十一話
目を覚ますと十八時を過ぎていた。カーテンの奥からオレンジの光が漏れている。
寝坊どころか無断欠席だ。慌てて起き上がってスマホを見ると、大量の通知が来ていた。
「じゅ、十七件……?」
マナーモードで気づかなかったが、由紀から大量の着信が入っていた。
メッセージを見ても「電話でろ」「無視しないで」「カギ開けて」と連投されている。二人きりで鍵を閉めていたから中に入れなかったのだろう。
わざわざ家に来てくれたのに悪かったな……。
昨夜はあれだけ不安そうな声で電話してきたのだ。電話にも出らず、学校にも来なかったら心配かけた。自分の部屋に戻りすぐにかけなおす。
『朔夜……』
二コールででた。疲れ切ったような声である。
「わるい、ずっと寝てたんだ。鍵もずっと閉めちゃってて……」
『もう遅いよ』
「わ、悪かったって。ソラを起こさないようにずっとマナーモードにしててさぁ」
……これ、ソラと一緒に寝たという自白だけどな。
『朔夜のバカ』
恨みがましく言ってくる。本気で怒っているときの声音だ。
「看病だから仕方なかったんだよぉ……」
電話越しに怒りが伝わってくる。怖かった。
「担任はなにか言ってたか? 無断欠席になったけど」
『知らない。学校行ってない』
「は、はあ⁉」
思わず大きな声が出る。由紀は遅刻はあれど、欠席はなかったはずだ。
『朔夜を置いていけるわけないし』
「あ……」
そりゃそうだ。俺と一緒に遅刻をする奴だ。
罪悪感で言葉がつまる。
「そ、その、ごめん……」
『……電話に出てくれなくて。鍵も閉まってて。どうすればいいかわからなくて』
そこまで心配してくれている間、俺は寝ていて。
『どうにもならなくて。不安になって』
昨日の今日でこんなに不安にさせてしまった。
『……朔夜の、バカぁ』
泣きそうな声が聞こえてきた。
電波にのって伝わってくる悲しみが、俺の胃をちくちくと責めたてる。
「……悪かった」
やらかした直後ではどんな言葉もチープになって謝ることしかできない。
『朔夜なんて嫌い』
ぐさりと胸を刺す。
重く言い放たれた言葉は真実味を増して膨らんでいき、確かな質量の刃となって胸をえぐり続けて抜けてくれない。いつの間にか歯を食いしばっていた。
『裏切らないって言ったのに……』
「う、裏切ってないって! ずっと寝てただけだから! ソラの看病をしようと思っただけで……」
言葉の軽さに自分で驚いた。薄いっぺらい言い訳であることを俺はわかっている。
昨夜、俺は由紀を拒絶したのだ。
「……ごめん」
『朔夜は正しいってわかってるけど……でも……この裏切り者ぉ……』
何も言えなかった。由紀に責められるまま、スマホ片手に立ち尽くす。
嘘をついているわけじゃない。なのに、いたたまれなかった。
『朔夜なんて大嫌い』
そう言い残して電話は切れた。ツーツーと無機質な音が俺を避難する。
――大嫌い。
その日、夜に寝るまで由紀の言葉が耳の奥に残っていた。
休みの間、由紀とは一言も話さなかった。メッセージは既読無視され勝手に家に押しかけるわけにはいかず、どうしようもなかったのだ。
……いや、それは言い訳で由紀に会うのが気まずかっただけか。
数日ぶりの登校に気が重くなる。なんて謝ればいいのだろうか……。
シャワーのために階段を下りる。寝ぼけた頭を吹き飛ばさなければならない。
気合十分に浴室のスライド式のドアを開ける。
「え?」
「あ……」
着替え中のソラがいた。上は何も着ておらず、下も今まさにフリルのついた白のパンツを脱ごうと手をかけて――
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「あぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
同時に叫ぶ。飛びつくように両者ドアを閉めようとしたのでごつんと頭をぶつけてしまった。
「っ~~~~!」
ソラは痛そうに後ずさって額を手で抑える。だがドアはまだ閉まっておらず部位は隠されていない。見てはいけない部分に目が吸い寄せられ――
