第13話

「戻りました」

「みのりちゃん、おかえりなさい……、って、あら? 麻希ちゃんもおかえり」


 二人を出迎えた紀子は、昨日同様意外な組み合わせに面食らう。だが昨日まで感じていた二人の関係への不安を吹き飛ばすように、みのりと麻希は親し気に言葉を交わしていた。


「どうしたの、二人とも。楽しそうね」


 にこにこしながら歩み寄ってくる紀子に、二人はいたずらを告白するような顔で小さな箱を差し出した。


「なあに? ……あらあらまあまあ」


 そこには茶色い仔犬が小さなしっぽを振ってお座りしていた。


◇◆◇


「ぎゃあああ! 可愛い可愛い可愛い可愛いいいい!!」


 珍しく最後まで授業を受けて帰って来た凛は、住人達が額を寄せ合っている中心を覗き込んで悲鳴を上げた。


「見せて見せて見せて見せて! なになになにこの子! 飼うの?! 飼うんだよね?! 決定だよね!?」

「あー……、まあ、皆がそれでいいなら」

「いい! 絶対いい! 反対する人がいたらあーしが説得する!」


 今この場にいないのは航也とたつきだ。昨日の時点で反対していたのは麻希だけだったから、実質全員一致で仔犬を飼えることになったと考えていい。


「でもどうしよう! 仔犬ってご飯何食べるの? ドッグフードなんてないよね。買いに行かなきゃ!」

「慌てなくて大丈夫よ。とりあえず今夜は家にあるもので食べられるものを作ってあげて、明日獣医さんに連れて行けばいいわ。その時に必要なものを買い揃えるほうが無駄がないでしょ」


 紀子にそう言われても凛は仔犬の側から離れようとしない。しかしそれは麻希も同様だった。ミルクを飲んで満足したように眠る仔犬を、二人並んで覗き込んでいた。


「まっきーありがとね」

「……昨日、私」

「いーのいーの、この子、皆で大事にお世話しようね」

「ん」


◇◆◇

 

 夕食を終え、昨日と同じようにみのりは紀子と一緒に片づけをした。大きな鍋を夢中で洗っていたので、キッチンの入り口に佇んでいる麻希に気づかなかった。


「麻希ちゃんどうしたの? お茶?」

「ん、そうじゃなくて、その……」


 普段の麻希らしからぬ様子に紀子はピンときた。


「みのりちゃん、お手伝いありがとう。後は私がやるから、あなたも少し仔犬ちゃんと遊んでいらっしゃい」

「えっ、でもまだ」


 いいからいいから、と半ば強引にキッチンから追い出される。すると麻希が先導するように仔犬の許へ連れて行ってくれた。

 ひと眠りして元気になったのか、仔犬はみのり達を見つけるとちぎれんばかりにしっぽを振って歓迎してくれた。


「可愛いですね、麻希さんのこと、お母さんだと思ってるのかな」


 指先で小さな鼻面を掻いてやる。隣で麻希が小さく息をついた。


「昨日、ごめん」


 みのりは仔犬から視線を麻希へ転じる。


「今思うと、私すごく嫌な態度だったよね、ずっと。別にあなたのことを嫌ってるとかじゃないの、その……」


 麻希が何を弁解しようとしているのか、みのりは察しがついていた。だが決して多弁なタイプではなさそうな麻希が自分から話してくれるなら、それを待とうと思い沈黙を保った。


「私、子どもの頃から色々あって……、大切な人を作るのが怖いの」


 麻希はみのりが言った『お母さん』という言葉に胸の痛みを感じる。


「私が大切に思う人とは必ず別れることになる。もうあんなのは嫌なの……。本当はここにもいちゃいけないと思ってた。皆いい人だから、いつか会えなくなるって想像すると辛いんだ」


 みのりは麻希の告白がまるで自分のことのように感じた。自分もつい先日恋人と別れた、正確に言えば騙されてフラれたばかりだったからだ。


「分かります。皆さん良い方ばかりですよね」


 訳も分からず強引にたつきに連れてこられたとはいえ、まだ三日と経っていないのに、もうみのりは時忘れ荘から出ていくことが怖かった。


「いつまで皆一緒に居られるかは分からないけど、出来るだけ長く一緒に居られるようにしましょう、このワンちゃんも」


 みのりはまたも自分の表現力のなさが歯がゆい。出会ったばかりの自分にこんなことを言われても、おそらく長年麻希が抱え込み続けているだろう孤独には何の意味ももたらさないだろう、と。


 だが麻希はみのりに笑顔を向けながら頷いた。


「そうだね、ずっと、少しでも長く一緒に居られるようにすればいいよね」

「はい!」


 もしかしたら麻希に伝わったか、と思って嬉しくてつい大きな声で返事をした。それにつられたように仔犬が『ワン!』と大きく鳴いて、二人で驚いて尻もちをつく。それがまた可笑しくて二人で声を重ねて笑った。

 

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