第3話
ところで、なぜセックスツーリズムは、古今東西あるのか。なにが魅力なのか。
シンプルには、価格が安いから、だろう。
しかしそれ以外にサディスティックな、日本語で言えば嗜虐的な魅力があるのではないか。
つまり経済的に富があり、社会的に優位な立場である自分が、経済的に貧しく、立場が弱く「内側」のコミュニティにいる相手を、一歩引いた「外側」の安全圏から来て、都合よく扱うことにサディスティックな魅力があるのではないか。
秋村がわざわざ東京へ行くのは、自らの住むコミュニティーの知り合いに噂されることなく、大胆に振る舞えるといった点もあったのだが、ここで指摘したかったのは、セックスツーリズムのサディステックな点である。
英語圏ではWMAFというスラングがある。
White Male Asian Femaleの略で、白人男性とアジア人女性のカップルのことを指す。
結婚して添い遂げることもあるだろうが、白人男性からみて一時的な都合の良い関係で利用されることもあるだろう。
その点でWMAFもセックスツーリズムに似ている。
(以下は2話と被るので、あとで修正する)
秋村があえて自分より経済的社会的に弱い女性に狙いを定めていた理由は、そのようなサディスティックな欲望もあったが、彼が一般的な女にあらゆる手段でアプローチしても、うまくいかなかったから、秋村なりに頭をひねったからでもあった。
狂気のように、秋村を女性を捕まえる「戦場」へ駆り立てていたのは、単に女を求める欲情だけでなく、そのような女性に相手にされないコンプレックス、満たされず、傷つけられた自尊心、そういった屈折した感情であった。
それでいて、ほとんどの場合は、結局うまくいかずに、気落ちして帰ることになった。そんなとき秋村は、彼女たちは内側にいて、自分は一歩外から眺めている傍観者であって、「巻き込まれてはいない」と考えることで、その惨めな気持ちをケアしていた。
小説「雪国」の主人公島村が一歩外から傍観者のようにして振る舞っている理由は、本作の主人公秋村のそのような意図とは違うであろうが、社会的弱者を狙ってセックスツーリズムをしていることと、それでいてその自分を一歩外から傍観者の立場としてメタ認知する2点で、秋村は「雪国」に共感したのだった。
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