二十五話
俺はバイトを始めた。『計画』には金が必要だったし、なにより自分の両足で立ちたかった。この理不尽な社会に自力で立ち向かいたかった。
負けたくなかったのだ。世界に、社会に、義足に。
……そして、俺の全てを奪った運命に。
俺は負け犬じゃない。社会のお荷物じゃない。支えられるだけのでくの坊じゃない。望月朔夜は月下由紀の隣に立つ資格があると、証明したかった。
場所は街のオフィスビル六階。義足でもできる簡単な事務仕事――と思っていたが、そもそもの頭が悪いので最初は迷惑をかけてばかりだった。
冬休みは朝から深夜まで。三学期になると、放課後すぐに教室を飛び出してバイトに行く生活になった。疲労がたたり授業中はほとんど爆睡だ。担任も俺を厳しく注意できず、由紀ともどもクラスの腫物のような状況になっていった。
休み時間も寝ていたので拓海とも話さなくなった。刺激のない毎日だからか時間が矢のようなスピードで駆け抜けていく。今までの学園生活がどれだけ友人に恵まれていたのかを知った。いつの間にか終わっていた期末試験の記憶はなかった。留年はしていないので最低限勉強していたはずなのだが。
由紀の成績はさらに落ちたらしい。きれいな顔は日に日にやつれていった。ただでさえ母子家庭で大変なのに、頼みの綱の母ちゃんがヒステリーを起こして騒ぎ、家の中がピリピリしていく。安息などないのだろう。
由紀のよりどころとなるべき俺が裏切ったのだから。
バイト漬けの春休みが一瞬にして終わり、三年になるとみんなとクラスが離れた。もともとマンモス校なので一緒になる方が珍しいが、誰一人いなかった。けれど新しく友達を作る気はない。そんな時間はない。最近は友達と話してすらいないので変わらないだろうと自分を誤魔化して強がる。
そんな時だった。
「――月下さんの母親、事故で亡くなったらしいぜ」
教室で噂が聞こえてきた。一瞬、意味を理解できなかった。
――おばさんが、死んだ。
信じられなかった。死ぬというイメージがわかなかった。非日常の極みであり、唐突に放り込まれてもあまりに場違いで実感がなかったのだ。
けれどすぐに思いなおす。不条理はいつだって唐突で、前触れなく俺らに牙をむくのだ。
噂はあっという間に広まった。ホームルームの際、担任が言いにくそうに告げると何人かの女子は泣き出した。おそらく会ったこともないだろう。意味もなく、泣いていた。それは偽物の祈りだった。
おばさんの顔を思い出す。年の割にしわが濃く、ツリ目が印象的だった。小さい頃は遊びに行くとよくジュースとお菓子を出してもらったものだ。
けれどどうしてもあのヒステリーな声が耳に残っていた。由紀を切り刻むように発せられた暴力的な言葉である。ひどく傷ついたように部屋を出てきた由紀の顔も忘れられない。
――複雑だ。
身近な人が死んで悲しいはずなのに、どこかほっとしている俺がいる。由紀が解放されたのかもしれないと思ってしまう。自分の思考が怖ろしかった。
見知った関係なのでせめて葬式には行こうと思ったが、由紀本人が親戚だけでやりたいと言ったらしく参加できなかった。多分、俺を排除したかったのだ。
由紀とはもうしばらく話していない。恋人関係はとっくに解消され、廊下ですれ違っても挨拶すらしない。
でも互いに目を合わせ、存在を意識しあう。他人と呼ぶにはあまりに異質な関係だった。
――あと八か月か。
孤独に震えていても今の俺では抱きしめられない。今はただ、頑張るしかない。
夏休みに進路調査と三者面談があった。今まで避けてきた行事だが、今回は親父が会社を休んで参加することになった。三年は課外があるため一年生の教室に集まる。
「それで、朔夜君は進学か? 就職か?」
「特に決めてないですけど、進学にしておいてください」
担任は大きくため息をついた。
「もう三年の夏休みだぞ~。まだそんなこと言ってるのか~?」
新しい担任はかなりずばずば言ってくるタイプだった。そうでもなければ三年は務まらないのだろう。義足になってからは遠慮する人がほとんどだったので新鮮だ。
「進学と言っても君の成績で行けるところは少ないぞ。もっと勉強しろよ~」
「浪人しますから。まだ時間はありますよ」
「いやいや……浪人ってお金がかかるんだなあ。お父さんの負担を考えれば、そんな簡単に言ってくれちゃ困るよ。ねえ、お父さん」
担任は呆れたように親父に視線を飛ばす。
「いえ、朔夜の好きにやらせます。浪人くらいなんともありませんよ」
「あれぇ~?」
不思議そうに目を丸くする。
心の中で親父に感謝した。こんな俺のわがままに一年も付き合ってくれるのだ。何が何でも成功させようと改めて決意した。
面談を終えて教室を出ると親父は急いで会社へ向かった。俺は午後の課外がある。教室へ向かおうとエレベーターに向かう途中だった。
「よ、久しぶり」
拓海とソラが待ち構えていた。久しぶりと言っても一学期に話さなかったくらいだ。それでも、遠い昔のことのように懐かしく感じた。
「どうしたよ。まだ授業中だろ?」
「んなもんずーっと受けてられかって。せっかくの夏休みなのにナンパもできやしねえ」
「……今年は被害者が少なそうでなによりだ」
去年の夏休みのような惨劇にはならないだろう。
「ちょっと付き合えよ。どーせ授業に出ても寝てるんだろ?」
昨夜のバイトの疲れが残っていたので迷ったが、二人と話したい気持ちもあったので付き合うことにした。学校を抜け出して近くの喫茶店に入る。