「ほんぴゃぁ~っ!」
ソラは顔を真っ赤にして思いっきりドアを閉めた。もう遅いが、俺も慌てて目をそらす。
「な、ななななななななんでサクヤが⁉ いつ起きたの⁉」
「わ、わりっ! 寝ぼけてた!」
「その割にはタイミングが良すぎるよお~!」
テンパっているのか早口だ。俺も焦ってドア越しの土下座をする。
「わざとじゃないんだって! 信じてくれ!」
「わかってるよわかってるけどそうじゃなくてぇ! そういう問題じゃなくて~!」
ソラの困ったような叫びが響く。とにかく俺は謝り続けるしかなかった。
今度からは気をつけなきゃ……。
前回はソラが恥ずかしがらなかったのでなあなあになっていた。女子と一緒に住んでいるのだ。男は気を配らなければならない。気合十分だったつもりがが空回ってしまった。
ソラが恥じらいを覚えたのは成長なのだが……。
……網膜に焼き付いた鮮烈な映像は忘れられそうにない。
十分後。脱衣所から出てきたソラに謝り倒した。
「先週はほんっっっっっとうにすまんかった!」
由紀が来るとすぐに頭を下げた。玄関で手を合わせて許しを請う。
俺、謝ってばかりだな……。
「早く靴を履いて」
「あ、はい」
感情のこもっていない冷ややかな声で言われた。背筋にぞわりと寒気が走る。
やっぱりまだ怒ってるな……。
生きた心地がしないまま靴を履いて立ち上がる。ちらりと顔を見ると、無表情の仮面をつけていた。
恐る恐る手を差し出してつなぐ。由紀は無言のまま扉を開けた。
外はからっと晴れていた。俺たちは住宅街を歩き出す。俺と由紀が二人で並び、その後ろをソラがついてくる。
「その……それで、先週のことだけど」
話を切り出すと由紀はそっぽを向いて目を合わせようとしない。手は繋いでいるくせに、俺の存在を無視するかのような振る舞いだった。
「悪かった。わざとじゃないんだよ。ちょっと、うっかりしてただけで……」
「朔夜なんて知らない」
「ゆきぃ……」
取り付く島もない。ツーンと顔をそむけ、いつもより乱暴に俺の手を握っている。
「朔夜が裏切ったからって私には関係ないし」
「ごめんってば……」
歩調が少し荒くなる。由紀が体の一部になったようないつもの歩きやすさはなかった。
「お詫びに何か奢るからさ。機嫌直してくれよぉ」
「……」
「ほら、由紀ってコーヒー好きだったろ? おすすめのカフェがあるんだよ」
「……」
それから何度話しかけても反応がなくなった。気まずい空気が流れる。
背中にじっと視線を感じたので、窒息しそうな雰囲気からの救いを求めた。
「そ、ソラも元気ないな。まだ体調悪いか?」
後ろを振り返って言うと、慌てて首をふった。
「大丈夫だよ~。たくさん寝たもん。あとたくさんマンガも読んだし」
「でもちょっと顔が赤い気がするぞ。熱は測ってきたか?」
「だ、大丈夫だってぇ。これは熱とかじゃなくて、その~」
「その?」
「これがチャンスなんて思いたくないし……」ぼそりと呟いた。
「……? どういうことだ?」
ドギマギしたように視線を泳がせる。顔はさらに赤くなっていった。
「だ、だからぁ! サクヤが着替えを覗くからぁ!」
「~~~~~っ!」
慌てて右手をブンブン振って誤魔化し、由紀への言い訳を考える。恐ろしくて横を向けない。事故だって信じてくれるかな……最近の俺、こんな事ばっかりやってんな。
「ふーん」
だが予想に反して由紀の反応は淡白だった。興味無さそうな言葉を返すのみで、こちらを見ようともしない。
「ゆ、由紀?」
「別に?」
「俺なにも言ってないけど?」
「知らない。怒ってない」
無表情の仮面は微動だにしていない。
それが逆に恐ろしかった。仮面に覆われて由紀の心がわからない。手をつないでいるのに見えない壁を作られたようで遠くに感じてしまう。
それはソラに対しても同じだった。あんなに馴れ馴れしあったソラに距離を置かれている気がする。遠慮を感じるのだ。漫画を通じて仲良くなれたと思ったのに……。
俺は、何もできなかった。
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