二話

 朝雪高校は坂道のてっぺんにある。


 道が広くなり街路樹が並び始めると行きかう人も増えてきた。気だるい朝の足音は、音楽のように一定のテンポで響いている。


 入学して一年半。毎日、由紀と手をつなぎ歩くので人の目は慣れたが、陰口を聞いたここ数日は落ち着けないでいた。周りの生徒がこちらを向いてひそひそ話しているように感じる。


「きょろきょろしすぎ。不審者」

「ちょっとぐらいいいじゃん。人の目が気になるお年頃なの」

「糞のくせに生意気」

「金魚を省略するなよそれただのクソじゃねーか」


 由紀が飾らないのは言動もだ。人の目を気にしないのか、学園のアイドルが言ってはいけないことも平気で口にする。これだけ人気を集めておきながら周囲の評価に無頓着だ。


 だが持って生まれた気品がある。小さな胸を張って背筋を伸ばし、顔をあげて堂々と歩く。洗練された所作だった。


 その隣で俺は、左足を引きずるように歩いている。


 ――あの子はかわいいけど、隣の彼氏、冴えねーよなぁ。


 ふと後ろから聞こえた。純粋な疑問なのだろう。声音に悪意は感じなかった。


 ……彼氏じゃねーよ、アホ。


 胸中でつぶやいて聞こえないふりをする。自分の存在が恥だった。

 俺は由紀の恋人になれない。その願望を抱くのはひどい悪徳で、世界が許さないと思った。


「――うっ」


 ふと左足に鋭い痛みが走った。思わずバランスを崩して由紀の肩をつかむ。


「大丈夫?」心配そうにのぞき込んでくる。

「あ~くっそ、いてぇかも」


 左足の血管に、ざらざらの砂が流れるような痛みが広がる。


 幻肢痛――失った手足に痛みを感じる症状だ。


 由紀にしがみついて痛みに耐える。支えがないと倒れてしまいそうだった。


「これ飲んで」


 差し出された白の水筒を傾ける。クマのワンポイントがついていた。冷や汗で脱水していたので、喉を通る冷たい麦茶が気持ちいい。


「平気?」

「……じゃ、ないかもな」


 神経を紙やすりで磨かれているようだった。痛みが意識を支配して、チカチカと景色が点滅する。いっそ気を失いたかった。


 背中をさすられて励まされつつ、何とか道の脇に移動して座り込む。歩く生徒にじろじろと見られているが、気にする余裕はなかった。


 エネルギーが義足に吸い取られていくようだ。呼吸は浅く、肺が痛む。十一月なのに体中が熱かった。


「焦らなくていいから」


 由紀は包み込むように手を握り、黙って背中をさすってくれた。

 痛みで疲弊した精神が癒されていく。縋りつくようにもたれかかる俺を受け止めてくれた。聖女に赦される罪人の気分だった。


 だから俺は、由紀のことを……。


 痛みが次第に引いてくる。由紀の手を借りて立ち上がるころには十五分ほど経っていた。遠くから始業を告げるチャイムが聞こえてくる。通学する生徒もいなくなっていた。


「……わり、もう遅いな」


 俺につき合わせたせいだ。


 また……由紀に迷惑をかけた。


 金魚の糞と言われて当然だ。一方的に与えられてばかりの俺が、隣にいる資格はない。


 対等な存在でなければ恋人なんて夢物語だ。


「もういいの?」


 心配そうにのぞき込んでくる。


「大丈夫だ。ありがとな」


 努めて意識しないように水筒を返す。間接キスを意識してちらりと由紀の口元を見たが、無表情を貫いていた。気にしているのは俺だけなのか……。


「まったく、これだから朔夜は」ほっとしたように言う。

「ど~せ由紀に頼りっぱなしだよ!」


 しょうがないなあ、という目で見られた。

 再び手をつないで歩きだす。ここら辺は水はけのために傾いていて転びやすい。

 幻肢痛は精神的な負荷が原因とされている。心を落ち着けるためか由紀のエスコートはゆったりとしていた。


 朝雪高校は創立から十年もたっていないが生徒数はマンモスに分類されるほどだ。人気の秘訣はやはりおしゃれさだろう。高名なデザイナーが設計したベレー帽のような外観の白い校舎。中は縦長のガラスが立ち並ぶショッピングモールのような吹き抜けの廊下や、巨大な電子黒板の釣り下がる教室など最新も設備がそろっている。校舎は広くガラスが多用されているため解放感があるのが特徴だ。俺がここを選んだのはバリアフリーが徹底されているからである。新しい高校はそういう意味でありがたい。


 手をつないだまま昇降口に向かう。ちょうどホームルームが終わったのか、生徒が慌ただしく移動している。


 ふと、馴染みのある声が聞こえてきた。


「だからぁ~、オレはただ、二人に傷ついて欲しくなかったってだけで~」


 朝のさわやかさを台無しにする邪悪な声だった。由紀の口元がピクリと引きつる。


「ほう、二股の言い訳はそれで終わりか?」

「拓海……説明してもらうからね?」


 見知らぬ女の声が響く。一つは質量のある低い声。もう一つは抑揚のない死人の声。修羅場のぴりついた空気が流れ、肌を刺す。


 またかよ……。


 肩を落とす。由紀と二人してため息をつくが、放っておけないので声のする校舎裏へと向かった。華やかな正面とは違い日陰が多く、むしられていない雑草も多い。ドクダミの匂いが鼻につく。


