
それはきっと仕方のない事だ。
普通の人と同じ様に悪意に晒されたことのない私達はこの様に動揺して恐怖をしても仕方の無いことだ。
だけど、恐怖に染まった表情をする瑞月と、そんな瑞月を見てニヤニヤとする外道のような男を見ていると恐怖が少しずつ消えていく感覚がした。
そんな感情が消えていくと同じくしてようやく私はこの場の状況を正確に認識することができてきた。
同時に、怖がっている瑞月を見ていると激しいまでの怒りが湧いてきている気がした。
「おらぁ!撮れ撮れ!!ははっ!大事件だぞ!大企業のご令嬢様が誘拐されるんだからな!!
しっかりと広めろよ!」
そんな事を発する覆面の男を見て私は誘拐犯らしき男達から周囲に目線だけを移す。
その目が捕らえたのは野次馬の一部だけだが動画を撮るためにスマホを回しているように見えた。
かなりイラッときたが今は気にしない。
そんな事よりも瑞月の方が優先すべきと直感で感じた私は視線を元の場所に移す。
しかし、私が戻した視線の先には瑞月がいた。それだけなら冷静にこの状況の打開策を思案することができていたのだけれど、私は見てしまった。
瑞月の目に涙が浮かんでいた。その涙は私の親友の瞳を潤ませ、もう少しで目から零れ落ちそうというところまで溢れているように見えた。
瞬間、恐怖から怒りへと変化―――否、進化しようとしていた感情が爆発的に激情と呼べる程の怒りへと化けていった。
生涯、今までもこの先の人生でもこれ程の怒りを抱くことはあるだろうか?
ない、………あってほしくないと信じたい。
しかし、それ程までにこの感情は私の中でとても大きな付加価値のようなものになった。
「瑞月!!!」
あまりの感情により口が勝手に言葉を発する。瑞月に怒鳴った男に負けないくらいの大きさだったと思う。
その声には誘拐犯達も、そして周囲にいた人達も此方に視線を向けていた。
普段ここまで大きな声を出すことがない私は今どんな表情をしていただろうか。
きっと誰にも見せたことがないような怒りの表情をしていたのだろう。
それでも激情は止まらない。溢れ出して止まる気配が一切ない。
それならしょうがない。
目の前にいる私の親友を救おう。
私の中にある激情は今なお溢れ続けている。
私は溢れ出る感情と同じ位の勢いで瑞月の方へ足を進めようとした。
しかし、それは唐突だった。
目の前しか見えていなかった私はそれを物体としてしか認識することができなかった。
足を進めようとした瞬間、私の真隣を極めて速いスピードで、瑞月の方を目掛けて進んでいくような物体が通った気がした。
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