「勇者と魔王は呑み仲間」
蛙鮫
「勇者と魔王は呑み仲間」
どんよりとした黒雲の下、勇者が開けた平原で傷だらけで息遣いを荒くしながら剣を構える。
彼の背後には仲間である女魔導師が杖を構えている。
華奢な脚で必死に立っているが、疲労のせいか生まれたての子鹿のように震えている。
「大丈夫か!」
「ええ。勇者様」
勇者は視線をゆっくりと元の場所に向ける。
そこには勇者の宿敵である魔王が禍々しいオーラを放ちながら、仁王立ちをしている。
水牛のような角に赤いローブ、勇者より頭一つ高い背丈。そして、鳥肌が立ちそうなほどの恐ろしい威圧感。
「まだ、足掻くか勇者よ」
「負けるわけにはいかない! 俺に全人類の未来がかかっているんだ!」
「愚かな!」
魔王が右手から黒い火の玉を生み出し、投げつけてきた。勇者は火の玉に剣を振りかざして、切り裂いた。
そのまま呼吸を整えながら、魔王の元まで駆け出した。
先ほどから周囲に木々や川が荒れるほどの激闘を繰り広げているが、勇者の体力は限界寸前。
これ以上戦いが長引けば、おそらく敗北する。心中で悟った勇者が、持ちうる全て力を剣に込めると、剣が輝きを放つ。
「うおおおおおお!」
怨敵の元に肉薄し、全力で剣を振り下ろした。魔王が自身の目の前に黒い障壁を作ると、激しい火花を散らしながら剣と障壁がぶつかる。
徐々に障壁にヒビが入り、蜘蛛の巣のように細かい線が出来ていく。
「行けー!」
障壁が音とともに砕け散り、魔王の左肩から腹部にかけて、真っ直ぐに切り裂いた。
体から鮮血が吹き出し後ずさりをする。
勇者は剣を構えて、追い討ちの機会を伺う。対する相手は息遣いを荒くして、傷口を押さえている。
「お、のれ」
歯軋りをしながら、強く睨みつける魔王に再び、刃を向ける。
「くっ!」
魔王が自身の目の前で手を開いて円を描くと、グニャリと空間が歪み始めた。
その中に魔王が吸い込まれるに消えた。
「くそっ! 取り逃がした!」
「勇者様! 大丈夫ですか!」
女魔導師が逼迫したような表情を浮かべて駆けつけてきた。勇者は荒い息遣いで何度も肩を上下させる。
「はあ!」
女魔導師の手から深緑の光が出てきて、勇者の患部を優しく照らした。すると傷が時を巻き戻したように治っていく。
「ありがとう。いつも助かるよ」
「いえ」
「それでは近くの町に行くか」
勇者は女魔導師とともに近くの町に向かった。町に着いた頃には夕暮れになっており、勇者と女魔導師は近くの宿に泊まることにした。
「俺はこれからいくところがある。朝まで帰らん」
「どこに行かれるのですか?」
「友人に会うんだ。男二人で語り合うのさ」
「分かりました」
寂しそうな表情を浮かべながらも女魔導師は了承した。勇者は彼女の頭を優しく撫でた。
彼自身、か弱い少女を一人、置いて行くことには多少、罪悪感はある。
しかし、これから向かうべき場所は男同士の語らいの場。清らかな少女が立ち入る空間ではないのだ。
「ありがとう」
勇者は感謝の言葉を述べて、部屋を後にした。
落ち着いた雰囲気が漂う呑み屋の一室。バニーガール姿の若い女性達がお盆片手に店内を徘徊している。
「ここで合っているよな」
「おーい、勇者くん」
店の奥の二人席から聞き覚えのある声が聞こえた。魔王だ。先ほどの激闘を繰り広げていた際の雰囲気とは違い、陽気な振る舞いを見せていた。
「悪い。悪い」
勇者は魔王の前の席に腰を下ろした。
「お待たせいたしましたー」
重量感のある音が木の机に乗りかかる。視線を送ると黄金の聖水が入ったジョッキが二つ並べられていた。
勇者はジョッキを手に取り、指先に伝わる冷たさに覆わず身震いをした。魔王も同様に笑みを浮かべながら、冷たさに歓喜しているようだ。
「そんじゃあ、今回もお疲れさまでした! 乾杯!」
ジョッキが重なるとともに、酒池肉林の幕が上がる。戦闘で疲労した肉体に冷えたビールが流れ込み、細胞一つ一つに浸透していく。
ジョッキから口を離して、あまりの美味さに全身が多幸感に包まれる。
向かいの席で魔王も同じく、頬を緩めて深くため息を付いていた。
