十話

 日付をまたいだ深夜二時。眠るソラの横で漫画を読んでいると、突如ポケットのスマホが鳴った。


「うおっ」


 急いで着信を拒否する。マナーモードにしてからこそこそと部屋を出た。ソラが起きなかったのはラッキーだった。


 真っ暗なリビングに出て改めてかけなおす。すぐに由紀はでた。


『……朔夜?』


 か細い声だった。こんな時間にかけてくるなんて珍しい。


「どうしたんだよ。何かあったのか?」

『……』


 沈黙が返される。顔の見えない電話では何を考えているのかわからなかった。

 だから、これもどんな意味なのかわからない。


『今からそっちいっていい?』


 困惑で口を開けなかった。

 深夜二時なのだ。こんなこと初めてだ。何かあったのではないかと強烈な不安に駆られる。


「別にだいじょ――」


 反射的にオーケーしそうになったが、冷静に考えるとソラもいるのだ。こんな時間に来れば間違いなく起こしてしまう。由紀に風邪をうつす可能性もあった。病人にこれ以上の負担をかけたくない。


 ……いや、それは言い訳か。


 由紀の手を借りたくなかった。独力でソラを支えらえれば、一人前として認められるような気がした。


「あ~わるい、やっぱ無理だ。ソラを起こしたくないし……。なんか忘れ物でもあるのか? 由紀の家まで届けるぞ」


 真意の裏に、本音を隠す。エゴだった。


『違う。ちょっと不安になって』

「ああ、ソラか。熱は高いけど飯も食ったし薬も飲んだからとりあえず大丈夫だろ。明日また悪化したら病院に連れて行こうかなって」

『……そうじゃなくて』


 複雑な響きをもった由紀の言葉だが、電子音に変換されてその意味合いの推測はできなかった。


「じゃあなんだよ。緊急なら今すぐそっち行くぞ」

『絶対来ないで。何時だと』


 電話をかけてきた由紀が言うのか……。

 忘れ物でもない。こっちから行くのもダメ。

 つまりうちに来るのが目的ってことだから……。


「あ……」


 ふと昼のことを思い出した。由紀が怒った理由。


 俺とソラが二人っきりなのが不安なんじゃねえのか……?


 そりゃあ不安だし、口にも出しにくいだろう。俺も気づいたことを由紀には言えなかった。なんと言葉にすればいいのかわからず両者無言の時間が流れる。


 夜のリビングは静寂に包まれ、広い部屋に取り残された俺は世界で一人ぼっちのような錯覚にとらわれるが、スマホの先に由紀がいると思うと温かいつながりを感じられた。孤独な夜もこのつながりがあれば乗り越えられると思えた。


 だから俺も由紀の不安を和らげようと気持ちを必死に言葉にする。


「だ、大丈夫だよ、由紀。俺は由紀を裏切らないから」

『……ほんと?』


 子供のような声だった。いつもの毅然とした態度からはかけ離れていたが、スマホ片手に震える由紀を想像するとかわいかった。


「あたりまえだろ。俺は由紀の幼馴染十年目だぞ」

『……そうだね』


 気恥ずかしくてそうとしか言えなかった。

 でもいつか、その先の関係になれたなら……。

 月日があれば人は変わる。きっと由紀との関係も変わっていけるはずだ。








 夢を見た。

 豪邸に囚われているボクのもとに王子様が颯爽と現れ、遠くへ連れ去ってくれる夢を。


 広々とした小麦畑の真ん中にぽつんと小さな家を建て、二人だけで――いや、次第に三人、四人と家族が増えて、幸せに暮らしている。


 ボクはマンガ家になる夢を叶えて毎日忙しそうに執筆している。お昼ごろになると王子様がやってきて優しい笑みを浮かべ、一緒にピザトーストを食べるのだ。


 口うるさいパパはいない。陰口を言うクラスメイトもいない。


 王子様とキスをして結ばれ、めでたしめでたしで終わったおとぎ話。


 穏やかで、暖かくて、優しさで溢れている世界。二人が寄り添いあって生きていく未来。


 手に入らない楽園を夢見ていた――。






 スマホの鳴る音で目が覚めた。


 サクヤが慌てて部屋を出ていく。ボクが起きたことには気づいていないらしい。

 朦朧とする意識の中、サクヤの背中を見送るとふいに心細くなってしまった。


 行かないで……。


 真っ暗な部屋にぽつんと取り残される。昨日まではそれが当たり前だったのに、どうしてか一人ぼっちが怖ろしくなってしまった。心臓がきゅっと縮んだように痛む。


 しばらくするとサクヤが戻ってきた。寝たふりをして薄目のままそっと彼の顔を盗み見る。寝なきゃいけないと分かっているのに、どうしてか目線が吸い寄せられていくようだ。


 電気を消した暗い部屋の中、サクヤは懐中電灯の明かりを頼りにマンガを広げる。音を立てないようにページが優しくめくられていく。熱中する瞳はきりっとかっこいい。


 僅かな明かりに照らされてぼんやりと見える一挙一動から目が離せない。真剣な眼差しから、優しい手つきから、わずかにほほ笑んだ口元から。


 ……こんなの反則だ。熱がどんどん高まっていくのを感じる。


 ボクの身体はどうなってしまうのだろう。初めての感覚だ。風邪をひいたからか、それともなにか別の病気なのか、すごく胸が苦しい。心拍数が加速度的に上昇してうるさい。


 それもこれも全部あの一言が悪い。


 ――俺でよければここにいてやるから。


 いろいろなことをしゃべっちゃって、空気が重くなって、泣きそうになったとき。

寂しくて、悲しくて、逃げ出しそうになったとき。


 ただ黙って傍にいてくれた。

 それだけでよかったんだ。言葉も慰めもいらない。居場所があって、一人じゃないって思えれば、それでよかったから……。


 だから、あの一瞬でボクの中のサクヤが変わった。

 ずっと隣にいてほしい。どんなことがあっても一緒にいてほしい。


 サクヤと再会したときにこんな気持ちはなかった。もちろん彼のことは好きだったけど、温かくて、優しくて、一緒にいると嬉しいような……そんな「大好き」だった。


 一緒にいてほしいという思いは変わらない。ただ一言付け加えるなら。


 ――ユキを押しのけてでも。


 どろどろとした黒い大好きだった。


 今までのようにサクヤの一番の友達になりたい、ではなく。


 サクヤの一番を独占したいというイヤな気持ちだ。


 自分がこんな気持ちをもっているのに驚いた。


 ボクってこんなイヤな奴だったのかな……。


 それとも……。


 これが本当の恋なのかな……。


 でもおかしい。こんな気持ち、それこそ少女マンガの悪役みたいで。


 ラッピングされたおとぎ話がボロボロと崩れていくみたいで。


 自分が嫌になっていく。


 ねえ神様、ずっとサクヤの傍にいたいよ。


 朝になったらユキが来るかもしれないからさ。


 ユキを邪魔だって思いたくないからさ。


 お願い、ずっとこのままでいて。永遠にサクヤの傍にいさせて……。


 王子様とお姫様のおとぎ話を終わらせないで。

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