第15話
予定通り全ての講義を受け終わると、たつきは真っすぐ時忘れ荘に帰った。
最寄り駅で電車を降りて商店街を通る。普段はどこに何の店があるのか、など気にも留めないたつきが、ふと一軒の花屋の前で足を止めた。
『大事にしろよ』
昼間の柊の言葉が甦る。花屋の店先で佇みながら、その言葉の意味を考えていた。だがたつきには、何をどうすることが大事にするという行為に繋がるのか、まるで想像つかない。ただ何もしないでいるのは自分でも歯がゆかった。
「ありがとうございましたー」
たつきは店員の声を背に花屋を出た。
◇◆◇
「おかえりなさい」
時忘れ荘に帰って玄関を開けると、丁度リビングの片づけをしていたみのりが一番に出迎えてくれた。たつきは胸の裏側が温かくなるのを感じる。とても心地よいのに走って逃げだしたくなるような不思議な感覚だった。
「ただいま」
みのりに聞こえるかどうかというくらいの小さな声で返事をしながら、先ほど買った花を突き出した。
「……お花ですか?」
みのりはその唐突さにすぐに反応出来ない。一方たつきはすぐに受け取ってくれないみのりに苛立ちながら、その手に強引に花を押し付けると、胸の疼きに急き立てられるように自室へ駈け込んでしまった。
呆気に取られて見送るみのりの背後に、凛が近づいてくる。
「怪しい」
「きゃっ!」
「たっちゃんが花って! ただいまだって! おかしい、何があった?!」
凛が刑事ドラマのマネのようなポーズを取る。みのりはそれは相手にせず、たつきから渡された花を見た。
「スイトピーですね。可愛い」
リボンのようにひらひらした花弁に見惚れる。だが時忘れ荘には染谷が庭で育てた花があちこちに飾られているから、これをどこへ活けようか悩む。
「玄関に二つ並べたら変かな」
木瓜の鉢の隣にスイトピーを並べようとするみのりの手を凛が慌てて抑えた。
「みーちゃん何してるの!! そんなとこに飾っちゃダメ!」
「え? だめ? やっぱり変?」
「変だよ! だってみーちゃんにくれたんだよ、だからみーちゃんのお部屋に飾らなきゃダメ!」
(私にくれた?)
凛に言われてやっとその事実に気づいた。みのりは、たつきが時忘れ荘用に買ってきて、たまたま近くにいた自分に託しただけだと思っていたのだ。
「あら可愛い、スイトピー? 丁度いい花瓶あるわよ、使う?」
二人の話し声を聞きつけた紀子がガラス製の花瓶を持ってきてくれて、そこへ活け換えてみのりは自室へ持って帰った。
◇◆◇
コン、コン。
そっと扉を叩く音に、たつきは読んでいた本から顔をあげた。夕食の時間だ、という声かけかと思って黙って扉を開けたら、そこには先ほどたつきが手渡した花を持ったみのりが立っていた。勢いよく扉があいたことでみのりも驚いて固まっている。
無言で見つめ合いながら、たつきはまた胸の裏側からほかほかと温かみが湧き上がってくるのを感じた。そして気づけば顔が綻んでいた。
花のお礼を言うためにたつきの部屋を訪ねたのだが、突然扉があいたことと何も言っていないのに微笑みかけられたことで、みのりは何を言えばいいのか分からなくなってしまった。
「あ、あの……えっと、さっき」
「花?」
たつきは目でみのりの手元を指し示す。みのりはぶんぶん首を縦に振った。
「その……ありがとうございました」
やっとの思いでそれだけ言うことが出来た。たつきはみのりに礼を言われて、自分がしたことがみのりを喜ばせることが出来たらしい、と分かってもっと驚いた。
「大事にする……」
(そうか、柊が言っていたのは、こういうことかもしれない)
思わず昼間友人から言われたことを口に出していた。みのりはそれが自分に対して言われた言葉と理解した。
「はい、大事にしますね」
同じ言葉を返され、たつきは飛び上がるほど驚いた。だがみのりは笑顔で首をかしげている。
「お花、大事にします。ありがとうございました」
数秒後れてみのりの『大事にする』が花のことだと気づいて、たつきは自分の勘違いに盛大に恥ずかしくなった。
顔を真っ赤にし、何も言わず再び勢いよく扉を閉めた。
後には驚いて固まってしまったみのりと、扉の反対側で自分の動悸に戸惑い続けているたつきがいた。
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