肆 白玉 その一

最後は私ですね。

名前はミユキです。


事情があって、姓は捨てました。

また拾うかも知れませんが。


実は私、ここでこうして話が出来ているのが、とても不思議なんです。

その事情は、これからする話を聞いてもらえば、納得してもらえると思うんですけどね。


私がその白い玉を手に入れたのは、ほんの偶然でした。

学校から帰宅した時に、家の前に落ちていたのを見つけたのです。


真っ白でキラキラと光るその玉を見つけた私は、思わずそれを拾い上げていました。

ビー玉くらいの大きさの、とても綺麗な玉だったんですよ。


部屋に持ち帰って、その玉を繁々と見つめていると、吸い込まれるような感覚に襲われました。

私はその不思議な玉が気に入って、いつも持ち歩くようになっていたんです。


当時の私は、近くの公立校に通う、ごく普通の高校2年生でした。

毎日友達と、今で言う<押し>の話に花を咲かせ、時折進路はどうしようかと考える、平凡な毎日でした。


そんなある日、いつも持ち歩いていた白い玉が、見当たらなくなってしまったんです。

私は必死で探しましたが、どこにも見当たりません。


きちんと仕舞って持ち歩いていたので、道に落とす筈はありませんでした。

友達にも見せていなかったので、学校で盗られるようなことはなかったと思うのですが、それも確信は持てませんでした。


結局、玉は見つからず、私はとてもがっかりしてしまいました。

だってお気に入りだったんです。

その時までは。


白い玉を失くしてから暫くすると、私の周りで変なことが起こり始めました。

皆が私のことを、忘れるようになったのです。


最初は些細なことでした。

例えば、親友だったチカが私を呼ぶ時に、一瞬名前を、度忘れするのです。


「えっとお、誰だっけ。あ、ミユキ」

こんな感じでした。


私がそのことに文句を言うと、チカは、「ごめん、度忘れ」と言って笑います。

しかし、そんなことが度重なるようになったのです。


チカだけではありませんでした。

他の同級生や先生、挙句の果てに、私の家族までが、私の名前を度忘れするようになったのです。


家族の場合は特にショックでした。

両親から、「えっと、誰だっけ。あっ、ミユキちゃん」とか言われると、さすがにへこみますよね。


最初はその程度だったのですが、事態は段々エスカレートして行きました。

学校では、時々朝の出席確認で名前を呼ばれずに、そのまま順番を飛ばされるようになったのです。


一緒に遊んでいた友達も、私のことを誘わなくなりました。

最初はいじめが始めったのかと思いました。

でもそうではなくて、本当に私のことを忘れていて、誘わなかったのです。


私がそのことで、友達に文句を言うと、皆素直に謝ってくれるので、いじめとかではなかったのですが、私は釈然としませんでした。

だって、同じことが何回も繰り返されたんですもの。


クラブでも同じでした。

私、軟式テニス部に入っていたんですけど、コーチが私の順番を飛ばして、次の子にボール出しをするんです。

ひどくないですか。


極めつけは家族でした。

母が私の分の食事を出し忘れたり、弟の分のお弁当は作るのに、私の分は作ってくれなかったりするようになったのです。


朝、私を起こし忘れるのは、しょっちゅうでした。

文句を言うと、母も謝るので、わざとではなかったのですが、私は本当に傷つきました。


そんなことが毎日のように続くと、私は落ち込むと同時に、怖くなってきました。

もしかしたら、私は皆から、本当に忘れ去られてしまうのではないかと思ったのです。


皆さんは、そんなこと絶対ある訳ないだろうと思いますか?

私もそう願っていました。

でも、この後お話しすることは、実際に起こってしまったんです。


ある日のことでした。

風呂上がりに鏡を見た私は、言葉を失ってしまいました。

だって、鏡に映った私の頭が、真っ白な玉になっていたんです。


私は悲鳴を上げそうになるのを堪えて、自分の顔を触ってみました。

すると手には、鼻や口の感触が伝わってくるのです。


つまり実際の私の顔が、玉に変わってしまったんじゃなくて、鏡の中の私の顔が、白い玉に映っていたということなんです。

私は完全に狼狽えて、我を失ってしまいました。


だって高校2年生の私に、冷静に対処しろなんて無理な話でしょう?

風呂場から飛び出して私は、キッチンにいた母に縋りついて訊きました。

「私の顔って、普通だよね?」


しかし母から返ってきた答えは、私を凍りつかせたのです。

「あんた誰だっけ?」


「お母さん、何言ってるの。私よ。ミユキよ」

私は母の答えに呆然としました。

しかし次の瞬間、無性に腹が立って母の両腕を掴みました。


「何言ってるのよ、お母さん。私のこと忘れたの?」

すると母は一瞬怪訝な顔をしましたが、すぐに我に返ったような表情を浮かべました。


「ああ、ミユキちゃん。どうしたの?そんなに慌てて」

母のあっけらかんとした口調に、思わず私は切れてしまいました。

「自分の娘のこと忘れるなんて、どういうことよ!」


「忘れるって、そんな訳ないじゃない。あんた、夢でも見てるんじゃないの?大丈夫?」

母には、私を忘れていたという自覚はなかったようです。


「本当にもう。いい加減にしてよ」

私は母に捨て台詞を残して、部屋に戻りました。


その夜は、鏡に映った白い玉のことが忘れられず、なかなか寝付くことが出来ませんでした。

そして漸く眠りについた後も、白い玉になった自分が現れる悪夢にうなされました。


しかし本当の悪夢は、翌朝から始まったのです。

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