中は冷房が効いて快適だった。カウンターでアイスコーヒーを注文して受け取り、席に着く。新しく買った杖の独特な音が他の客の視線を集めていた。
「んで、なんか用か? ソラまでサボりに巻き込んで」
「ボクが誘ったんだよ。だって初めての日本の夏休みなのにずっと勉強なんだも~ん」
ぐでーっとテーブルに突っ伏す。日本の夏に参っているようだった。
「ソラはこっちの大学を受験するのか?」
「そのつもり~。あんまりあっちには戻りたくないもん。でももう勉強はいや~っ! 最近はマンガを描いてばっかりだよ」
「ソラ、マンガ描けるのか? マジかよ今度見せてくれよ」
「う~ん、ちょっと恥ずかしいけど……サクヤなら、いいよ」
恥ずかしそうにもじもじとしている。
以前に絵画を描いていたし、絵が上手いのだろう。楽しみだ。
「そういう朔夜はどうするんだ? 勉強、サボりまくってるって噂だぞ」
拓海はメロンのドリンクに口をつけつつ言った。軽い質問だったが、言葉に思いが込められているようで背筋が伸びる。
「浪人してでも大学には行くよ。俺は多分、学歴にしがみつくのが唯一の生き残る手段だからな」
バイトをして分かったのは、俺は何をやってもダメということ。力仕事はもちろん、事務や頭脳労働もできるわけじゃない。仕事と勉強なら後者の方がまだ希望があった。
「その割にサボってばかりだよなぁ」
「うるせ~こちとら忙しいんだよ」
「バイトか? よくやるよなぁ、お前も」
「……あれ、拓海にバイトの話したっけ?」
計画は親父以外、誰にも話していない。首をかしげると拓海はニヤリと笑った。
「んなもん、目を見ればわかるだろ。何かを頑張ってる人間特有の濁り切った目だ」
「え~、そんな俺の目は変か? つーか頑張ってるなら濁らないだろ」
「頑張って濁らないのは天才だけだぞ。目がギラギラ燃えているやつだけ」
拓海はソラにちらりと視線を向けてしみじみ言った。
たしかに思い当たる節がある。サッカーで対戦した天才だ。試合終盤でへとへとになっても目を輝かせてボールを追う姿は、キラキラと輝いていた。拓海も沖縄ではサッカーの強豪にいたらしいし、思うところがあるのだろう。
「お前、何をしようとしてるんだ?」
「……」
まっすぐに目を合わせられて戸惑った。ソラのつばを飲み込む音が聞こえる。
さて、話していいものか。計画が由紀に漏れるのは避けたかったが、この二人は俺を心配してくれている。誤魔化すのは不誠実だろう。
「計画があるんだよ」
二人に詳細を話す。お粗末で、滑稽で、何のひねりも意味もない計画を。
案の定、ソラはぽかんと口を開けて固まり、拓海は爆笑した。
「うっわ~~~~! バカだ! こいつバカだぁ!」
「あ~も~うるせぇなぁ! いいだろそれしか思いつかなかったんだよ!」
「そんなのに一年もかけるとか不器用なやつ~。お前らめんどくせ~」
「めんどくさくて結構!」
なにしろ金魚の糞が金魚を落とそうとしているのだ。多少滑稽でもやるしかない。
「ボクは好きだよ? まあ、スマートじゃないけど、むしろかっこ悪いけど」
「か、かっこよくなくていいし!」
改めて計画を見直すとたしかにかっこ悪いな……。拓海のようにはいかない。
でもまあ、それが俺のやり方なわけで。
「つーか、それ相当大変だろ? しかも月下の第一志望、東京の大学だぞ。失敗すれば永遠にさよならじゃないのか?」
初耳だった。校内で注目されているが、クラスが違えばそこまではわからない。
とはいえ想定内だ。由紀の学力ならかなり偏差値の高いところに行ける。母親の保険でまとまった金もあるので進学が現実的になったのだろう。
……もし母親が死ななければ大学には行けなかったかもしれない。皮肉だった。
「別にいいって。これ以上失うものなんてないし、あとは俺が頑張るだけなんだから」
大変かもしれない。失敗するかもしれない。
でも、頑張るしかない。由紀にならば、いくらでも祈ることができる。
「へぇ――覚悟はできてると」
目を見て問うてくる。俺は力を込めた。
「ここまで来たしな。あとたったの四カ月だし、楽勝だって」
実際は血反吐を吐く思いだった。勉強をしないと言ってもそこは受験生。毎週の模試、課外、宿題……。夏の暑さもあり、体も精神も限界すれすれだった。
でも、由紀が大切だから。その思いだけで、いくらでも力が湧いてくるから。
「サクヤ……困ったときは言ってね? ボク、応援したいんだ。二人のこと」
ソラは微笑んでいた。優しく純粋な言葉だった。
少し、戸惑う。ソラは俺を責める権利があるはずだ。ひどい奴だと罵られても仕方ないと思える。
包み込むような慈愛の裏に強がりの気配を感じるのは邪推だろうか?
俺の思い上がりで、とっくに立ち直っているのだろうか?
返す言葉が見つからず黙っていると、ソラは苦笑した。
「最近ちょっと楽しいんだ。友達もできたし、マンガを描くのも面白いし、日本は大好きだし。だから大丈夫だよ。応援させてよ。力になりたいよ」
饒舌なソラは自分に言い聞かせているようだったが、「ああ……いつか頼むよ」としか言えなかった。距離感は曖昧なままだ。
「ああ、困ったときは言えよ? どうせオレなんかは暇してるんだから」
「……助かる」
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