第16話
翌日も、たつきは帰宅時に花を持っていた。キッチンで紀子と夕食の準備をしていたみのりのところへやってきて、無言で花を突き出す。だがみのりはハンバーグを作っていたため両手が塞がっていて受け取れない。それを見たたつきは作業台に花を置いて無言で自室のある三階へ階段を昇って行った。
挽肉だらけの手を宙に浮かせたまま、みのりはどうしたらいいか分からず戸惑う。もちろん花をもらえるのは嬉しい。だが二日連続だと理由が分からない。花を贈ってもらえるような何かをたつきにしてやったわけでもない。そして唐突過ぎてまたもすぐに礼を言えなかった。
手を洗ってからたつきが置いていった花を取る。昨日はピンクのスイトピーだったが、今日は黄色いチューリップだった。
「綺麗ねぇ、明るい色だから気持ちも華やぐわね」
作業を続けながら紀子が声をかけてくる。みのりは頷きながらもどうしたものか迷ってしまう。
「昨日も頂いてしまってますし、どうしたらいいんでしょうか……」
「あら、ありがとう、って言ってもらっておけば?」
「でも……」
「みのりちゃんって律儀ね。何かしてあげたお礼じゃないと受け取れないって思ってる?」
「そうかも……しれないです。それにどちらかといえば、私がたつきさんにお礼を言わないといけない立場ですし」
「ああ、駅で助けてもらったこと?」
「それだけじゃなくて、ここに連れてきていただいたことを……」
人数分のハンバーグを成型し終えた紀子は、自分も手を洗ってみのりが持っている花に手を添える。
「そのことのお礼は、言った?」
いつも通りの柔らかく温かい紀子の声が、みのりの頬をぴしゃりと叩く。ここへ来た最初の夜に礼を言ったことは覚えているが、偶然出くわしてついでのように言っただけだった。
この数日で時忘れ荘に来てから感じている数々の喜びや感激。それは全てたつきがみのりを連れてきてくれたことから始まっている。
それについて、ちゃんと伝えていなかった。
「あ、あの、私」
「はい、いってらっしゃい。こっちはいいわ、後は焼くだけだから」
みのりは紀子に頭を下げて、チューリップを手にたつきの部屋へ向かった。
◇◆◇
時忘れ荘は四階建てで、一階は皆の共有スペース、二階は女性の個室、三階は男性たちの部屋になっていた。みのりは昨夜と同じくたつきの部屋の扉をノックする。昨日は返事がないまま突然扉が開いて驚いた。同じことが起こるかもしれない、と思って少し距離をとりつつ声が聞こえるのを待っていると、やはり突然扉が開かれた。
「あの、さ」
さっきはお花をありがとう、と、言うつもりだった。
だがみのりの前に現れたたつきは、何故か素っ裸だった。
みのりは驚いて目を見開き、咄嗟に大声を出しそうになった。
たつきはそれに気づいてすぐに彼女の口を押える。そして強引に手を引いて自分の部屋へ引き込んだ。
「あ、あの、その、お花、えっと、っ……、た、たつきさん、あの……」
「花?」
「いや、だからその、は、はだ……はだか……」
たつきはみのりの悲鳴を押さえただけでその原因が分からないらしく、相変わらず裸のままつっ立っていた。みのりはとにかく自分が最悪のタイミングで訪ねてしまったことだけは理解して、たつきを見ないようにしてぺこりと頭を下げる。
「お花、ありがとうございました! それからあの日ここへ連れてきてくださってありがとうございました! 本当に嬉しかったです! それだけ言いに来ました!」
時忘れ荘全体に聞こえそうなくらい大きな声でそう言うと、くるりと背を向けて部屋から出て行こうとドアノブに手をかけた。
(は、早く出て行かなきゃ、私ってどうしていつも間が悪いのっ!?)
だがノブを回そうとしたみのりの手を、背後からたつきが止めた。
「ここにいろよ」
「……え?」
「あんたと、一緒に居たい」
たつきはみのりにちゃんと伝えなければ、と思い、可能な限り近くまで行って自分が言いたいことを口にした。だが今のたつきは素っ裸で、その状態で密室で耳元でささやかれたみのりは完全に思考が停止してしまった。
「ずっと、ここにいてほしい」
(こ、ここ? ここって? ずっと、って? え? え?)
自分が考えていることとたつきが言おうとしていることが一致しているのかいないのか、考えることが出来ないくらいパニックになったみのりはたつきに背を向けたまま動くことが出来ない。
一方たつきは、一番伝えたい言葉を伝えたつもりなのだが、何の返事も無いことが最初は不思議で、次第に不安になって来た。
もしかしたらまた自分は間違えてしまったのか、と。
どうしたらいいのか、どうすべきなのかが全く分からず、またも思ったことをそのまま口にした。
「返事は?」
みのりもみのりでどう対応するのが正解なのか分からない。自分も言葉足らずだがたつきも負けず劣らず言葉が少ない。そもそも主語も目的語もない。今のみのりの頭を占めているのは、裸のたつきと密室でほぼ密着状態にある状況を解消しなければ、ということだけだった。
返事がないみのりに若干苛立ったたつきは、みのりの両肩を掴んで強引に自分のほう振り向かせた。
その時、驚きで見開かれたみのりの大きな目の中に、今にも泣きそうな顔をしている自分が見えた。その顔は自分でも大嫌いな表情だった。たとえみのりの目であっても、見ているのが辛かった。
気が付けば、両肩を抑え込んだままみのりに口づけていた。
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