2.フライト中の話とか

 ドイツへ行くのは2月中旬から3月上旬まであたりだったが、正直あまり期待はしていなかった。何が言いたいかって、ドイツには半分以上行けないものと、あるいは行く途中の飛行機が落ちて死ぬことまで考えていた。

 だって、今までそのチャンスをことごとくつぶされてきたのだから! 行けないことを覚悟するしかないとか、そんなことを考えざるを得なかったわけだ。


 まあ結局、行けたわけだけど。


 空港に着いたのはわりと早い時間だったから、空港内で好きなことをしていた。ちょっと緊張はしたし、忘れ物はしていないだろうかと焦りもしていた。時間まで本を読んだりゲームをしていたりしていたけれど、内容なんてこれっぽっちも入ってこなかった。心臓がバクバク鳴って、何度も落ち着かせようと深呼吸を繰り返した。

 お父さんとお母さんが見送りに来てくれた。

 やがて集合時間になると、私は両親と共に待合場所へやって来た。国際課のお姉さんと学校関係の職員が1人、旅行会社の職員が1人、合計3人だ。


「はいこれ、チケットね」


 国際課のお姉さんが旅行会社のエンブレムがプリントされた封筒の中に飛行機のチケットを入れて、それを私に渡してきた。「ありがとうございます」とそれを受け取る。

 スーツケースを最初に空港に預けて、それからゲート前に来た。


「時間までまだあるけど、早い方がいいかな」

「そうですね」


 両親と職員がそんなことを話しているのを聞いた。

 私もその方がいいと思った。


「それじゃ、行ってらっしゃい」


 は?


「え、ついて行ってくれるんじゃないんですか?」


 てっきり飛行機に、誰かと一緒に乗るものだと思っていた。


「え、ついていきませんよ?」


 うっそ。

 私はそのとき、緊張のあまりキリキリしていた胃の痛さと、それから吐き気とが最高潮に達した。


 1人? しかも飛行機に乗るのに?

 行先はドイツ。日本国内だったら、まあ1人でも大丈夫っしょ。なんて気楽で行ける。

 だけどドイツ! ヨーロッパ! 日本は島国だから海を渡るか、空を飛ばないと気軽に外国へは行けない!


「1人?」

「まあそうですね。でも出張がてら熊本先生も今日の飛行機でドイツに行くから、席は近くないかもしれないけど、大丈夫よ。飛行機、一緒よ?」


 いやいや冗談じゃない。

 初めての海外留学(海外には一度、幼い頃にグアムに行ったことがある)で1人ってなんだよっ?

 ええ、怖い怖いムリムリ! これ飛行機落ちたら死ぬやん、絶対死ぬやん。もう無理なんだけど、今すぐ家に帰りたいっ!


 聞けば、アメリカ行きの人たちもイギリス行きの人たちも、職員はついていってないらしい。

 いやいや、状況考えようよ。アメリカもイギリスも一定以上の人数いるでしょ。こっちは1人だぞ! 頭おかしいってっ!


 私はもう、半分以上死んだ気持ちでゲートをくぐり両親と別れたのだった。


 沈んだ気持ちのまま、搭乗ロビーを歩く。ゲートは一番端だったから、すごい長い道のりだった。

 そうだ、まずはトイレを済ませなきゃ。緊張のし通しで腹が痛い。あと水買おう。お母さんが「飛行機の中は乾燥しているから、飲み物買いなよ」むめ言ってきた。マスクも持たせてくれた。

 やることをとりあえず済ませて、私はまたゲートまで歩いた。


 と、そのとき。


「凪野さん、凪野さん」


 え、誰だ。

 私はきょろきょろあたりを見回して、自分の背後にうどん屋があることに気がついた。


「凪野さん」


 もう一度名前を呼ばれて、よくよくその店の中を見ると、開かれた出入り口のところで熊本先生が厨房前のカウンター席に腰かけながら、私に向かって手を振っていた。

 知っている人だ。私は心の底からホッとした。


「先生」


 私はそちらに駆け寄ると、先生が「席移動しよう」と言って、テーブル席に行くとソファに腰かけた。勧められるまま、私も向かいのソファに座った。


「おなか空いてないか? うどんごちそうするよ」

「え、いいですよ。大丈夫です」


 正直、腹が減ったとかそれどころではない。むしろ吐きたいレベルだ。


「いいからいいから」

「……じゃあ、いただきます」


 がっつり食べたら本当に吐いてしまうだろうから、普通の、具もこぢんまりとした感じのうどんを頼んだ。遠慮しているという気持ちも少しあった。


「ドイツに行く前、必ずここでうどん食べるんだ」

「そうなんですか」

「緊張してる?」


 図星をつかれ、私は笑った。


「そりゃしてますよ。まさか1人だと思わなかったので、飛行機の中ヒマだろうから、何の映画見ようかなとかちょっと考えてます」


 本当はそれどころではないけれど。

 うどんだったら食べる気になるけど、機内食だされたら食べられない気がする。

 やがて運ばれてきたうどんをすする。そういえば外国に行ったら日本食が恋しくなるとか、兄が言っていたのを思い出す。彼はイギリス留学の経験があった。


 このうどんが最後の日本食か。

 出汁だしがしょっぱくて、めんはモチモチしていた。

 うどんを食べ終えて熊本先生と別れる。まだ離陸には時間があった。まあ早めに行くのが1番だし。もう一度トイレに行ってから、搭乗ゲートをくぐった。機内へ続く通路は長かった。飛行機のエンジン音が響いている。

 CAの人たちが挨拶をしてくれて、私の手にあるチケットをのぞいて、「こちらです」と手で右を示してくれた。


 チケットを片手に席を探す――、あった。通路側だ。席を離れるときがあっても楽だなって思った。

 荷物を席の頭上にある収納スペースに入れようかと思ったけれど、あいにく荷物が多かった。仕方なく、席の下に置くと、機内の奥のほうから熊本先生が現れた。


「俺、向こうのほうにいるから」


 言いながら先生は自分の席のあたりを示してくれる。私はうなずいて「ありがとうございます」と言った。

 席に着いて、目の前にあるパネルを操作してみる。映画を見たり、音楽を聞いたり、そういった操作ができるみたいだった。どんな映画があるかなと思って操作してみたけれど、ホラー映画はなかった。ホラー映画を見たかった。


 まもなく離陸の時間になった。

 ドイツ行きの飛行時間は覚えていないのが正直なところだった。いや、覚えているといえば覚えているのだけれど、緊張と吐き気、機内食を食べても味も覚えていられなかった。

 ほとんど寝ていた。映画を点けて、それをBGMにして。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る