青く光る左胸2

 夕焼けが生成りに火花を落とし、目が覚めた思いをする。わたしは夜が訪れる「つかの間」を知っていた。一番星が見えるようになるまで、世界はおわりを告げるために青く燃え上がる。それは物事のさいごの様であり、わたし達はそれに気がつけないまま終わる。それだというのに、炎は燃え続ける。エンドロールが白く足元を照らし、青い影をつくるように。わたしは「おわり」を表さない物語を願った。しかしそれはおそらく「おわる」事への予言。わたしは失望する。心から許せる、同じ青の影を持つ者はどこにもいないのだ、と。

 西日がコンサバトリー中に反射するなか、手元だけを照明で照らす。わたしの背格好も熱帯植物も、限りなく夜に近い色だった。鉛筆でたたくように言葉を重ねると、紙の上で乾いた音がする。だが、音はいつまでも続かない。手ブレを起こした写真のように景色が揺らぐと、わたしは片目を覆った。手が少し汗をかいている。暗闇のなか、音色を変えるトランペット吹きが見えた。これはきっと、何かの合図。そっと手を離し、夕日を見やれば、もうそれはわたしのいる場所からは見えなくなっていた。夜が来る、青い影が告げる、もう何もかもおしまいだと。わたしはいつもそれに従う、その行動は正しいと思っていた。ただ一つ、わたしの描く物語を夜の青から逃がしてやって。

 景色を、と思う。一度それが見えなくなると、わたしは足元を眺めながら自分の生まれを惨めに感じていた。トランペット吹きは首をかしげて吹くクセがあって、それから、それから。できる限り自身から目をそらす。それでも革靴のつま先は黒い光を放った。なんて皮肉だろうとそこを睨む、近くなる足音がトランペット吹きの存在をノートの中に閉じ込めたのはその時だった。ページの生成りが消えてしまうと、部屋は本当に真っ暗になる。声がするであろう場所には見向きをしないようにしていた。つま先はまだ光っている。

 「ロラン、いるか」

 ポマードと三つ編みで整えられた髪がに憎い、できる事なら足音を立てずに逃げたかった。

 「いますよ、どうぞ」

 それでもそう答えるわたしはなんて弱いのだろう。うつむいたままのわたしを見て、父が心配するのを想像してしまう自身に、爪を立てた。

 灯火の頭が小さく揺れている。降り出した雪のようにすぐに消えてしまいそうでいて、しぶとく船をこいでいる。ビカクシダやバンダはとっくに眠っているのに。

 「ここは居間よりも暖かい。日記でも書いていたのか」

 そう、ここは暖かく造られている。だから一人でまどろんでもいたのだ。そうしていると、見えるもの、聞こえるものが深い水底から小さく光る泡となって言葉に現れる。わたしはそれを書いていた。誰にもひた隠しにして。

 「今日のアドヴェンツカレンダーには何が入っていた。今年もいい絵だろう」

 「今日は男の子がベルを鳴らしていました。ミルクチョコレートでしたよ」

 そのチョコレートの包みを胸ポケットから出し、折りたたんでいたものを広げてみせる。桃色の紙に、万華鏡のような模様があるのを見て、父は微笑むと、明日には捨てるように言った。灯りの火はいつの間にか背筋を伸ばして静かにわたしを睨んでいる。お前の父親は、お前の様子に心配をする素ぶりなんて見せたか、と。それでもわたしは想像してやまない。口の端が鈍く痛み出す、笑いそうなのだ。

 「母さんはどうしています」

 父は二拍ため息をつくと、わたしの向かいに座る。灯りはテーブルの上に置かれ、わたしは夜の中から輪郭を取り戻した。父の手には長方形の箱がある。灯りに照らされ、角が黄金色や橙に色を変えているように見えた。

 「サロンで疲れたのだろう。眠っていると思う」

 誰かが笑ってくれればいいと思った。こんなにも振り回されながら、まだわたしは思い描いてしまう。わたしにとっての理想の両親を。

 「それよりもだロラン、いい物がある。本当にいい物だ」

 見たくない。口の中で呟く。父がギフトボックスのリボンをほどくように笑顔でいる。その目は息子が喜ぶ姿だけを見ていた。箱のふたに親指をかけると少しだけ力を入れる。素直な感触のあと、ビロードの生地が現れ、そこには月明かりを消し去ってしまうような光を持つ青の万年筆があった。

 どうしようもなく無邪気な青がある。生きた蝶の羽を抜き取り、まだそれが羽の存在を忘れないうちに、人間の手に馴染む形へとつくられたもの。微笑む父はわたしの為にこれをつくらせたという。誰も彼もみんな「残酷」だ。優しすぎて凍えてしまうことをそう言うのだと知る。ならばわたしも「残酷」にならなくてはならない。他でもない、優しくあるために、ただひたすらに。手の汗がひいている。片手で持ち上げればそれは今までに知らない軽さだった。蝶の羽が軽いのか、蝶が死んだからなのか。もう片方の手でジャケットの胸ポケットに万年筆をさすのを手伝うと、慣れない質量が左胸で青く輝く。小さな拍手がはじけた。父に笑顔を見せれば、死んでなんかいないと蝶はわたしの頬を青白く染める。

 ここも違う。これも違う。いつもそうだった、地に足のつかない思いでわたしは生きている。星が静かな呼吸を繰り返し、自ら回る最中でさえ、その現実から切り離されてしまった幽霊。だからわたしは夕方を、「つかの間」を好むのかもしれない。叫ぶサギが飛び去って戻らないあの時間が。また一人になった部屋でつま先についた光を踏みにじる。夕刻ならば影だけが満たしてくれるのに。ノートを開き、万年筆のふたを回して開けた。まただ、また世界は回ってしまう、どんなに憂うつであって、流転し続ける。

 それだというのに、物事には必ず「おわり」がある。

 「わたしもいつかおわる。それは何も死ぬことばかりではない気がする」

 だってわたしはもう幽霊なのだから。瞳が熱を持つ。ペン先が滲んで見える。本物の金は優しい光をしていた。泣き止もうとするほど、涙は止まらなくなる。トランペット吹きの上に透明を落としながら、わたしは再び蝶に息を吹き込んだ。その言葉は柔らかなしなりを持って現れる。

 眠らない星と幽霊

 わたしが思い描く場所はとても遠い場所にある気がした。ひたむきに言葉を綴る日々はそこにたどり着いたとき、おわるのだろう。

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