最初は苦々しく抵抗を感じたが、現在ではその苦味にすら愛おしさを感じる。二人にとってビールとは、ユートピアへの扉の鍵といっても過言ではない。
「まさか、気晴らしで立ち寄った呑み屋に魔王がいたなんて思わなかったもん」
「その成り行きで今は呑み仲間。人生何が起こるか分からんな。まっ、俺、人間じゃないんですけどねー」
「やかましいわ!」
勇者はそういい手に持ったジョッキの中身を飲み干すと、ビールのお代わりを注文して、重く腰掛ける。
「魔王だって城にずっといたら息が詰まりそうになるんだよ。一人でパッと呑みたい時もあるのさ」
魔王はそう言うとテーブルに置かれたお通しのピーナッツを口に入れた。
「さっき深く斬りつけ過ぎたよな? 大丈夫か?」
「平気平気」
心配そうな勇者に魔王が胸を叩いて,己の丈夫さをアピールした。
「そういや、先代魔王は元気にしてる?」
「ああ、親父ね。毎晩、淫魔にお世話されっぱなし。最近、推しが見つかったらしい」
「ご壮健で」
「元気過ぎるんだよ」
魔王がため息交じりにビールを飲み干し、赤ワインを注文した。
「勇者くんってさあ、なんで勇者になったの? 世界平和のため? それとも富と名声のため?」
勇者は首を横に振り、バツの悪そうな表情を浮かべた。
「俺ってさあ、ガキの頃から剣の才能があったんだよ。だから親に勇者にさせられた。勇者に選ばれた人間の一族には国から手厚い補助が受けられる。親は大喜び。勇者に選ばれた時も何ら疑問に思わなかった。歴代最強なんて言われたよ」
「断っても良かったんじゃないの?」
「それもそうなんだけど、やりたい事がなかったからな。流される通りになった結果だな。ガキの頃に色々なものに目を向けていれば、多分、別の道もあったんだろうな」
勇者は遠い目をした後、ジョッキを空にした。正直、魔王退治なんてどうでも良かったのだ。
彼自身は魔王に恨みがあるわけではない。人間社会の繁栄のため、仕方なくだ。
「まあでも、勇者になったからこうして魔王くんと酒が飲めるわけだしさ」
しんみりとした空気が流れ始めた時、魔王が何か思いついたように手を叩いた。
「この呑みで先にぶっ倒れた奴がやられる側な!」
「上等! 正義は必ず勝つ! すみません! テキーラのショット二つお願いします!」
奥からはーいと呼応する声が聞こえて、魔王の方に向き直る。目の前に用意された薄茶色の活性剤。キンという音が鳴り、一息で飲み干した。
「おえー気持ちワルイ」
「弱いくせにテキーラのショット二十杯もするからでしょ。降参すりゃ良かったのに」
勇者は魔王に肩を担がれて、夜道を進んでいた。魔王に呑みで敗北して、グロッキー状態に突入したのだ。
小高い丘に木製のベンチが設置されていた。静まり返った夜の街の一望できる魔王のお気に入りのスポットである。
「あい、ここ座れ」
「どうもどうも」
二人で腰を下ろすと、魔王が懐から水が入った水筒を二本取り出し、一本を勇者に手渡した。
過剰の飲酒で疲れ切った体に冷たい水が浸透する。
「ふいー、水は生命の源だ」
「全くだな」
勇者と魔王はケラケラと笑いながら水を飲んだ。勇者は魔王との時間が楽しくて仕方がない。
こんな関係もいつまで続くかも分からないのだ。次の戦いになれば、本当に殺し合わなければならないかもしれない。
「この時間が過ぎたらまた敵同士だ。世界の平和は俺が守る的な勇者っぽい事言う毎日だ」
「それは俺もだよ。世界を支配してやるぞとか、何回言ったことか」
勇者と魔王は再び、声を上げて笑った。すると不意に吹いた冷たい風が体を突き抜ける。
風上に首を向けると東の地平線あたりが明るくなってきた。別れの合図だ。
「さて、お開きだな」
「ああ」
「そんじゃあ、ここで別れたら、俺達は敵同士。でも絶対に忘れちゃならねえ」
「俺達は敵だが、ダチ同士だ」
勇者は魔王と拳を重ねて、踵を返した。陽の光が彼らの友情を讃えるように燦々と輝き始めた。
「勇者と魔王は呑み仲間」 蛙鮫 @Imori1998
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