 そのさらに奥に三人はいた。

 手前にはショートカットで背の高いボーイッシュな女の子。その横にセミロングで華奢な女の子。


 そして、奥で必死に言い訳をしている二股カス野郎。


「どちらかを選ぶなんて無理に決まってるだろ! 二人とも可愛いんだもん!」

「このクズが……」

「拓海は……私だけを……愛してるって……」


 女性二人は疲れ果てていた。こめかみに手をあててうなだれている。

 見てて憐れだった。二人ともかなり可愛い方だ。


 こいつと関わらなければ幸せだったんだろうなあ……。


「もういい。お前を殴る気力すらわかん……私は教室に帰る。早苗、お前はどうする?」

「……私は家に帰ろっかな」


 顔に生気がない。じめじめした校舎裏の空気を上回る湿り気を振りまいている。


「お前がここまでのクズだとは思わなかった。二度と、話しかけないでくれ」


 彼女らは去っていった。互いの背中をさすりあい、慰めあうようにして歩いている。すぐ後ろで顛末を見ていた俺たちにすら気付いていない。


 今度はもう少しいい人に出会えるといいな……。


 侮蔑の視線を向けつつ二人を泣かせた悪人に声をかける。


「お前の図々しさには尊敬するよ」

「朔夜……失恋って、こういう気持ちなんだな。心にぽっかり穴が開いたようで……」

「綺麗な言い方すんな。失恋という言葉に失礼だろ」


 拓海は朝日を仰ぐ。微笑む顔が照らされて映画のワンシーンのように晴れ晴れとしていた。染めた金髪が輝いている。女の子が見ればそれだけで心を射止められかねない仕草だが、俺たちはそれを計算でやっているのを知っている。被害者面をする純度百パーセントの悪に冷ややかな目を向けた。


 百八十センチを超える体躯はがっちりと。制服は着崩しており、もし教科書にチャラ男の項目があれば掲載できそうな見た目である。


「んで、今回はなんでバレたんだ?」

「デート中に携帯を見られてさあ。ちょうど優香ちゃんにメッセージを送るところで」


 悪びれずに言う。ふにゃっと笑う顔は人懐っこい。


 ……神様はなぜこいつに整った顔を与えたんだ。


「デート中に他の女にメッセージを送るとか救いようがねえな」

「愛理ちゃんに送ってたのがバレなかったのは不幸中の幸いだなぁ」

「さらに余罪が……」


 由紀の冷ややかな無表情を受けても平然と立っている。

 メンタルだけは強かった。

 ため息をつく。拓海のどうしようもなさと、名も知らぬ女の子二人の哀れさに。


「んで、俺も一緒に謝りに行った方がいいか? このモンスターの監督責任として」

「や、オレ一人の方がうまくいく。こういうのには慣れてるからな」


 ご機嫌である。さすが修羅場をくぐり続けた歴戦の猛者だ。


「そんな考えこんでどうしたんだよ。話聞くぞ?」

「おめーが悩みの元凶なんだよ!」


 頭を抱えつつ三人で教室に向かった。昇降口では由紀に手伝ってもらい靴を履き替え、エレベーターを利用して三階へ。


「なあ聞いたか? 明日、うちのクラスに転校生が来るらしいぞ」

「……拓海が興味を持つってことは女の子だろ?」

「正解っ! 美玖ちゃんが昨日の夜に電話で言ってたんだよ。かわいい子らしいぜ~」


 また知らない女の名前が出てきた。すぐに別れると思うので覚える必要はない。

 拓海のテンションが上がっている。転校早々からこんなやつに狙われるなんて女の子がかわいそうだ。せめて毒牙にかかる前に真実を伝えてやろう。


「節操なし」


 由紀も呆れたように目を細めた。

 エレベーターが三階についたのでつないだ手を離して教室に入る。窓から入る風はカーテンをふわふわ揺らし、隙間から日光が入り込んでいる。最後列、窓から二番目の自分の席に着く。


 荷物を整理していると、陰口を言った例の男が戻ってきた。反射的に目をそらす。


「朔夜、忘れてた。これ弁当」


 隣の席の由紀が弁当を差し出してきた。水色の簡素な二段弁当箱だ。

 突然の事態を飲み込めずに固まった。


「ベントウ? なんだそれ」

「……そんなこと言うならあげない」


 ぷい、と顔を背けて弁当を後ろに隠す。そこで状況を理解した。


「ああっ! ごめんって! 欲しい欲しいです食べたいです!」


 由紀は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、「しょうがいないなあ」と渡してきた。

 受けとったが信じられなくてまじまじと見る。ほんのりといい匂いが漂ってきた。

俺のためにわざわざ作ってきたのか……?


 クラスメイトの何人かが唖然とこちらを見ていた。例の男もだ。視線がどんどん冷たくなっている。


「な、なんでいきなり? 今まで一度も作ってくれたことないじゃねーか」

「最近、料理を始めた。材料が余った。……不満?」

「そういうわけじゃねーけど」


 由紀が料理をしているのは調理実習でしか見たことない。それもかなり下手だった。いきなり料理を始めたのは意外だ。


 由紀が一生懸命作ったであろう弁当。俺が落ち込んでいたから……?


 口元を覆い隠す。にやけ顔を見られたくなかった。


「あ、ありがとな」

「気にしなくていい。材料が余っただけ」


 素直じゃないなぁ。

 こんなことで最高の日だと思えるなんて。男ってちょろい。

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